忘れられない思い出と。  作:ヴァルシオン 投稿日時:05/5/18


俺は、野生ヘルガーのヴァルシオン。今日は俺がマグマ団を抜けたときの事を話そうと思うんだ。
…逃げ出して、永遠に逃れる事が出来なくなった記憶の…物語を。

暗い夜の森を、俺は只走っていた。何処に向かってとか、そんな事を考える余裕もないくらい、必死に走っていた。
今日こそはこんなとこ、抜け出してやるんだっ!…って事だけが、頭の中にあったんだ。

「…ヴァ…シオンっ!」 「…ルーっ!」

遠く後ろの方から聞こえてくるのは、生まれた頃からといってもおかしくない程に聞き慣れた声。
…此処で唯一、仲間と呼べた者達の。
俺は、マグマ団のアジトを無断で抜け出した。
だから、追っ手が来るのは当然…それが彼等であることも、十分予想の範疇だった。
何度も振り向きそうになって、何度も立ち止まりそうになって。
…でも、俺は走り続けたんだ。全て…思い出や、繋がりさえも断ち切る勢いで。
それでも、彼等から逃げ切ることは出来なかった…。

声がしっかり聞き取れるくらいの距離まで迫られて、俺は覚悟を決めざるを得ずに足を止めて振り向いた。
案の定、そこにいたのはマグマ団下っ端の制服を着た二人の人間…俺のトレーナーだった火皇に、その親友狼我、それに俺の最高の親友…金色ヘルガーのセイヴァーだった。
最初に口を開いたのは火皇だった。
アイツは何時もと全然変わらない調子で、言った。

「…何やってんだよ、ヴァル。俺はそんな命令出した覚えねえぜ?おかげでアップも無しに長距離全力マラソンだ。」

聞いた俺が口を開こうとした瞬間に、今度は狼我が言った。

「…貴様は一体何を考えている?黙って敷地の外に出るなど、どうなるか分かっているのか。」

今度こそ言葉を紡ごうと口を開いた時、それまで黙って俺を見ていたセイヴァーの口が先に言葉を紡いだ。

「分かってるよね、ヴァル?…もし君が本気なら、僕は君を殺さなくちゃならない。」

俺は…いや、俺たちは普通の団員とは少し違った扱いをされていた。
まるで、誰にも俺達の事を知られてはいけない、っといった感じの。
…だから分かっていたんだ。此処を出る時、失敗したら待つのは死だけだろう、って。
…でも、親友の口から聞かされたその言葉は思った以上に重かった。
俺は一瞬言葉に詰まって…それでも考えは曲げなかった。

「…うん、分かってるよ。でも、止める気は無い…戻る気は無いんだ、もう。」

それを聞いた彼等は一瞬衝撃を受けたような顔になり、次に悲しそうな表情になって…打ち消すように真面目な顔になった。

「…だったら、死んで貰うしかねえじゃねえかよ。」

火皇は、感情の無い…いや、感情を押し隠した声でそう言った。
セイヴァーが衝撃を受けたように火皇を見上げ、狼我は黙って俺を見ていた。
でも次の火皇の言葉こそ、最も衝撃的な…いや、聞きたくない言葉だった。

「…だからよ、ヴァル。…戻って来い。今ならまだ誰も知らねえ。何も無かったように戻って…今まで通りに生きていけるんだ。」

俺はまず、『誰も知らない』ということに驚いた。
今だから分かるけど、あいつ等は俺が逃げたって事、誰にも報告せずに勝手に追いかけてきたんだ。
…当然、ばれたら処罰の対象になるにも関わらずに。
でも、それ以上に衝撃を受けたのは…戻って来い、という言葉。
それだけは言われたくなかった。
真っ向からそう言われて、拒否し切る自信が無かった。
それでも、俺は…答える代わりに、戦う構えを取った。

今まで俺は、戦わせて貰ったことが無かった。
今は変貌して俺の意識が無かっただけなんだって分かってるけど、その頃はそれも、俺が組織を抜けたい理由の一つだった。
だから…毎日のように行われた訓練の、それが始めて俺の意思で実戦する機会になったんだ。

火皇は表情に変化を見せず、「…そうかよ。」と呟いただけだった。
狼我は諦めたような顔になり、片腕で俺を指しつつ契約の言葉…実験体として与えられた力の言葉を紡いだ。

「…セイヴァー、命ずる。…殺れ。」

火皇が咎めるように狼我を見、「狼我っ!?」と叫んだ。
セイヴァーは、狼我の言葉が聞こえた瞬間…その目を赤々と光らせ、俺に向き直って戦闘の構えを取っていた。

…契約の言葉。その言葉を用いて主従関係を結ばれたポケモンは、トレーナーの『命令』に一切逆らうことが出来なくなる。
今になって知ったんだけど、俺たちは契約を用いた完全服従のポケモン部隊…それを作る為の実験体だったらしいんだ。

俺はそれに答えるようにセイヴァーに向き直り、低く唸って彼を威嚇した。
…と、同時に、竦みそうになる自らを奮い立たせた。
ここで止まるわけにはいかない、ここで終わるわけにはいかない…と。
狼我は俺を見、セイヴァーに指示を出すべく少し離れた位置へ移動した。
…今だから分かる。あの時、一番悩んでたのは狼我だった。…自分の立場と、感情の間で。

セイヴァーは命令に忠実に、俺へと飛び掛ってきた。
俺はこれを横に飛びのいて交わし、向きを変えて突っ込んで吹っ飛ばす。
…セイヴァーの動きが鋭さを欠いていることに気づきつつも、俺はその原因を知る事は出来なかった…いや、知ろうともしなかった。

「噛み砕け、セイヴァー!」

狼我が言葉を紡ぐごとに、セイヴァーはその通り俺へと攻撃を仕掛ける。
…俺はそれらを交わしつつも、狼我に攻撃する方法を考えていた。『まずトレーナーを叩け。』…これは、戦闘の基本として教え込まれていた。
火皇は、只何も出来ずに見ているだけだった。…硬く、その拳を握り締めて。


それから、戦いはかなりの間…俺の感覚でだけど、続いた。
俺達はお互いに疲れきっていて、技を出す事すら出来ずに只ぶつかり合っていた。
俺はふと狼我達の方を見ると、彼等の焦燥が易々と見て取れた。
…だけど、その一瞬が隙になった。俺は側面から飛び掛ってきたセイヴァーに押し倒され、首に牙を突きつけられた状態で動きを止めた。
セイヴァーは、狼我の命令を待って止まる。

…一声、『止めを刺せ』と言われた瞬間に全てが終わる…死と隣り合わせの状況で、俺は何時の間にか近くにあった湖を眺めていた。
…もし俺があの近くに倒れたとしたら、あの湖は赤色になるのかな、とかどうでも良い事を考えていた。
…だけど、すぐ傍にあるはずの終わりは中々訪れなかった。
実はもう終わってしまったのではないか、此処に居る俺は魂だけの存在なのではないか…とか思いつつも目を動かして狼我の方を盗み見ると、彼は躊躇して…迷っているようだった。
その迷いが俺に与えた時間が、この…最大の悲劇を呼び起こすとも知らずに。


俺は横倒し状態のまま、時間をかけつつも気づかれないように炎で剣を具現化、セイヴァーの正面から発射する事に成功した。
セイヴァーは咄嗟に横転してこれを回避、俺は首の皮を浅く切られつつも飛び起き、狼我に向かって飛び掛った。
狼我は予想外の事に驚き、致命的に反応が遅れた。俺はそのまま狼我を押し倒し、左肩に噛み付き、力を込めて骨を噛み砕いた。
骨の砕ける乾いた音と同時に、俺は心が急速に冷えていくのを感じた。

「…ぐあ…っ!?」

狼我は仰向けに倒れたまま、苦悶の表情を浮かべ、右手で左肩を押さえていた。
セイヴァーは命令主の異常に、次の行動を決めかねているようだった。俺はそれを見、チャンスだ、と思った。
セイヴァーの後ろには湖がある。…彼はその事に気づいてもいない。
そこに躊躇いは無かった。俺は冷え冷えとした心のままで、戸惑うセイヴァーに飛び掛り…湖目がけて突き飛ばした。

完全な、不意打ちだった。元々体力も殆ど残っていなかった彼は、いとも簡単に…湖へと吹っ飛び、そして落ちた。
大きな音がして、大きな水柱が立った。
…そして、湖は静かになった。何が動く事も無く、何が上がる事も無く。只、まるで何事も無かったかのように静かになった。

俺は暫らく、静かな湖を見つめていた。冷めた頭で、何も考えずに。…いや、考えられずに。
怖かった。我に返って現実を受け止めるのが怖くて、俺の心が無意識の内に逃走していたのかもしれない。

「ハァッ、ハァッ……セイ、ヴァー……?」

左肩を押さえ、肩で息をしている状態で何とか上体だけを起こした狼我が、信じられないものを見たように言った。
その声で、俺は我に帰った。その途端、身体中が俺の意思になど構わずに震えだした。

俺は、何をした?俺は、一番の…そして唯一の親友に、一体何を?
考えたくなかった、思い出したくなかった。だけど、目に焼きついたようにその時の…俺がセイヴァーを突き落とした時の映像が目から、頭から離れなかった。

「…ヴァル、よう…お前、正気なのかよ…お前、そんな事…」

掠れるような声で呟いた火皇の言葉は、俺の耳には届かなかった。いや、届いてはいたが言葉としての意味を果たす事は無かった。
俺は、放心状態で何も考えられなかった。
今見た何をも信じられなかったし、これが全て夢であるような気さえしていた。

見てすらいない、ただ映るだけの視界の隅では、狼我がフラフラと立ち上がり、湖へと歩いて行くのが映し出されていた。
覚束ない足取りで、砕けた肩を押える事すら忘れて、一心に湖へと向かっていた。

俺は、走り出していた。何処へ向かうでもなく、只全速力で走り出していた。そこに、俺の意思は無く。
疲れ切っているはずの身体は驚くほど速く動き、まるで限界の存在すら忘れてしまったようだった。
後ろからは火皇の叫びと、何かが水に落ちたような大きな音がした。
俺は、振り返らなかった。振り返る、という事を考えすらしなかった。…否、何も考えていなかった。
何も考えず、考えられず…俺はただ我武者羅に走り続けた。


それからどのくらい経ったか、俺は全く知らない森の中を歩いていた。
腹が減ったな、と思った。途中で何か声を聞いたような覚えもあるけど、気にも留めていなかった。
木の実を探そうかとも思ったが、生きる為の行動を取る気が起きなかった。
只前へ前へと進んでいると、建物が見えた。中からは食べ物の良い匂いがした。
俺はそのまま直進した。…自然と、扉の前に立つ事になる。
中からは、楽しそうな笑い声が聞こえた。俺の心に迷いが生まれたのを感じる。
…楽しいと思える場所に入って行きたいと思い、そして自分にそんな資格は無いと自己否定する。

そんな試行錯誤を扉の前で繰り返しているうちに、一つの…抗いようの無い欲求が生まれるのを感じた。
俺は、自分もまだ生きているんだなあ、と呆れ半分に実感し、扉に前足をかけた。
扉を押し開け一歩中に入ると、中のポケモン…いや、人間も居る、の視線が一斉に此方を向く。
俺は、なんとか『初めまして』と言葉を発し、その先を紡ごうと一歩前に踏み出し…気づいた時には天地の逆転を感じた。
大きな…通常よりも遥かに大きいサイドンが近づいてくる。その物腰に、不思議と大きさへの恐怖は感じなかった。

「どうした?」

突然倒れた俺を見て、サイドンの口が言葉を紡ぐ。…周りの人間もポケモンも、同じように俺を見ている。
…何か、違和感を感じた。だが、その時の俺にはそれが何に対する違和感かも分からなかった。
俺は、疲れを感じるようになった身体でなんとか口を開いた。

「…腹が…」

言い切る前に、言葉が途切れる。
サイドンは何かを言ったようだけど、俺には聞き取れなかった。俺は、言葉を続けた。

「…減った。」


それからあった事は、皆も知ってる日常と大して変わらない事。
だけど、その時の俺には何時でも鮮明に思い出すことが出来る、大切な思い出。
俺は、忘れられない思い出と忘れたくない思い出を、一つの逃亡から手に入れた。
それが正しい選択だったのかは、今でも分からない。
だけど…そのお蔭で、今の俺がある事もまた確か。
だから、俺は…後悔も吹き飛ばすほどに、精一杯今を生きる。
馬鹿やって、思いっきり笑って、遊んで、時に悩んで…生きているって、心から感じる。
忘れる事は出来なくても、それが辛いとはもう思わない。
俺は、もう逃げないって決めたから。何からも…生きる事からも逃げないって、決めたから。
…此処で、皆に貰った生きる希望…力を、失う事が無いように。