有能な部下と英雄 作:青柳 投稿日時:2016/09/01
初めてスナイパーライフルを握って、上官を殺したのが十二年前の夏。
射撃に適性有りと認められ軍に配属されたその年にはもう、殺めるという行為を覚えてしまった。
*
部屋に無機質な判を押す音が響いている。その書類に碌に目も通さずに判を押していくだけの仕事。残りの書類はまだまだ多い。その作業を午前中に終わらせなければならないのだが、上がってくる書類は広いデスクを一杯に占領し、飲み込むくらいの多さだ。
二十五歳のクロの肩書きは軍部総司令官兼君主であり、このくらいの仕事量は当然の事だった。
時計にちらりと視線をやれば、あぁもうこんな時間だと苛つきを押さえることができない。元々事務作業は苦手な性分であった。頭が回るのは戦争の事だけで、街の運営や市民の意向を汲み取りそれを生かす等の事はまるで知識がない。致し方なく優秀な部下の意見に従ってそれを運営するだけだ。そして優秀な部下はどこまでも優秀で、こちらに回ってくる書類はその書類に判を押すだけで良いという状態になって上がってくる。
何も考えず、ただ自分がプリンターになったかのように書類を手元に引き寄せては判を押し、済んだ書類は脇に寄せる。それを繰り返すだけだ。
ややあってから、自分で押した判の音に混じって木製のドアが開く音が響いた。
「入れ」
「失礼致します」
入ってきたのは色違いのマフォクシーである。白と青みがかった毛並みの彼は姿勢を正して敬礼する。それにちらりと視線をやればーー全く優秀な部下だと思う。その片手に大量の追加の書類が入っているであろう鞄をぶら下げていたのだから。
「追加の書類です。街の運営に関してですので、判さえ押していただけたら結構です」
「内容は」
別に聞かなくてもいいのだが、仮にも君主という身だ。筋であろう。
「街に図書館等の公共施設を制作、運営していく為の意見書です」
「運営に至って問題は」
「特にありません。資金も先の戦争で得た賠償金で十分補填できる範囲内ですし、軍の運営資金を削るような真似はしませんよ。それに、公共施設の設備と運営は市民の要望が大きかったため好感度をあげるためにも必要不可欠な事です」
マフォクシーの報告にわかった、と短く頷く。
彼は鞄から丁寧に取り出した書類を机にそっと積み重ねると、敬礼。そのタイミングで俺は判から顔を上げた。
「アルフィ、着たついでに何か飲み物でもくれ。少しばかり疲れたから休憩だ」
「畏まりました」
アルフィ一等陸佐は恭しく頭を垂れると、部屋を出ていった。
席を立って窓際で軽く体をひねったりしていると、節々が微かに鳴る程度にはデスクワークで体が凝り固まっていたらしい。
「戻りました」
「サンキュ」
ややあってからアルフィが戻ってくる。その手にはお盆に乗せられたコーヒーの入ったマグカップとアイスティーだ。
応接のために存在しているソファーの机にそれらを乗せる。クロの方に押し出されたのは当然のように好みのブラックコーヒーだ。
「今日、コールドは確か国境警備のシフトだったな」
「えぇ。明日の午前十時までです」
「特に異常はないだろう?」
「隣国との小競り合いは、今のところ報告されていません」
そうか、とソファーに腰を下ろしながら頷いた。アルフィもそれを待ってから向かいのソファーに座る。
「デスクのシフトはどうなってるんだ?」
「私とラストさん、ギディオンさんです」
それはそれは、と苦笑する。ラストはバクフーン、ギディオンはバンギラスだ。どちらも発想力というものは群を抜いてあるものの、書類仕事はまじめにやらない連中だ。どちらかといえば国境警備のシフトが向いている連中、とも言える。もちろん他にも幾多のポケモンと人間が書類作成に勤しんでいるだろうが、街の運営に関して案を出したり、出てきた案件を取捨するのは実質クロの直属の部下でありトップである三匹が担当する。その三匹がこのメンバーだとしたら。
「今日は精神的に疲れるだろう?」
「肉体的にも疲れますよ。二匹とも血の気盛んの割に、その情熱を会議と仕事に回してくれないんで、部下に渡す書類の作成は殆ど私一人で制作しているようなものです」
「それはついてないな」
「全くです」
ぷくりと頬を膨らませ尻尾を不満気に揺らすアルフィは冷たいアイスティーをごくり、と飲む。
部下ではあるが先ほど出てきた面々は全て、クロの相棒という位置づけである。言い換えれば手持ちポケモンだ。そんな言い方は有能な部下に失礼なので決して使わないが。
だからこそ、明確な階級の差があろうとも休憩時間だけはこうやって和気藹々と話すことができるのだ。
クロはたばこを一つ引き抜くと、それに火を灯す。さりげなく火を準備しようとする部下は手で制した。休憩時間なんだからそこまで気にするな、ということだ。
「ところで……しばらく前からクロさんにお尋ねしたかったことが」
アルフィのやや畏まった言い方にどうした?とソファーの背中に身を預けていたクロもやや身体を前のめりにして聞く体制に入る。
「クロさんはいつもコールドさんを気にされていますよね」
そして藪から棒のような問いである。は?と小首を傾げると、アルフィは続ける。
「こうして休憩の最中も話題に出ないことが無いですし……やっぱりクロさんとコールドさんはお付き合いが長いから、互いが気になるのでしょうか」
アイスティーを置いたアルフィはやや視線を逸らして呟くように言う。
「待て待て、お前は何が言いたいんだ。あれか、つまり部下としての扱いに差があると言いたいのか?」
きっと言いたいことはそういうことなのだろうが、アルフィは首を小さくぷるぷると振った。
「差があるわけではありません」
「じゃぁ一体何が気に入らないんだ?」
クロの返しにアルフィは視線を逸らしたまま何かを考え込むような素振りを見せて、
「気に入らないというわけではなく……その」
「何だ。言ってみろ」
更に深く突っ込んだ質問にも、やはりアルフィは答えずにいきなりアイスティーに手を伸ばすと半分近く残っていたそれを一気に飲み干してしまう。
そして、時計を見て。
「そろそろ会議の時間なんでこれにて失礼しますねっ!ではっ!」
いきなりの物言いにクロはおう、としか返答できず、いきなり立ち上がったアルフィは失礼しますっ!とやはり語尾を荒げたまま外へと出て行ってしまう。
と、すぐに扉が開いて再びアルフィが顔を出し、
「飲み終えたマグカップはそのままで結構です、後で回収に参りますから。それと、その書類もお昼までにお願いしますね!では!」
……それだけを告げて去っていく。
「一体何だったんだありゃぁ……」
後に一人残されたクロは小さく呟く。そして、時計を見上げれば、その針が随分と進んでしまっていた。やべ、と吐き捨てるとコーヒーを飲む暇も惜しんでクロは書類に判を押す仕事に戻った。
*
判を押す仕事はなんとか昼までに終わらせた。そしてきっちり正午の時間にマグカップとグラス、そして書類の回収に訪れたのはアルフィではなくラストだった。
「お前、昼前に何かアルフィと口論になったりとかしたのか」
大柄のバクフーンであるラストはマグカップとグラスは手のひらでまとめて掴んでお盆は小脇に抱えながら言う。
「いや……そんな事はないが」
「じゃぁ何でったってあんなに戻ってきてから不機嫌なんだよ。お陰で会議が全く進まないんだが」
「そんなこと俺に言われても困る」
「本当に心当たりないのかよ。ちょっと振り返ってみろよ」
そこまで言うと、ラストは食器を片づけるために一度部屋を後にした。
やれやれ、と小さなため息を吐きながら午後の国境視察のために今着ているスーツから黒を基調とした士官軍装へと着替えるためにワードローブを開いた。
先ほどの会話を振り返っても、相談するように話してきたのはアルフィでこちらは特に逆鱗に触れるような事は言っていない。寧ろ突然おかしくなったのはアルフィの方ではないかと思い返すだけで若干の苛つきを覚えるくらいだ。
そこへ、食器を片づけたラストが戻ってきた。
「どうだ、思い出したか」
「いや、寧ろいきなり態度が変わったのはアルフィだって結論しか出てこない」
そうか、とラストは書類の束を三つほどの鞄に詰めながら言った。
「あれだ。何か原因があったらすぐに和解した方がいいぞ」
和解、というちょっと重みのある言葉にぎょっとしながら振り返る。
「……それほどまでなのか?」
「それほどの事だと思うぞ多分」
「うわぁ……知らないところで逆鱗に触れたかな俺」
知るかそんなもん。とラストの台詞は素っ気ない。
「とにかく、原因を早急に調べて和解することだな。それじゃ、午後も頑張れよ」
ラストはさっさと書類を詰め込んだ鞄を片手に部屋を出ていった。
残されたクロは軍装に着替えながら大きなため息を吐いた。
*
生まれた頃からドロドロの戦争状態だった。こちらも向こうも国家として存続できるのか微妙なほどにまで疲弊してても一方の国を滅ぼすまで戦争をやめられない遺恨があったらしいのだが、それはもう忘れてしまった。
きょうだいは三人居た。姉のレシフィール、真ん中の俺、弟のシロだ。親から本当に貰った名前は忘れ、幼少の自分たちでつけた名だ。
当時の首相は戦争続行が困難になっても戦争を止めようとせず、足りない兵士を徴兵年齢を下げることによって確保した。徴兵は十八歳からだったが、これを十歳にまで引き下げ、幼少期から銃の使い方を叩き込み将来的に有能な兵士を育てる、という名目での引き下げであったが、実際は検査適性を受けて適性が無かった子供は小銃の使い方だけを訓練させ、最前線へと送られた。そのような子供は殆ど生還することは無かったという。
通常の思考であれば無茶な運用であるが、丁度時を同じくしてクローン技術が発明されたのもこの徴兵引き下げにとって追い風になった。
首相自らの提案で徴兵された子供の代わりにクローンの子供を作り、その子を家庭に置くことを法令で整備したためだ。
この法令は当然のように激しい反対があり、記者からの「クローンを前線に出して子供は徴兵させなければどうか」という質問に首相は毅然とした表情で「戦争にクローンを出すために技術が開発されたのではない。そのような戦いからは何も生まれない」と言い放った。
そして俺たちはそれぞれ十歳の誕生日に徴兵された。見送りの朝、母は泣いていた。
適性検査の後レシフィールは接近戦闘に適性有り、俺は狙撃に適性有り、シロは軍医に適性有りということで即戦地入りは免れ訓練施設に放り込まれた。
そこでは一刻も早く子供を兵士にさせるべく激烈な訓練が続いた。殴る蹴るから始まり、上官である大人に刃向かえば何をされるかわからなかった。振り返れば俺自身もかなりの問題児であり、口に真っ赤に熱されたアイスピックを突っ込まれた事は両の指では数え切れない程度に経験があった。
それでもこの体制は歪んでいると思ったし、黙って訓練を受けて殺されるくらいならいつかこの連中をぶっ殺してやると思った。
そして、その堰を壊す出来事は真冬の訓練期間に訪れた。
仲の良かった親友がとうとう猛烈な訓練と虐待に耐えきれずに命を落とした。死体は訓練施設の周辺に広がる白樺の森に埋められた。
俺は消灯後の真夜中に起き出すと、施錠されているライフル庫の鍵を針金で巧みに開け、殆ど自分の一部となりかけているスナイパーライフルと実弾を持ち出し施設の屋上へと駆け上がった。
外は吹雪いていたが、見張りの歩哨をしていた連中を撃つのは大したことではなかった。
上官を撃った時点で軍法会議モノであることは重々承知していた。それを理解したうえで上官を撃った。命中させた箇所は肩近くの背中だ。弾は吹雪であるにも関わらず正確に上官の脊髄を打ち抜いた。――結果。半身麻痺、リハビリ不能。退官。
そして俺は軍法会議にかけられたが、その狙撃の腕を惜しまれた。半年の減俸処分。しかし、訓練期間に娯楽の入り込む余地なんてなかったのでどうでも良いことだった。
母に会いたかった。
二年の訓練が終わったら一度家に帰る事ができる。しかし、家にたどり着いても入ることはできなかった。
――家の窓からちらりと覗けば、母が自分そっくりの誰かに学校の課題を教えていた。
あぁ、そうか。母の中に俺はもう存在していないんだな。
俺たちきょうだいは帰る場所すらも失ったのだと、悟った。
実践に配属されるとき、最初のポケモンが配られた。それが、ラプラスであるコールドだった。
カイリューであるヴィクトールの背中を借りて飛べば国境までは小一時間の距離だ。
そこでコールドと合流し、状況を実際に目で確かめる。この時は午前中の倦怠感等嘘のように頭が回った。各所から上がってくる数日間の戦闘の経緯や兵士の士気の低下まで見逃さない。前線に出れば総指揮官としての責務を十分に全うする働きぶりだ。
そして日も傾きかけた頃、コールドに時間を取らせて兵士の少ない敷地内の一角で立ち話だ。
「アルフィを怒らせたかもしれない?」
立ち話、という表現は若干おかしいかもしれない。俺は目前のラプラスの視線に合わせて木の枝に腰を下ろしているのだから。
コールドの体躯は目算でも頭まで五メートルはある。ちょっとした島のような彼の巨躯を見上げて話すのは首が痛くなるためにこのような状況になっているのは十年以上前から何一つ変わらない。
コトの経緯を丁寧に説明し、コトの結末を説明した後の彼の第一声がそれだった。
「今の話で怒る要素が見当たらないがな」
「だろう?だから、俺も何が悪いのかさっぱりで……」
俺何か悪いことしたのかな……そう思いながらもその原因がさっぱりわからない。
「別にお前が悪いというわけではない。だが、アルフィにはアルフィなりに思うことがあるんだろうさ」
その返答に視線を上げてコールドの表情をまじまじと見る。
言いたくはないが、このラプラスは頭がいい。種族的にもラプラスの頭がいいのは承知の事実だが、コイツは特に、が付く。
「……お前、分かって言ってるだろ」
「さぁね、どうだろうな。俺も伝聞じゃ推測でしかない」
言いながらもコールドの表情はにっこりとした穏やかなそれだ。その表情の意味は十数年来の付き合いでわかっている。問いに自身だけ解が出て、俺の解が出ないとき浮かべる表情だ。
「テメェ何か分かったんだろう!吐け!」
「吐けと言われても困るな。その答えは自分自身で見つけないとだめな事だから」
「このやろう!」
と、コールドの首に飛びかかり、ヘッドロックを仕掛けるも痛い痛いと抜かして全く堪えてなさそうな表情のままだ。規格外にでかいラプラスの首もまた太く、正直ヘッドロックというよりも首に抱きついて締めているというような形なのだから無理もない。
コールド相手に力で吐かせられるわけがないとは昔から理解しているので、コールドが黙るということは自分で解を探さなければならないということだ。
しかし、そのようなときは常にコールドが黙っていてもクロが解を見つけられる時か、解を見つけられなくても問題ないような時なのでひとまずは安心だ。
「……俺とクロが出会って随分と長いよな。何年だ?」
突然の振りにあぁ?と首を傾げながらもその首にしがみついたまま答える。
「んと、十二年だな」
「十二年か……子供の頃から一緒だったな。ちなみにアルフィが仲間になってからどのくらいだ?」
「んと……アルフィは少し前に同盟を結んだ国の住人だったから……一年半くらい前か」
「その時間の差がアルフィにとってどういう事を意味するか考えてみたらいいんじゃないか?」
この会話の内容はお互いに知っている情報で、それをわざわざ引き合いに出すということはつまり、この会話は遠回しにヒントになっているということだ。
「クロはもちろん自分の相棒を分けへだてなく一緒だと思っているんだろう?」
続けるコールドの言葉に俺は勿論深く頷いた。
「だったら大丈夫だ。一度アルフィとちゃんと話し合ってみたらいい。……もう日が暮れるから帰った方がいい。夜襲も可能性がゼロじゃないからな」
コールドは一方的にそのように言うと、巨体を指揮所へと向けた。
一方的に話を切られたクロは結局解が見つからないまま基地へと戻っていった。
*
コールドと出会ってからは任務遂行をしつつも反乱の時期を着々と伺っていた。コールド自身も軍に強制的に拉致されたということで俺と同じ軍部に遺恨がある。
前線に出て六年。同胞も人間ポケモン関わらずたっぷりと集まったところで反乱の狼煙を上げた。
軍の幹部兵舎を襲撃し次々に暗殺。反乱は同日同時刻に幾多の基地で行われ、軍の指揮系統は片っ端から粉砕された。粉砕され意味がなくなった指揮系統の中で幹部陣の反撃は驚くほど少なく、命乞いまでするものが現れたが今までに積み重なってきた遺恨はこの程度じゃ済まなかった。
こんな歴史を創ってきた大人等消えればいい。
過激かもしれないが、信用できる存在などポケモンと同胞以外に見つからなかった俺たちにとって大人の存在そのものが罪でしかなく、大人は根絶やしにするのが同胞達の意見であった。軍の幹部を初めとするすべての大人を殺した後――己のクローンとそのクローンに愛を注ぐ者達を次々に殺していった。
俺たちの居場所を奪いやがった連中から全てを取り上げなければ気が済まなかった。
反乱の総仕上げである首相暗殺は自らの手で行った。
頼む、止めてくれ。こんな馬鹿な真似はよせ。
その馬鹿な行いに至らせたのは貴様達大人だ。死んで詫びろ。
首相官邸に響きわたる三発の無味乾燥な発砲音。拳銃から放たれた弾丸は二発が額を、一発が心臓のど真ん中を打ち抜いた。
そして反乱が成功した時、クロは返り血を被った英雄となったのだ。
軍はクロをトップとして再編成され、泥沼となっていた戦争は一気に相手の国を滅ぼすことで終焉を迎えた。
そして、その後も幾多の戦争を乗り越えて巨大な国家となった今に至る。
*
ヴォルフシャンフェと呼ばれる陸海空軍連合の最高士官のみが集う基地に帰るころには日も暮れて真っ暗になっていた。
ヴィクトールが基地の屋上に軽やかに着地し、その背中から飛び降りる。
「サンキューな、トール」
「どういたしまして。また移動したくなったらいつでも呼んでよ」
穏和な表情の彼もまた五メートルを越える巨体であり、殆ど垂直に見上げるように労いの言葉をかけると、彼は翼を広げて再び空へと舞い上がりドラゴンタイプのポケモンが集まる部隊の基地へと移動を始めた。
トールの存在はかなり遠くからでも視認できるので、到着の頃合いを見計らって迎えの者が屋上のドアを開ける。
見れば、昼間以来のアルフィである。
「お帰りなさい、クロさん。ご無事で何より」
「国境に行くだけで心配しすぎだ」
クロは苦笑を浮かべて肩をすくめる。
確かに今は隣国との冷戦状態が続き国境では攻撃を受ける事もあるが、今回の飛行ルートは国内を飛ぶわけで国境の警備を固めている以上余程の事が無い限り強襲を受けるということは無い。
「お前は心配性も度が過ぎてるような気がする」
「単身で国境なんて心配にもなりますよ!」
叫ぶように言うアルフィは些か大きすぎる声量で言うだけ言ってハッと我に返ったように身をすくめる。
叫ばれたこちらは目を丸くするばかりだ。
「……あのさぁ、ひょっとして」
少しだけ解が見えたような気がした。
ぎくりと肩を震わせて視線を逸らすアルフィ。
「お前、コールドに嫉妬してるのか?」
その言葉は鋭利な矢となりアルフィの心臓を貫いた。びくりと肩が跳ね上がって動作が止まる。
その動揺こそがクロが導き出した解が正しい事を指し示している。
「つまりあれか、そういうことか。俺がコールドにばかり意識を向けているのがズルいと思っているわけか」
「違いますそういうわけじゃありません!」
フリーズから解凍されたアルフィがまくしたてるように否定する。
「クロさんが僕を含むすべての相棒に対等に接してくれていることは重々承知しています!そのことは何ら問題ではありません!ただ……」
アルフィが視線を落として、呟くような声量になる。
「コールドさんとクロさんは十年以上のお付き合いで特別な絆があるように見えてしまうのです。出会って一年半の私よりもずっと、強固で見えない何かがあるように見えてしまうのです。だから、どうしたら私もコールドさんとクロさんのような絆を結べるのかと悶々としていたのです」
馬鹿正直なアルフィ故に全部吐露したつもりなのだろうがこれは何というか、
――の告白を受けているみたいでこそばゆい!!
「あー……何だ。確かにコールドとの付き合いは長いがその期間が絆を深めるとかそういうもんかと思えば違うような……」
「でも、コールドさんはクロさんの右腕で私の入り込む余地が殆ど無い!どうしたらクロさんの左腕となる存在になれるのでしょうか!」
愛されてて嬉しいと思うべきか面倒な部下だと嘆くべきか。
「期間が長いことと右腕とはまた違う気がするんだよな……確かに戦闘の面ではコールドの頭脳はもの凄く役立つが、それが事務処理能力に直結するかと言えば話は別だし」
ラプラスの泳ぎに特化した手で事務処理を行えというのもなかなか無茶な話だ。
「そもそも居る次元が違うんだよな。コールドとお前で適材適所は違うだろうし、それによって扱いも若干変わってくる。そういうことを鑑みてるってこともちょっと頭の片隅に置いてくれると俺としてはスゲェ嬉しいんだけど」
要はアルフィが抱いているのは嫉妬なのだ。しかも殆ど一方的な。
俯くアルフィはまだ何か言いたげな表情をしていたが、その頭にぽすんと手を落としてくしゃくしゃと撫でる。
「っちょ、止めてください仔じゃないんですから!」
確かに撫でる手はちょっと乱雑だったかもしれない。でも、
「でもそういうことをしてほしかったんだろ」
目に見えて頼られてると分かるサインを求めるのは仔供の理屈なのかもしれないが、それを成獣にもなったアルフィも求める。
理屈で分かっていてもなかなか求められなくなっただけなのかもしれない。成獣になったという懸念が仔供に戻らせるのを躊躇わせる。
それでも撫でられたアルフィは俯いたままこくんと頷いた。
「お前が寂しがってたのなら、それは相棒である俺の力不足だ。ごめんな」
アルフィは帰結する着地点に否定の意を示して即座に首を振る。
「私が大人になりきれないのが駄目なんです」
「それを含めて寂しい思いをさせたのなら俺の責任だ」
「……もう少しだけ、撫でててもらって良いですか?」
頑なであった有能な部下が初めて甘えた声を出したのを、クロはどこかおかしそうにクツクツと喉の奥を鳴らして笑いながら、再び乱暴に部下の頭を撫でてやったのだった。
fin.