悪獣は、黒羊の夢を見るか  作:エイ 投稿日時:06/10/7


「……何があったんですか?」

ようやくお空の散歩から帰ってきたセイランの第一声を聞き、これはもう、初めから現在進行形で修羅場に遭遇しているオイラ達への挑戦状と受け取るべきなのだろうか、などと考えた。いえ嘘です、すんません。現実逃避してました。

「イテ」

ウナに尻尾で殴られて現実再開。…うん、やっぱり嫌だ。
ここはPH(ポケモンヒーラー)本部の客室。夏は終わったはずなのに、本人達以外の額には冷や汗が滲んでる。
現在、室内気温は8度。これでも調っている方だ。
ただし、精神の気温は−100度くらい。ぶっちゃけ、体の寒さより心の寒さの方がオイラには厳しい。

「……」

「……」

ビンボーなPHにしてはめずらしく、ここにはソファーが2つも置いてある。
…安物だけど。
そのソファーの片方は空席。現在、人が来るのを待っている。
もう片方には、この寒さを演出している憎い男女二人組。恨みを込めてご紹介しよう。
人間クーラーのうち男の方。
これはオイラが良く知っている。
名はショウマ。一応、オイラのトレーナーである。いつでもほやほやしてる天然ボーイ。善人。でもって医者。ついでにツッコミ役。
以上!

でもって、女の方。
こっちはオイラはあまり良く知らないが、ショウマの次ぐらいには知っている。
名は、オイラが知る限りではメリー。
異性と握手しただけで真っ赤になって俯きそうな外見のくせに、毒舌で腹黒くて容赦なくて偉そう。もっと言えば、オイラと渡り合えるくらいの悪戯好き。それから、どうでもいいが、この騒ぎ…というには静か過ぎるか。トラブルの原因である。

…さて。そろそろ前置きも飽きてきた頃だろうし、引っ張るのはここまでにして、今日ここで何があり、そして何が起こるのかを説明したいと思う。





トラブルの発端は突然だった。…まあ、トラブルはいつでも突然来るものなのだが。
その日、セイランは朝からお散歩。リンガは健康診断。サカヅキはいつものように外で他の患者と遊んでるので、ショウマの近くに残ったのは、オイラことゲンガーのエイと、ブラッキーのウナだけだった。念のため言っておくが、暇だからではない。やることが特になかっただけである。
ウナはテーブルの上で日向ぼっこしながら昼寝。オイラはそんなウナにスキンシップを取ろうと悪戦苦闘中。全部無視されてるけど。珍しくショウマも暇を持て余していたらしく、コーヒーを啜りながら医学書を見ていた。
と、何やら受付の方でもめる声。

「…何だろう」

トラブルあるところにショウマあり。この男、自分の側でトラブルがあると何かと関わろうとする悪癖がある。オイラもそうだが、オイラのは騒ぎを大きくするために関わるので、むしろ善癖だと主張したい。
それはさておき、現場に駆けつけてみると、どうやら女二人が言い争っているようだった。

「痴情のもつれだな。ショウマ、次はお前が危険だぞ。
 温泉に行くときは気をつけろよ? あと、放送するのは火曜日のいつだ?」

しかしそんなオイラの名推理を華麗に無視して、ショウマは受付の人に確認をとりに…行かなかった。いつもなら、とりあえず何が起こったかを確認するはずなのだが。

「どったんだ、ショウマ?」

ショウマは硬直している。ついでに、ショウマを見たオイラも硬直した。
――アニキ、瞳ガヤバイDEATH。
どっかの昔話に、目を見ただけで石になるという怪物の話があるが、この男、いつの間にかその怪物の下で修行していたようである。侮れん。
その証拠に、いつの間にやら言い争いも停止し、様子を見に来た他の人間も沈黙している。
しかし、鏡の盾でも持っていたのか、受付と言い争いをしていたもう片方の女――メリーは平然と話しかけてきた。

「久しぶり、ショウマ。元気だった?」

普段ならここで「なんだ? こんな可愛い子と…」的なことを口走るオイラも今回は黙った。相手が知っていたヤツだからではない。まして、因縁があるというわけでもない。単に、今のショウマにそんなことを言ったら、今夜の献立が増える代償にオイラという存在が消えると思ったからである。

「……」

「……」

重々しい沈黙。やはり普段ならここでオイラがそんな雰囲気を打破するところだが、今やったら逆にオイラが打破されそうなので大人しくしている。と、ようやくショウマが重い口を開いた。

「何の用だ?」

「PHに入りに来た。紹介状もあるよ」

ほらほら〜と100点のテストを見せ付ける子供のようにはしゃぐメリー。対するショウマは、それが500点満点のテストであったような顔で見ている。
…まあ、気持ちは分からんでもない。オイラも、この女がお医者さんになるのは想像もつかないし、ぶっちゃけ嫌である。色気ないし。

「何故もめていたんですか?」

受付のお姉さん、痙攣したカエルのように震えてるな〜ははは、などと他人事のように考える。お姉さんはロボットのように事務的に「警備員から連絡なかったので」と答えた。
窓の外に目をやる。
怒れるワニと哂う悪魔と倒れる警備員他数名。割と地獄絵図だった。

「とりあえずショウマ、ここで話すのも迷惑だし、客室に通したら?」

見なかったことにして、ショウマに話を振る。ショウマも迷惑だと把握したのか、ブスッとした顔で頷き、対してメリーは嬉しそうに頷いた。コノヤロウ。とりあえずオイラは受付のお姉さんにお偉いさんへの連絡もといSOSを頼み、ショウマの目を見て硬直したウナを連れて客室へと向かった。



…で、現在に至るわけである。
来て、ソファーに座って、会話0。しかもショウマはこいつ嫌いオーラを全開にしており、対するメリーも、コイツと一緒にいるのは嫌だなオーラを全開にしてくれてる。
メリーの目的は未だ不明瞭だが、オイラ達に精神的ダメージを与えるために来たのだとしたら、それは極めて効果的である。…というか、もしそうだったら降参するから今すぐ止めてほしい。
と、ドアがと開いて、オイラが呼ぶように頼んだお偉いさん――ショウマのお師匠さんが入ってきた。

ウナが無言でナイス!とアイコンタクトを送ってくる。
セイランも嬉しそうな目で救援者を見ている。
オイラも、気分は姉川の戦いで援軍が来た信長の気分である。
しかし、どうやらオイラが呼んだのは家康ではなく光秀であったらしい。頼みの綱であるお師匠さんは、来てショウマから説明を聞いて紹介状を見てにっこりと笑いながら、

「では、この件はショウマに一任します。
 入れるも入れないも貴方が決めてください」

などと言って、さっさと帰ってしまったのだから。
是非もなし、という単語が頭の中をよぎる。もう駄目そうである。
かくして、オイラの努力も空しく、沈黙が再び……かと思いきや。

「……ア…いや、メリー」

「何?」

ショウマが、どこか戸惑ったような声で語りかける。
……おぉ!これは光明か!? 話が進むのか!?
ドキドキしながら、ウナやセイランと共に見つめていると、

「…エイのこと、本当か?」

「うん。全部本当」

「…反省してるか?」

「まさか〜!ないない!!」

「――遺言は済ませたか?」

うん進んだよ確かに進んだけど下方向に進んでどうするんだいマイゴッド。
本日の神様はオイラからそんなに恨まれたいのだろうか、などと軽く現実逃避。

「まだ考え中なんで、また今度〜♪」

いいからお前はもう黙っていてくれないかと、視線で語りかけてみる。
無視。いい度胸である。
ショウマはいい加減、我慢の限界が近いのか、手でこめかみを押さえて何かに耐えるように俯いた。

「……二日酔い?」

「違う」

……唐突に今思ったのだが。憎んでいる相手のはずなのに、いきなり追い出したりせず用件を尋ねたり、あっさり客間に通したり、一任されているのだからさっさと断って追い出せばいいものを変に話かけたり。ショウマの行動には不可解な点が多いような気がする。

「…あの組織を抜けたのか?」

「ううん、一応、今も所属中」

「ということは、スパイか」

「まあね。あ、二重スパイになるつもりはないよ?」

…待て。今、なんかサラリと凄い会話をしていないか?
横を見ると、セイランとウナもめっちゃ驚いていた。ということは、聞き違いではないらしい。

「……いい度胸だな。ここにはオマエの敵はいても、味方はいないぞ」

ショウマの目が細まり、手がピクリと動く。
… これは余談だが、この男、過去に素手でパルシェンの殻をぶち抜いたことがある。本人曰く「力を入れるべき箇所と方向を知っていれば誰でも出来る」だそうだが、それにも限度があると思う。というか、そろそろ自分のパワーが人外の領域に達しつつあることに気づいてもらいたい。
閑話休題。で、メリーだいぴんちの図に戻るわけだが、当のメリーはクスクスと笑いながら

「大丈夫。味方なら一人いるじゃない」

などとのたまった。
無論、オイラのことではない。攻撃する気はないが、助ける気も皆無である。
ショウマもそれが気になったのか、動きを止めて尋ねた。

「…誰だ」

「ショウマ」

キッパリと答えやがった。
…すげー。この女、怖い物なんてないんじゃね?
ウナなんて、見かけいつも通りクールだが、さっきから身体はガタガタ震えてるというのに。
血の雨が降る直前の客間。ショウマはニヤリ、と口元を歪ませ。

「馬鹿か、助けるわけないだろう?」

――今にも吹きだしそうな声で、そんなことを言った。

「助けるよ。ショウマが攻撃する気なら、とっくにやってるし」

「攻撃するか否かを悩んでいるだけかもしれないぞ?」

「悩むくらいなら攻撃しないよ。
 悩んでいるのは、アタシを入れるか入れないかでしょ?」

「なるほど。…ご明察、とだけ言おう」

ショウマもメリーも、さっきの殺伐とした空気が嘘のように、始終笑顔で話している。
…これは、ひょっとしたらチャンスかもしれない。

「ショウマ、一つ聞きてぇんだけどよ」

「うん。なんだい、エイ?」

ショウマはさっきのが嘘であるかのように笑顔だ。いけるか? と思い、上手くいったら万々歳な質問をぶつけてみる。

「ひょっとしてオマエ、あの時のことは水に流してやってるのか?」

「まさか。許してないし、メリーのことは心底憎んでいる」

ごめん皆。オイラ地雷踏んだみたい。
さっきのほんわか雰囲気が払拭され、厳しい冬が訪れる。
ストレスが現在インフレ起こして、オイラの心も凍えてます。…背中に注がれる視線が痛い。

「…でも、ここで断れば、チャンスも一緒に無くなってしまう」

ショウマが、呟くようにそんなことを言った。

「入れてくれるの?」

嬉しそうな顔つきになるメリー。ショウマは苦々しい顔で頷き。

「許可しよう。書類は今もって来るから待っていろ」

それを聞き、わーい、と無邪気に喜ぶメリー。そして心の中で大歓声を上るオイラ達。
ストレスもデフレに突入中。良かった良かったとセイランと共に喜んでいると、いきなり頭を叩かれた。
痛い。

「何すんだよ?」

ウナはアイコンタクトで出口の扉を指し示した。額には冷や汗。
……さて。これが意味することをちょっと考えてみよう。
改めて現在の状況を見直してみる。
1.ショウマはメリーのことを未だ憎んでいる
2.メリーは怒れるショウマに対してもなめた口を利く
3.ついでに言えば、メリーは人の神経を逆撫でする達人である。オイラほどじゃないけど。
4.怒り狂ったショウマを止められる人は、お師匠さんだけ。しかし、お師匠さんはこの件に関わる気はないらしい。
5.最後に、これが一番大きな理由なのだが。オイラ達がここにいる理由はない。

「…というか、今気付いたがそもそもいる理由なんてあったのか?」

「…ないわね」

「…ないですね」

三人の間を、冬の風が通り過ぎたような気がした。
…いや、過去の失敗を悔やんでも仕方ない。それよりは、過去の失敗を活かして未来の失敗を未然に防ぐ方が生産的である。
というわけで、ショウマが書類を持ってくるために外に出るのに続いて、オイラ達も何気なく外に出てみる。
と、何故か出たところでショウマが立ち止まっていた。奥を見てみる。

「……何をなさっているんですか?」

扉の外はかつてないほどの人やポケモンが集まっていた。
…あ、リンガ発見。手を振ってみる。やっぱり無視された。

「まあ、いいです。彼女、メリーは本日を持ってPHの一員になりましたので、よろしくお願いします」

律儀に頭を下げて、では失礼しますなどと言いながら、ショウマはどこかに消えて行った。
それでトラブルは終了したと思ったのか、皆あちこちに散らばっていく。

「…オイラ達も行こうか」

「…そうね」

「…ですね」

そしてオイラ達は、本日最初で最後の、盛大な溜息をついたのだった。









「どうでもいいけどさ、ショウマ」

「? 何だい?」

「…いや、甘やかすのもほどほどにしておけよ」

様子を見に来たら、何故かショウマが書類に何やら書き込んでいた。言わずもかな、本来はメリーが記入すべき書類である。

「まさか。甘やかすわけないじゃないか」

笑いながら、住所欄に嘘八百を並び立てる。しかも、ご丁重に筆跡をメリーのものに似せているという過剰サービスっぷり。うん、自覚がないって怖いね。
ちなみに、当のメリーは熟睡している。…悪夢を習得していなかったことを、今ほど後悔した時はない。

「ちなみに、コイツが書いたのは?」

「本人直筆のサインを書いた直後あたりから意識が朦朧とし始めて、家族構成欄だけ書いてダウン。昨日、殆ど寝てなかったんだってさ。
とはいえ、他の人に迷惑をかけるわけにもいかないから、仕方なく僕が書いているってわけ」

そこは「叩き起こす」という選択肢を選ぶのが普通ではないだろうか。
つくづく甘い男である。憎んでるくせに。

「というか、何故に家族構成欄を?」

どうせ偽物だらけだろうに、と思う。ところでショウマ。職歴にポケモンタワーとか送り火山とかの名前ばかりを書くのは止めておいたほうがいいと思う。
もしかして、ささやか復讐ですか?

「さあ。コイツが何を考えているのか、僕にはさっぱりだね」

心なしか、ショウマは嬉しそうに言った。
気になるので覗き込んでみる。
家族構成欄には、やや乱れた筆記体で素っ気無く

『兄 職業:医者』

とだけ書かれていた。

「…名前は?」

「書く前に寝た」

「そうか。そりゃ惜しかったな」

ショウマは柔らかく微笑み、メリーの頭を優しく撫でていた。