ゆらりゆらり 〜夜明け前の風〜  作:Rista 投稿日時:07/1/13


 明日、朝日が昇ったら、この島に新しい歴史の1ページが刻まれる。
 霧の支配者が新しい世界への扉を開くという、大きな変化。

 まだ見ぬ夜明けに思いを馳せて。



 朝の到来にはまだ遠く、空は深い蒼に包まれている。

 ふっと目を覚ましたナイツは、眠気が何の前触れもなく消えてしまったことを不思議に思いつつ、上半身を起こした。
 ふと見ると、両脇からトロピウスの巨体とジュカインの尻尾が迫っていた。どちらかが寝返りを打てば潰されるという状況に心臓が冷える。
 ログハウスの中で一番広いこの部屋では、仲間のポケモンの大半が集まって雑魚寝をしている。身体の小さなナイツにあてがわれるスペースは当然狭い。埋もれてしまえば助けを呼ぶのも困難になるだろう。

(……逃げよう、うん)

 半開きのドアをすり抜けるように部屋を出た。何故ドアが開いているのかは気に留めない。
 窓の外に出ている月を見てしまったからか、ナイツは無性に外へ出たくなった。しかし玄関には鍵が掛かっている。仕方なく台所に回り込み、物音を立てないよう慎重にシンクへよじ登ると、その正面の窓をそっと開けて外へ出た。しがみついた窓枠から手を離す直前、窓を閉めておくことは忘れない。
 降り立った地面は落ち葉の匂いがした。火山からあふれ出す熱気が島全体に広がっているのか、この辺りに雪は降ってもなかなか積もってくれない。
 リスタは「冬ですから雪の需要はあるでしょう」なんて言ってたけどどうするんだろう。まさかどっかから氷ポケモンを雇う気か。

 冷たい風が容赦なく吹きつけてきた。
 ナイツは身を震わせた。

「……さ、寒っ……」

 真冬の深夜は特に寒さが厳しい。布団から出た後だから、尚更寒く感じる。
 尖った歯をカタカタ言わせながら、流れていく雲の黒いシルエットを見上げた。
 さっき見た月は、えーと、どっちに出ていたっけ――

「……ナイツさん?」

 唐突に、声が降ってきた。

 目を真上へ向けてみたが、何も見当たらない。振り返っても誰もいない。
 ナイツは少しだけ考えてから、着地した時の位置から何歩か前に歩いて、改めて振り返った。

 声の主は屋根の上にいた。
 探していた月をまるで後光のように従える、サーナイトの優美な姿。

「起きていらしたんですね。よかったらこちらへ来ませんか」

 それは同じ部屋で寝ていたはずの仲間だった。
 名前はタナトス。性別♂。
 カフェに連れて行ってもらえない控え達のまとめ役を務めており、ナイツら上級メンバーの信頼も厚い。

「……ってことは、お前も眠れないの?」
「まあ、そんなところです」

 悪タイプを持つナイツはサイコキネシスで持ち上げてもらうのを断り、自力で壁を登って屋根に到達した。
 最後の数歩だけタナトスの手を借りた。しかし彼の隣に並んで座ることはせず、屋根のてっぺんに月と向き合う形で腰を下ろした。

 下弦の月はさっきと変わらず美しかった。
 淡い光を両目とお腹の宝石が幾重にも反射し、ナイツの全身に心地よい感覚を行き渡らせる。

(そういや、こうやってゆっくり月光浴するのは久しぶりだな……)

 周りに高い木が並んでいるので、ここからカフェの屋根は見えない。
 見渡す目に映るのは薄い煙をなびかせる火山、黒い森、そしてはるか遠くまで続く海。

 何度目かになる引っ越しでこの島にやってきてから、早くも半年が経った。
 いろんな出来事を経験した。特に、この半年間ほど生命の危険にさらされ続けたことはないだろう。身体の宝石が一つも欠けずに揃っていることは奇跡なんだろうか。

 自分だけじゃない。
 一緒に暮らし、のどかながらそれなりに忙しい日々と“戦う”仲間も、誰一人欠けずに。

「……タナトスは、ここで何してたの?」
「私ですか? ちょっと、技の練習を」
「技?」

 タナトスは腰掛けた姿勢のままふわりと浮いて、首をかしげるナイツの隣に降りた。

 白い指先がナイツの額に触れた瞬間。
 急にはっきりと見えたのは、こことは違う世界の光景。


 時計塔の鐘が鳴り響く。
 石造りの家々が密集した街を走る誰かの視点。
 時々上を向くのは、屋根伝いに逃げていく身軽な誰かを追っているから。

 追っているのは誰?


「……見えました?」
「み、見えたって……」
「リスタさんが今見ている夢ですよ」

 いとも簡単に言ってのけた。
 ナイツはタナトスを半信半疑の目で見ながら、それとは違ったことを思い出していた。

 前にリスタが語っていたこと。


 昔たった一人で「ある現実」と戦っていた時、何度か不思議な夢を見たという。
 顔の見えない誰かが手を差し伸べて、自分を救いようのない絶望から文字通り、すくい上げてくれる。

 それが誰だったのかは未だに分からないと言いながら、まだ笑うことのできた当時の彼女は、こう言った。

『あの夜があったから、今の私があるんです。……夢の中まで絶望づくしなら、きっと脱出なんてできなかったでしょうね』

 Nights(ナイツ)。
 同音の「騎士」ではなく「夜」、しかも複数形をつづった名を、彼女は現実において自分を絶望から助け出したヤミラミに与えた。
 自分を慰めてくれた数日間の夢に、精一杯の感謝を込めて。


「ああ、“夢食い”……って他人様の夢を覗き見かよ……」
「大丈夫、ダメージ自体は微々たるものです。朝までぐっすり眠れば自然に回復しますよ」

 タナトスは笑いながら言った。

「それより、前よりはっきり『見える』ようになったでしょう?」
「言われてみれば……」
「これの練習をしていたんです。この先またどんなトラブルに見舞われるか分かりませんからね」

 彼は吸収した夢の記憶をテレパシーで他の者に見せることができる。磨き上げた超能力はこれまでにも何度か彼らのトレーナーを救ってきた。
 その右手が指揮をするように振られると、柔らかな光が屋根から染み出すように現れ、指先に集まってきた。


 カインは、
 満開の花畑でメアリーと遊ぶ夢を見ていた。
 春の風の心地よさが伝わってきた。

 エルダは、
 かつて同じ牧場に暮らしていた仲間と再会する夢を見ていた。
 育て方が良かったのかみんな身体が大きかった。

 ヒロは、
 立派な翼を広げて空を飛ぶ夢を見ていた。
 叶った願いが一目で分かった。


「……ナイツさん、エルレイドってご存じですか?」

 集めた記憶のかけらを両手で繰りながら、タナトスが呟く。

「最近知った。今度入ってくる新人店員にいるんだって?」
「ええ。それがどうもキルリアの進化系だそうで……もし私が進化する前にその存在を知っていたら、今頃どうしていたでしょうね」
「あー…………いや、タナトスはサーナイトでいい。格闘って感じの性格じゃないだろ」


 リアラは、
 どこかのスタジアムでバトルをしている夢を見ていた。
 なかなかの接戦だった。

 マグダレナは、
 どこかの渓谷地帯で修行している夢を見ていた。
 何か迷いが生じているようだった。

 ちびっこたちは、
 それぞれ楽しそうな夢を見ていた。
 こちらは何の迷いもない。

 アルビレオは、
 大好きな人と二人きりで出かける夢を見ていた。
 過去のようにもこれからのようにも見えた。


「……S氏は?」
「残念ながらガードが堅くて。そもそもいつ眠っているのか分からないんですよ」


 うなずいた後、ふたりはほぼ同時に、口元に指を一本立てた。
 そして声に出さず笑った。



 何もない空の下を、冷たい風が吹き抜けていく。

 その島は、
 夢を、希望を、幸せな気持ちを、待っている。
 朝日と共に昇ってくる、新たな時間の始まりを、待っている。