カフェの裏、ある夏の日の風景  作:Rista 投稿日時:07/9/10


 7月下旬。ある日の夕方。
 いつもと変わらない――夏祭りまっただ中とは思えないほどの――静けさが漂うカフェ「パーティ」に、がらがらとよく響く台車の音が近づいてきた。

「どうもー、お届け物でーす」

 店の裏手にひっそりたたずむ倉庫の前で、ヨノワールのバッフェは顔を上げた。
 やってきたのは深緑の制服に身を包んだ配達員の男。やはり夏の暑さは応えるのか、帽子の下や襟元などには汗がにじんで見えた。

「……おう、ご苦労さん。……そいつはこっちへ運んでくれ。」
「はいはい、いつもの場所な。夏祭りは順調?」
「……順調だ。」

 台車は厨房へつながる裏口の前で騒音を止めた。配達員が積んできた段ボール箱に手をかけようとする前に、バッフェがそれを台車ごと抱え上げる。その大きな両手に巻き込まれそうになり、配達員はぎりぎりのタイミングで手を引っ込めた。
 カフェの倉庫番が重たい箱をものともせず運び去る間に、若き配達員は束ねられた配達票を取り出した。どれも宛先はどこかの町らしき住所になっていて、番地の最後に小さく記号のような文字が添えられている。住所を持たない島のカフェへの転送を意味する暗号だった。
 バッフェと入れ違いに現れたムウマージのルアンに、配達票とペンを差し出す。

「ここに受け取りのサインをお願いします」
「はい。……えっとぉ……」
「大丈夫、とりあえず何か書いてあればいいから」
「あ、はい……」

 人間の宅配便をポケモンが受け取ってサインしている。そもそも両者が普通に会話している。そんな風景は一般にはありえないと言われているが、この島では決して珍しくない「日常」である。
 眺めている間に一枚ずつ、認め印より一回り大きなサイズの何かが受領欄に書き込まれた。文字というよりは記号のようにも見えるそれを確かめ、配達員は束をまとめてポケットにねじ込む。おそるおそるペンを差し出してくる厨房係に笑いかけてから、ふと思い出した話を口にしてみた。

「そういや、カフェって夏休みは取らないの?」
「えっ……な、夏休みですか?」
「オーナーは来月の頭に取るって聞いたけど、店は閉めないんだろ? 店員は休ませなくて大丈夫なのかなって」
「私は特に、何も聞いてませんが……そういえば、夏休み……」

 ルアンは真剣に考え込んでしまった。
 なんだかかわいらしい表情に配達員はつい見とれてしまい、一瞬止まってから首を振った。こんなところで気を緩めている場合ではない。今は仕事中だ。

「今んとこ予定ないんだったら、今夜あたり頼んでみたら?」
「……頼んじゃっていいんですか?」
「いいんだよ。カフェの店員がみんな一生懸命働いてるってことは、オーナーもお客さんもみんな知ってんだ、夏休みくらい許してくれるって」
「そうですよね……わかりました。今夜、頼んでみますね!」
「そうそう、その意気」

 表情がぱっと明るくなったルアンから配達員がペンを受け取ったところへ、空の台車を抱えたバッフェが戻ってきた。
 軽く事務的な会話を交わし、折りたたんだ台車を抱えて去っていく配達員を見送った彼は、一緒に手を振る仲間が妙にうきうきしていることに気づいた。だが理由を聞こうと切り出す前に、彼女は厨房へ戻っていってしまった。



 その夜、日付が変わって数時間が過ぎた頃。
 草木も眠ると言われる頃だというのにカフェの中はまだ明るい。さすがに周辺住民への配慮から玄関先など一部の照明は落とされているが、少し近づいて茂みから様子をうかがえば、動き回る人間とポケモンの姿を簡単に確かめられる。
 そんな店の奥、いわゆる事務室と称される別室に、このカフェの店員達が集められていた。

「……実は今度、私たちも夏休みをいただけることになりました」
『ええっ!?』

 ローテーブルを囲む一同が一斉に身を乗り出した。
 一同といっても“営業時間外担当”のアスタとティンは席を外している。9組の視線が注がれる先には、彼らの驚きように少々面食らった顔のチェルク店長がいた。

「本当ですか!?」
「確か4月のとき、『当分お休みを取るのは難しいだろうから』って言ってたような……」
「エイプリルフールの臨時休業といい、また唐突な話ですね」
「どうせオーナーの気まぐれだろう」

 口々に話す店員達。当然のことながら、誰もが動揺を隠せない。
 中でもルアンは口をぽかんと開けたまま固まっていた。様子がおかしいことに気づいたユウリがそっと声をかける。

「……ルアンさん? どうかされました?」
「!! ……い、いえ、何でもないですっ!」
「……?」
(なーんだ、私が言う前から決まってたんだぁ……)

 内心の安堵がつい顔に出てしまう。心の中を読めなくても伝わってしまったのか、ユウリがふっと笑ったように見えた。
 ルアンが何となく目をそらす横で、先ほどまで帳簿を開いていたミニッツが店長に向けて片手を上げた。

「店長。その夏休みはいつからになりますか?」
「オーナーの話では、これからが忙しくなる時期だそうです。8月中はお客様に夏休み中の方が多いので、ピークを過ぎて落ち着いた頃……9月の最初あたりがいいのではというお話になってます」
「お盆休みは避けるということですね……」
「じゃあ、9月になったら一度お店を閉めるんですか?」
「いえ、営業は続けるそうです。私たちがお休みの間だけ代理の店員さんを呼んで」
『代理?』

 ソーレンとサテュロスが揃って同じことを口にしてしまい、顔を見合わせた。

「……代理っていうと、やっぱり4月の?」
「多分そうでしょうね。もう既に打診はしてあるそうです」
「待ってください、あの暇ナッツ達に厨房を預けるんですか!?」

 断固反対と言いたげに身を乗り出したのはサンクルである。まあまあ、となだめるカナタの手に触れて体は引き戻したが、表情はおさまらない。
 これには店長も苦笑いで答えるしかなかった。

「確かに、あの場所での料理は、ヒマナッツ達にはちょっと大変かもしれませんね」
「……まず届く手がない。……あいつらは、“つるのムチ”を覚えないからな。」
「そんなことは分かってます。そういう問題じゃなくて!」
「大丈夫ですよ、サンクルさん。安心して厨房を任せられる方を今、オーナーが探しているそうですから」
 店長の穏やかな笑顔を前に、サンクルは身構えた両腕を渋々下ろした。

「……分かりました。その言葉、忘れませんからね」



 客席をヒマナッツ達が担当することはすんなり、異議なしで決まった。
 常に暇をもてあましている彼らは数が多いので交代しやすく、働き過ぎで疲れてしまうことはない。何よりも大きかったのは今年の4月、「店内修理による臨時休業」の看板を置いて休みを取った店員一同に代わり、やってきた客のもてなしを見事にこなしたという実績である。給料については多少もめたが、よく似たヒマナッツ達を見分けられるという店長代理のキマワリが後でまとめてくれるということになった。
 レジと深夜の掃除を任されたのはポワルン。島に天気予報を提供していることで有名な彼もまた、4月に代理店員を経験している。
 倉庫はゲンガーとゴースト達に預かってもらうことになった。一時は見張りどころかイタズラでめちゃくちゃにしないかと危ぶまれたが、「変なことをしたらバイト代をあげない」という約束をかわすことで一応は落ち着いた。

 最後まで決まらなかったのが厨房係だった。味を落としてカフェの評判まで下げてしまうわけにはいかない。そのことはオーナーも十分に承知で、しかしそのために代理の料理人探しには苦労したという。
 料理はもちろんのこと、コーヒーもソフトドリンクも、ただ注げばいいというものではない。細かな配慮と工夫が「この店の味」を作っている以上、その精神を引き継いでくれるポケモンを、というのが採用の第一の条件だった。
 島の内外でさまざまなルートを頼りに探した結果、ようやく内定したとの連絡がカフェに入ったのは8月も半ば、真夏の暑さが早くも漂う朝方のことだった。

「こいつらが……俺たちの、代理?」
「……そう、みたいですね……」

 昼間は非番だからという理由で呼び出されたサンクルとソーレンは、揃って目を見張った。
 オーナーの家で待っていたのは、なんと自分たちの半分にも満たない大きさのポケモンだったからだ。

「よろしくお願いします」
「どうぞよろしく〜」
「えと、は、はじめまして……」
「今回厨房の方をお願いすることになった、ミノマダムさん達です。事実上7日間働きづめという厳しいスケジュールですが、彼女たちは快諾してくださったんですよ」

 同席したポワルンによる軽い紹介は聞き流し、ふたりはテーブルの上に並ぶ3匹のポケモンをまじまじと見つめた。
 ミノマダムの姿に種類があることは暇な時間に読んだポケモン図鑑で知っていたが、どうもその外見と、自分たちが求めていたものが全く結びつかない。
 まず何より、どうやって料理をするんだ。

「……それにしても、顔合わせと言ってくだされば、他の店員さんも連れてきたんですが」
「そういえばどうして俺たちだけ?」
「ああ、そのことなんですが」

 こちらも三者三様にふたりを見つめ返すミノマダム姉妹を囲むように、ポワルンがふわりと飛ぶ。

「今カフェで出している品の作り方を、おふたりから伝授していただきたいんです」
「……、……は?」
「なるほど、そういうことなら喜んで手伝いますよ」

 サンクルより一瞬早く意味を理解したソーレンが、親指を立てて答えた。

「さっそく今日からですか? 時間もないですし」
「できればその方向で。おふたりが当番の時はサテュロスさんやルアンさん、アスタさんが必ず暇ですから、交代で指導すれば残り半月でも間に合うかと」
「分かりました。僕らにお任せください」
「そう言っていただけると信じてました」

 こうして、オーナーの自宅のキッチンを舞台とした料理学校が始まった。



 一方、接客係のルファリーは店周辺をうろつくヒマナッツ達を集め、メニューの運び方の指導を始めた。
 小さな体で大きなお盆を支えるのにはコツがいる。しかもグラスや皿の中身をこぼしてはいけないため、跳ねて移動するヒマナッツにはかなり高いハードルだった。

「1,2,1,2,……そうそう、その調子♪」
『ひーまっ、ひーまっ、ひーまっ、ひーまっ……』

 昼下がりの森に、リズムを取る手拍子の音がよく響く。
 よく通る声と騒々しい斉唱(ユニゾン)に目を覚ましたアスタが2階の窓を開けて顔を出すと、聖なる森に続く小道を行進する黄色い行列が見えた。

「ひーまっ、ひーまっ……うわー!」

 1匹のヒマナッツがバランスを崩し、頭に乗せていたお盆がひっくり返った。ヒメリの実のピラミッドがあっという間に地面にばらまかれる。
 あ、やっちゃった。大丈夫かな。
 思わず身を乗り出すアスタに気づいたルファリーが、仕草で「大丈夫だよ」と伝えてくる。その間に他のヒマナッツが隊列を崩し、落ちた木の実の回収を始めていた。よく見ると頭にお盆を乗せているヒマナッツは少数で、大半は手ぶらだった。

 仲間同士で支え合い列を作り直すヒマナッツを眺めながら、アスタは前日の晩、店長と話したことを思い返していた。

『チェルク店長はお休みの間、どうされるんですか?』
『それが、まだ決めてないんですよ』

 夏休みは1週間。案外長い。
 最初は皆でどこかへ出かけようかという話もあったが、結局はそれぞれが自由に過ごすことになった。

『他の方は里帰りとか、友達に会いに行くとか、考えていると聞きましたけど……』
『そういうのもすてきですね。私もそうしようかしら』

 カフェの店員達は全員、違う地域からこの島にやってきたという。
 誰がどこから、何故ここに来たのか。アスタは知らない。互いに探るような場面も見たことはない。たまに雑談の中で語られる思い出話から、お客と違って暗い過去を持つ者は誰もいないようだと見当をつけた程度である。

(……皆さん、ちゃんと帰る場所が、あるんですよね……)

 自分たち新人は、島に来てからようやく半年になる。
 でも、店長や先輩店員達はここまで3年、それこそほとんどカフェを離れることなく守ってきた。やりたいことや行きたいところがあっても我慢してきたのだろうし、客の話を聞きながら故郷のことを思い返した日も、あったかもしれない。
 みんなはその心に、どんな景色を描いているんだろう。
 久しぶりに会いたいなと思っているのは、どんな人やポケモンだろう。

(……どうしようかな、私……)

 わいわいとはしゃぐ黄色い集団から、遠くの方へ視線を移した。
 深緑の森が風に波打つ。遠くにそびえる火山のさらに向こう、森と空との間に引かれた線のように、海の青も見えた。

「……あ、そうだ」

 ふっと何かを思い出し、アスタの頬に笑みが戻る。



 9月2日。
 前夜から来ていた客の最後の一人が店を後にしたのは夜遅く、というより既に明け方に近い時間帯だった。

「店長、お掃除は全部終わりました」
「ご苦労様です」

 それぞれ手荷物をこしらえた店員一同、その最後の一人として、掃除用具を片付け終えたティンが店の玄関に出てきた。
 そこには先に出ていた同僚の他に、これから職務を引き継ぐ臨時店員達が並んで待っていた。さすがにヒマナッツ達は寝ているものも多いらしく、キマワリの後ろに控えているのは数匹だったが。

 紐を通してひとまとまりになった鍵束を、ティンがチェルクに手渡す。
 その鍵束をチェルクは、前に進み出たキマワリの手に託した。

「では、カフェをよろしくお願いします」
「お任せくださーい! なんなら1ヶ月くらい帰ってこなくてもいいですよ?」
「え、それはちょっと……」
「1週間くらいがいいんです。それ以上休ませようとしても、きっと働きたくてうずうずしてくると思いますから」
「特にルファリーはじっとしてないよな?」
「いやー、分かんないよ〜?」

 夜明け前の森に、ポケモン達の失笑がこだまする。
 しばらくして自然と笑いが収まった頃、表情は皆、すがすがしいものになっていた。

「では、そろそろですね。……どうかお気をつけて」
「そちらこそ、いろいろ気をつけてくださいね?」
「ええ、肝に銘じておきましょう」

 カフェを盛り上げようと張り切るヒマナッツ達と、大集団をとりまとめるキマワリ。
 ミニッツから預かったレジの鍵を首に提げたポワルン。
 半月の料理特訓でカフェの「味」を完璧に習得したミノマダム達。
 木の陰からこっそり様子を見ているゲンガー。

 彼らが見送る中、12名の店員達は歩き出す。誰が言い出すまでもなく、足並みをそろえて。
 霧の外へと続く道へ。


「行ってきます!」