Ground ZERO  作:大使 投稿日時:09/8/17


これは、島の野生ポケモンとして生活するボーマンダ、ジェイナがマグマ団に所属していた頃の話。
マグマ団とアクア団が激しい戦いを繰り広げていた激動の時代を駆け抜けた、彼女とその相棒の物語である。
そう、彼女がまだジェイナではなく、藍莉と名乗っていた時代で起きたこと。


第一章 Twin Battler 〜二頭の暴竜〜

 寒くて凍えそう! 藍莉は眼下に広がる雪に覆われた岩肌を見下ろしつつ、そう叫びたくなった。どこを見ても真っ白な景色だ。彼女はマグマ団頭領である狼我の下で厳しい訓練を積んできたが、それでも寒さだけは慣れることができなかった。
 もしこれが単なる私的なフライトなら彼女はすぐにでも元来たルートを引き返し、地熱で暖められている心地よいマグマ団のアジトに戻っていたことだろう。もしどうしても行きたい場所があったとしても、こんな地獄のようなルートは外し、別経路で行く。
 しかし、藍莉は今回のフライトがどれほど重要なものかをよく理解していた。マグマ団が三日前にこの山脈の何処かに憎むべき宿敵、アクア団のアジトがあることを突き止めてから、藍莉は自らその偵察任務に買って出たのだ。ただ、これほど寒さが身に堪えるとは思ってもみなかったが。
 でも仕方がない、これも仕事なのだから。あたしはマグマ団の一員、必要ならどんな仕事だってする。彼女はそう自分に言い聞かせ、寒さに震える身体に鞭を打ち、真紅の両翼で力強く大気を打った。

「どうした藍莉、随分と遅いな! 朝飯の食べ過ぎか?」

 彼女の耳に、後方上空を飛ぶボーマンダの陽気な声が聞こえた。藍莉は相手の言いたいことを理解し、ため息混じりに首を横に振る。
 まったく、“相棒”は何時もこうやってあたしの神経を逆撫でするんだから。

「っさいわね、ヴァルム。あんたのそのデリカシーに欠ける言動、何とかならないのかしら?」
「ああ、お前の“お説教”を此処でも聞かなきゃいけないのかい? 藍莉」

 ヴァルムは太陽を背にし、藍莉に急降下してきた。彼女は衝突を避けるべく進路を僅かに左に調整し、その直後ヴァルムが彼女の頑丈な皮膚と触れ合うほど近くを下に飛び過ぎた。彼は真紅の翼で力強く大気を打つと、藍莉の右側に上昇してきた。表情にはまるで恋人とデートしに来たかのように、任務のことなど考えていないかのような悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。

「お前の説教はまるで催眠術のような効果を齎してくれる。此処で墜落するのは願い下げだな」
「あら、墜落しても別のポケモンのエサになることは無いと思うけど? この寒さだもの。それに、あたしはそんな面倒な方法使わないわ。もっと簡単な方法がある」
「へぇ、たとえば?」

 しかし彼の言葉は藍莉が右前足の鋭い爪を輝かせたのを見、尻すぼみとなった。これ以上彼女をからかうのは危険だ。いくら相棒とはいえ、任務の邪魔になると判断すれば藍莉は容赦ない。彼女と何年も共に訓練し、任務に就いた彼はそれをよく理解していた。
 そんな彼の様子を見た藍莉は満足げに頷き、口元を綻ばせた。



 これが藍莉だ。現在のマグマ団の頭領である狼我のパートナーであり、マグマ団の制空戦の切り札。元々気の強い性格に狼我による手ほどきが加わった彼女はまさに大胆不敵、恐れを知らぬ怪物と化した。勝気で強気な彼女は、自分にとって好ましくないことが起こるとすぐかっとなる悪い癖がある。解決方法も牙や爪の伴う荒々しいものを好む。しかし、マグマ団という組織に所属するようになってからは、高度な情報処理能力が身に付き大分冷静に考えられるようにもなった。
 彼女の攻撃的な性格は任務中の戦いの中において、圧倒的な強さとして現れる。彼女の前で異を唱えようものなら、次に口を開くことはできない。



「あんたみたいな男も、限度は弁えてるみたいね? 感心したわ」
「お前もしつこいな……俺は」

 口から出かかった言葉を飲み込むヴァルムの目が、はるか前方で銀色に輝く一点を睨むように見つめた。藍莉も彼に倣い、それから彼に目を戻す。相棒はニヤッと笑い、彼女に目を向けた。

「お出迎え、だな。どうする?」
「あたしが突っ込むから援護しなさい、ヴァルム!」

 藍莉はたくましい翼で羽ばたき、今や五匹のエアームドとなったその光点に突っ込んでいった。二対五、数で言えば圧倒的に不利である。

「了解した、藍莉」

 しかしヴァルムは落ち着いて、寧ろ楽しみにしているかのように応答し、速度を上げて藍莉の右後方にぴたりとついていった。この二匹の竜の標準的な編隊飛行である。
 対するエアームド達はお互い鳴き声で意思伝達を行うと、それぞれバラバラの方角に散った。多方向からの同時攻撃で藍莉達を迎え撃つつもりだ。

「ヴァルム、散開。互いに」
「背面を視界に留め、飛べ。だろ?」

 藍莉の言葉をヴァルムが引き継ぐと、お互いに頷いてそれぞれが自分の獲物を追った。散開した相手に対し、数の上で不利な場合は編隊飛行しても意味が無い。
 最初に敵を落としたのはヴァルムだった。彼はエアームドの進行方向を的確に予想し、ターゲットが飛ぶ少し前に火炎放射を放った。エアームドが炎に包まれ、悲鳴をあげながら氷に覆われた大地に落下していく。ヴァルムは右に急旋回すると追ってきた二匹を振りきり、別のエアームドを追う相棒の姿を探した。



 これがヴァルムだ。マグマ団で最近昇格したばかりの幹部のパートナーであり、マグマ団の強力な手札。制空戦・対地攻撃任務で共に非常に優れた技量を持ち、マグマ団内のポケモンバトルにおける成績は藍莉よりも優れているほどだ。彼は入団後驚くほど早く地位の階段を昇り、今では藍莉の相棒というかなりの責任が伴うポジションに居る。ややデリカシーに欠ける部分があるが、それを補って余るほど誠実でマグマ団やチームメイトに尽くそうとする。
 そして今回の任務では、彼は藍莉に自らの命を差し出す覚悟すらあった。



 彼から三キロほど離れた場所で藍莉は戦っていた。彼女はバレルロールと呼ばれる、空中で横に移動しつつ身体を回転させる高度な技で追手の攻撃を避け、自分が追跡する相手の背に強烈なドラゴンクローを叩き込んだ。しかし彼女の攻撃は抜群の防御力を誇るエアームドにはあまり効果が無く、鋼の皮膚に小さなへこみをつけただけだった。

「ん、今のはあまり良くないわね……」

 彼女は体勢を立て直そうと、反転して一旦標的から離れた。だが彼女をしつこく追い回している一匹はまるでケーブルに引っ張られているかのように、藍莉の背後から離れない。おまけに反転したのをいいことに、彼女がつい先ほどまで追っていたエアームドも旋回、右に飛んできて藍莉の行動範囲を狭めてきた。
 ヴァルムが警告の咆哮を轟かせる。

「藍莉! 後ろに二匹張り付いてるぞ!」
「んなこと解ってるわよっ! そういうあんたも後ろに一匹――」

 その時、後方から放たれたエアスラッシュが藍莉の肢の空のように蒼い皮膚を傷つけた。元々ボーマンダは戦いを好む種族であるため、身体もそれに適応している。頭領の狼我から直接手ほどきを受けた藍莉の皮膚は特に頑丈だ。したがってこの程度の攻撃で致命傷になることはまず無いが、それでも当たり所が悪ければ、たとえば翼の付け根を攻撃されればそのまま墜落に繋がる。彼女は攻撃してきた相手を睨むと、怒りの咆哮を発した。

「ヴァルム! シザークロスよ!」
「俺もそれを考えていた」

 彼女の言うシザークロスは単なる技名ではない。ハッサムから繰り出されるハサミのように鋭い一撃にあやかった空中戦術としての技である。二匹は猛スピードで追っ手を引き連れ、お互い逆の方向に飛び去った。エアームド達は速度を上げてぐんぐん迫ってくる。藍莉とヴァルムはほぼ同時に反転し、相棒に向かって真っ直ぐ矢のように飛んだ。
 通常、こんなことを普通のポケモンがするのは自殺行為である。気流が少しでも乱れて運動の安定が損なわれれば、互いに正面衝突することになるからだ。音速に近い速度で衝突すれば、仮にハガネールのような丈夫な身体を持っていたとしても無事では済まない。
しかし藍莉とヴァルムは普通のポケモンとは違う。この二頭のボーマンダはマグマ団の中でも屈指の実力を持つポケモンなのだ。彼らは全神経を研ぎ澄まし、お互いの腹が触れ合うほど近くをすれ違った。
 エアームド達もアクア団によって状況判断の訓練は受けていたことだろう。だがそれでも、彼らがこの大技に対処するには遅すぎた。藍莉を追ってきた二匹のうちの一匹と、ヴァルムを追っていた一匹が耳を塞ぎたくなるような音を立てて衝突し、数秒後には真っ白な雪原を真っ赤に染めていた。辛うじて衝突を免れた一匹も空中でバランスを崩し、まだ体勢を立て直す前に藍莉の火炎放射に焼き払われた。

「あと一匹ね。ヴァルム、油断して落とされるんじゃねぇわよ?」
「その必要はねーよ」

 藍莉の首元目掛けて急降下してきたエアームドを体当たりで退けたヴァルムが、すぐ左側を飛行していた。彼は口元を小さく綻ばせ、逃げ去っていく獲物から藍莉に目を向けた。

「俺が助けに来た」

 これが藍莉とヴァルムだ。二匹は一体の戦士の半分ずつであり、誰よりも、家族や友人よりもお互いを理解している。彼女達はマグマ団の武器となり、幾度も宿敵であるアクア団に鉄槌を下してきた。特に制空戦で勝たなければならない時は、大抵彼女達が呼ばれる。
 一部のマグマ団員の間では、頭領が直々に指導した藍莉と、驚異的な速度で上位の地位を得たヴァルムのどちらが強いかという話が出たことも何度かあった。しかし、彼らの議論は何時も同じ答えに行き着く。
 どちらが強いかなど関係無い。
 彼女達は、相棒同士なのだから。
 戦うことなど、あり得ない。

「敵は全員殲滅か? 簡単過ぎるな」
「そうね。あのエアームドのルートを確認し、狼我に報告しましょう? あのエアームドはおそらく、あんたの思っている通り“小手調べ用”。きっと上に報告するでしょうし。あれに行く先には、必然的に標的があることになる」
「罠だったら? そう見せかけた」

 相棒の問いに、藍莉はニヤリと獰猛な笑みを浮かべて見せた。

「だったらそれに飛び込むまでよ」


第二章 Inferno 〜焔〜



「くそっ、ハイドロポンプが凄まじいな!」
「俺のバクーダがやられた! 俺の手持ちはあと一体だぞ!」
「増援はまだか!?」

 作戦区域ブレイブ0四。鬱蒼と茂る密林を二つに分ける大河のあるこの場所で、マグマ団とアクア団は激しい戦いを繰り広げていた。ギャロップの吐き出す炎が木々やアクア団員を焼き、ギャラドスの作り出す濁流が小さな草木をマグマ団員もろともなぎ倒していく。
 マグマ団はアクア団が火山活動に影響を齎す装置を研究していることを突き止めるやいなや、このブレイブ04に多くの人員を投入した。大地を広げることを第一目的とするマグマ団にとって火山は神聖なものであり、最優先で保護せねばならないためだ。もし敵がその火山の活動を人為的に制御できるようになれば、目的を達成することが著しく困難になる可能性が高い。装置を奪うか、破壊する必要があった。
 彼らは攻撃チームを三手に分けた。まず二チームがアクア団の研究施設の真正面に侵攻し、敵を釘付けにする。そして一チームが距離的に近い、施設背面の大河から侵入、装置を処理するというものだ。
 チームは無事に展開し、計画は順調に進んだかに見えた。予想通りアクア団は真正面に多くの戦力を配置していた。しかし作戦のキーポイントである背面にも予想を上回る規模の人員を割いていたのだ。しかも大河の水を味方につけたその戦力は強大で、正面攻撃チームに比べ小規模な侵入チームはその猛攻に圧倒され渡河することができずに居た。増援が駆けつけるにはあまりに時間が無い。
 このままでは侵入チームは壊滅してしまう。この作戦に参加した侵入チームのマグマ団員達は、誰もが天に祈るような思いでいた。だが勿論、祈れば作戦が成功するほど戦いというのは甘いものではない。
 彼らは絶望感に打ちひしがれ、刻々と迫る死を覚悟した。
 上空で輝く太陽を背に二匹の竜が急降下してくるのが見えなかったからだ。彼らにはその竜達が口に火炎放射をチャージするところも見えなかった。
 二頭の竜、ボーマンダだ。たった二匹の。だが、それだけで十分だった。
 マグマ団の強力な手札が二枚、まだ残っていた。

「弾幕の中に突っ込む!」

 たて続けに飛んでくる冷凍ビームをかわし、ヴァルムが低空飛行で発信源であるトドゼルガに突進した。彼の前足の鋭い爪が相手の胴体を切り裂き、トドゼルガを即座に戦闘不能にする。別方向からハイドロポンプが迫れば、宙返りをうった。そしてヴァルムに敵が気を取られているうちに、藍莉が確実にアクア団のポケモン達を撃破していく。
 渡河する上での脅威を排除すると、彼女らは対岸で攻撃体勢を取っているアクア団のポケモン達に飛び込んだ。二匹の竜は最初の獲物であるメノクラゲに飛行時の速度を維持したまま飛び掛ってなぎ倒したかと思えば、それを力強い顎で引っ張り、四方八方から次々と飛んでくるハイドロポンプの盾にした。

「っさいわね、死にたくなければさっさと退きなさい!」

 藍莉はメノクラゲに食い込ませていた鋭い牙を離し、大地をたくましい後ろ肢で蹴って行く手を阻むシザリガーに強烈なタックルをお見舞いした。シザリガーは圧倒的体重差によって大きく後方に飛ばされたが、受身を取って起き上がり彼女にその巨大な鋏を開いた。

「それが答え?」

 獰猛な笑みを伴った藍莉の質問には、二本のバブル光線が返ってきた。彼女はサイドステップでそれらを余裕で避けたが、後方から迫る長い触手に四肢を拘束されてしまった。藍莉は唸り声を上げてもがくも、ドククラゲの触手はきつくで彼女の動きを封じ続けた。これだけきつく縛られていては、噛み付いて解くのは困難だ。自分の鋭い牙を自分の皮膚に突き立てるのには、彼女はあまり気乗りしなかった。
 代わりに彼女は自由な両翼を大きく広げた。相手は全力で藍莉を地上に留めようとしたようだが、ドククラゲの触手の力はボーマンダの揚力を押さえつけることができるほど強くはない。彼女は問題なく相手の真上に飛ぶと羽ばたくのを止め、百キロを越える体重でその上に落下した。
 ドククラゲを踏み潰す感覚は、こんなにも気持ち悪いのね。彼女は足の裏の感覚に、思わず顔をしかめた。

「おい相棒、まだ死んでないだろうな?」

 彼女の相棒は竜の波動で藍莉の襲い掛かろうとしていたシザリガーを退け、藍莉の元に走ってきた。藍莉はドククラゲの死体から足を引き抜き、ふっと疲れたように顎で自分の身体を示して見せた。

「なんとか生きてるわ。でも、足が死にそうに気持ち悪いかも」
「そこの川で洗ったらどうだ?」
「ただでさえ血で汚れているのに、もっと汚せって言うの?」

 侵入チームが渡河を始めたのを見届けると、二匹は並んで上空へと上がり、それを低空で見守った。先ほどまでの会話は何処へやら、彼らは黙り込み表情は硬かった。幾度に渡る戦いは彼らを強く結びつけたが、同時に彼らから笑顔というものを奪ったのだ。
 二匹はそんなお互いの表情を見ているのが辛かった。だから二匹は相手の笑顔を少しでも引き出そうとし、また応えようとする。今回先に口を開いたのは藍莉の方だった。

「最初に倒した六匹のギャラドスだけど、そのうち四匹はあたしのポイントにさせてもらうわよ? あたしのドラゴンクローのほうが先に決まっていたし」
「おい、藍莉……」
「何よ、半分に分けろですって?」
「違う!」

 彼女の予想に反し、ヴァルムは強い口調で返してきた。藍莉は反射的に身を強張らせると、恐る恐る相棒の表情を見やった。
 驚いたことに、彼は苦痛の表情を浮かべていた。顔は引きつり、眉間には皺が寄っている。先ほどの攻撃が悪いところに命中したのだろうか? もしそうなら、同じチームメイトとして適切な処置をせねばならない。彼女は心配そうに表情を曇らせ、ヴァルムを見た。

「ヴァルム……?」
「ごめんよ、藍莉。心配するな、まだ任務は続行できる。ただ……」
「ただ?」

 ヴァルムは深い溜息をつくと、ちょうど川の真ん中にまで進んだ侵入チームを顎で示した。

「悲しいんだ。世界には、大地と海の両方が必要だって俺は思っている。どちらかだけが大きくなっても、生き物は生活していけない。それを、あたかもどちらか一方のみが重要であるかのように、彼ら人間は争う。いっそのこと、両方滅びてしまえば良いと――」
「ヴァルム!」 

 今彼は何て言ったの……? 藍莉は顔面にエビワラーのパンチを食らったような感覚を覚えた。たった今相棒が口にした言葉が頭の中を駆け回り、眩暈を齎す。
 ヴァルムは僅かに首を下げ、小さな溜息を漏らして首を横に振った。彼は藍莉を安心させるかのように疲れた笑みを浮かべていたが、目は嘗て見たこともないような冷たさを帯びていた。

「ああ、俺が今とんでもないことを言ったのは重々承知しているよ、藍莉。さあ……仕事がまだ残っているんだったな、続けようぜ」
「ええ、そうしましょう。でも一つだけ言っておくわ。あたしは任務の邪魔になるようなら、容赦なくあんたも落とす。いいわね?」
「同じことを何度も言うな藍莉、耳にたこができる。訓練の時散々聞かされた言葉だし、俺だってそうするさ」

 その後、二匹は黙って上空で哨戒を続けた。それが気まずい雰囲気を作り出していることを両者共に理解していたが、口を開かなかった。今口を開けば、どれだけ相手を傷つけるか分からないのだ。先ほどの会話は、何時もの冗談交じりの会話とはどこか違っていた。あの会話は間違いなく、両者が不快に感じたのだ。それも、かなり不快に。

 藍莉はヴァルムを横目で見つめた。 ヴァルム、一体どうしたというの?

「そんな目で見るな、藍莉。ほら、侵入チームが上陸した。連中を施設までカバーするのが、俺達の仕事だ。先に帰りたければ、帰ってもいいんだぜ?」

 ヴァルムは声を何時もの陽気なものに戻し、藍莉をからかっているのかニヤッと表情を綻ばせた。

「ええ……そうね」

 しかし対照的に藍莉の声は沈んでいた。普段ならここで彼女らしく強気な口調で返すところなのだが、それができない。任務に邪魔になる感情を押し殺すことができる筈が、今回はできない。それだけ先ほどの彼の発言は衝撃的だった。
 そんな彼女を見なかったように、ヴァルムは真紅の両翼の角度を微調整し、藍莉から遠ざかっていく。

「……! ヴァルム!?」
「何ボヤボヤしてんだ、あっちで派手に火の手が上がったのが見えないのか? 下の連中を守るぞ!」

 良かった。彼女は安堵の溜息を胸の中で漏らした。あのまま相棒が何処か遠くへ行ってしまうのではないか、藍莉はヴァルムが自分から離れた時に反射的にそう考えてしまったのだ。
 馬鹿ね、あたしは任務のために飛んでいる。彼のためじゃない。彼女は苦笑混じりに首を横に振り、了解の意を込めた咆哮を轟かせると、対地攻撃に入るヴァルムの後方上空へと移動した。

「藍莉、二匹で同じターゲットをやってもダメだ。お前は他を当たれよ」
「あたしに命令しないでよ。この場で命令する権限があるのはあたしよ?」
「ああ、そうだったな。すっかり忘れていたよ。で、オーダーは何でしょう? ボス」

 アクア団のゴルバットを排除し、一時的にチームの進行ルートを確保した相棒は急上昇し、藍莉の右側についた。命令を待つ間にも彼は地上を見下ろし、周囲を警戒している。命令が来た時、即座に動けるようにするためだ。

「あんたは侵入チームの上空を守りなさい。あたしはその外周を警戒する」
「おや、俺の助けが無くても大丈夫かい?」

 くるっと背を地面に向け、つまり逆さの状態になったままヴァルムが藍莉に笑いながら問う。ばかにされていると感じたのか、藍莉は口角を少し下げ唸るように返す。

「あら、あんたに助けられたことがあったかしら?」
「幾つもあったと思うが。そうだな、たとえば作戦区域インフェルノ三十二では……」
「あれは狼我のミスよ。あたしのせいじゃないわ!」
「今回は彼のせいにすることはできないな?」

 意地の悪い笑みを浮かべたヴァルムは姿勢を戻し、追い詰めるように彼女の顔に首を伸ばす。その距離があまりに近く、藍莉は思わず目を逸らした。

「とにかく、早く命令通りに動いたらどう? 心配いらないわ、全部片付けておくから」
「俺がお前の期待に添わなかったことがあったのかな?」
「ええ、そうね」

 今度は藍莉がニヤッと笑う番だった。

「たとえば、作戦区域インフェルノ三十二で……」

 その言葉を合図にしたかのように、藍莉は相棒と分かれ侵入チームから遠ざかっていった。ある程度遠ざかったところで彼女はそのチームを中心点とし、円を描くように木々の上空を旋回し始めた。
 マグマ団の侵入チームに襲い掛かろうとする者は、まずこの藍莉の目から逃れる必要がある。常に上空で旋回を続ける藍莉の目は非常に広い範囲を見渡すことができ、真後ろと周囲四十五度の範囲を除き、出し抜くことは困難と言えよう。
 仮に藍莉の目を逃れたとしても、今度はチームのすぐ上を飛行するヴァルムが待ち受けることになる。彼は藍莉とは反対方向に円を描いているため、見つからないように接近するためには複雑な経路をとる必要がある。勿論、そんなことをしているうちにチームは遥か先に進んでいる。
 つまり、藍莉とヴァルムが同調して動いている限り、この警護を打ち破ることは不可能だ。そしてそれは今のところ完全に機能している。その機能もチームの施設への侵入と共にその役割を全うする。
 藍莉は事前の狼我の指令通り、チームの脱出経路を確保する仕事に移っていた。彼女は侵入口に鈍い音を伴って着地し、敵の襲撃に油断なく目を光らせた。その上空をヴァルムが低空で滞空し、カバーする。こうして出口を見張り迅速に脱出するのである。
 彼女はつい先ほど味方が侵入した出口のある背面を除く、全方位をカバーしていた。だが、攻撃はまさにその唯一の無防備な方角から来た。藍莉の背後、つまり出入り口からだ。凄まじい衝撃と熱が彼女の背を叩き、軽々と遠くに吹き飛ばす。あまりに突然だったため彼女は姿勢を制御できず樹木にぶつかり、地面に腹から落ちた。そして熱によって炎上した木が裂けるような音を立て、彼女の上に倒れてきた。

「―――ッ!!」

 藍莉は背中にのしかかる痛みと熱さに悲鳴を上げた。脱出しようとたくましい四肢で踏ん張るも、力が入らない。生物が予期せぬ突然の出来事が起きたときに起こすパニックと呼ばれる状態のせいで、あるはずの力までも出ないのだ。
 落ち着いて、生きたければ落ち着きなさい。彼女は自分にそう言い聞かせ、肺を有毒なガスから守るため浅く呼吸し、動きを止めた。すると、自分でも驚くくらいに周りの状況がよく見えてきた。
 彼女は施設から東に十五メートル程離れた森林地帯に飛ばされたらしい。しかしその森林も大半が焼け、彼女の周りは焼け野原だった。だが、その炎も施設を包むものに比べればまだ軽度と言える。
 その施設――正確には“だったもの”だが――は上空に黒煙を吐き出し、空を真っ赤に染めていた。その様子はまるで、侵入チームの魂が天に昇っていくようにも見える。あの爆心地に居た彼らが生き残っているとは到底思えない。それにヴァルムは? さっきから彼の陽気な声が聞こえない。ひどい怪我をしているか、もしかしたら死んだのかもしれない。
 あの施設はデコイだった。藍莉は守るべき者を守りきれなかった悔しさを噛み締め、力の戻った肢で背中の木を浮かせるとそこから這い出た。痛む体を引き摺り、彼女は荒い息遣いで比較的安全な、炎の手がまだ届いていない茂みに身を横たえた。あの爆発は自分がどうにかできた問題ではないにせよ、彼女は自分を責めずにはいられなかった。自分に任せられた任務を完遂できず、死傷者を出してしまった。それも、自分以外全滅という形で。こうなるくらいなら、いっそのことあの爆発で自分も死んだほうがましかもしれない。

「ヴァルム……」

 何より、相棒を失ったことが藍莉の心を苦しめた。あのボーマンダは任務だけでなく、アジトにおける日常でも藍莉の神経を逆撫でする気に入らないところもあったが、それでも彼と共に仕事をするうちに何かが芽生えた。
 そう、友情以上の何かが。
 あの雪原での偵察任務以来、藍莉はヴァルムと飛ぶのを楽しみにさえするようになった。相棒の刺激的な発言にすっかり慣れ、不快どころか寧ろ愉快と感じることができるようになったのだ。
 だが、今後はそのお楽しみも無い。彼女が悲しみに耽っている中、不意に後ろで草を掻き分ける音が聞こえた。

「ヴァルム……?」

 藍莉は傷だらけの首を持ち上げ、後方に顔を向けた。だがそれ以上自分から動くことは避けた。万が一相手がアクア団の捕虜収容チームだった場合、満身創痍の藍莉は抵抗することができない。
 掻き分ける音はそのまま彼女に接近してきたが、不意に止んだ。彼女はこういった状況が大嫌いだった。意味もなく音が止むはずが無い。必ず何か理由が――
 彼女の直感は正しかった。顔を前方に戻した時、視界に飛び込んできたのは鋭い爪だった。しかし藍莉はそれが頭に命中することを防ぐことができず、彼女の意識は暗闇へと落ちていった。


第三章 Restart 〜新たなる始まり〜

 

 藍莉はあれから何が起きたのか分からなかった。ただ、意識が戻った時に彼女はマグマ団のアジトの医療室に居た。傷はまだ残っていたが、今すぐにでも戦える気分だった。しかし、その気分を粉々に打ち砕くような事実を、彼女は狼我から知らされることになった。
 ヴァルムが行方不明だというのだ。あれから救助チームが施設の跡を捜索したが確認することはできず、生存は絶望的と見られているらしい。まさかの事態が、現実になったのだ。藍莉はあの戦いで、相棒までも失った。
 彼女は悲しみに打ちひしがれた。だが、それに長く囚われている時間は藍莉に残されていなかった。作戦区域ブレイブ0四におけるマグマ団のターゲットであった装置を、アクア団が遥か西にある巨大火山でテストするという情報が入ってきたのだ。マグマ団としては早急に阻止しなければならない。
 この任務に藍莉は自ら狼我に志願した。狼我は彼女の身体がまだ完全に回復していないことを理由にそれを断った。だが、藍莉は頑固に出撃を申請し続けた。彼女にとって、今回の任務は弔い合戦だった。
 死んだ仲間の、そして自分の相棒の。
 
 藍莉は攻撃チームと共に火山に向かうことを許された。そして今、彼女は隊長であるヴォルク0一の指示の下、真紅の両翼で力強く羽ばたき仲間と共に作戦区域上空を低空で飛んでいるのだった。

「なんてこった! ヴォルク0二が落とされたぞ!?」
「いいから藍莉についていけ! 残り何人残っている?」
「攻撃チーム残り八!」

 マグマ団は迅速な対処を必要としていたことから、機動性に富むフライゴンに乗ったマグマ団の特殊攻撃チーム、ヴォルク隊を派遣した。彼らは地上からくるアクア団の猛攻を避けつつ、火山の頂上を目指した。彼らはマグマ団の中でもかなり腕の立つ団員だったが、はじめ十人居た彼らも既に一人が離脱、一人が落とされていた。

「今回は相手も必死ですね、ボス!」
「無駄口を叩いているうちに落とされるぞ、ヴォルク0五」

 ボスと呼ばれた団員は部下を厳しい口調で嗜め、真紅のマグマ団のユニフォームを風に靡かせ、ただ前方を見据えていた。前方は飛来するハイドロポンプや冷凍ビーム、バブル光線で殆ど見えないが、遥か前方に真っ赤な炎を上げる山頂が僅かに見えた。
 一体何時になったらこの“嵐”が止むのだろうか。彼はパートナーのフライゴンの首にしがみつきつつ、そう願った。そうしている間にも、彼の隣を飛んでいたヴォルク0五のフライゴンを冷凍ビームが撃墜した。
 嵐は収まるどころか、さらに激しさを増した。ヴォルク隊のフライゴンは窒息したようにか細い声を上げ、飛行も不安定になってきた。嫌気性の生成物がフライゴンの翼の筋肉からエネルギーを奪っていくのだ。
 その生成物は藍莉の翼にも例外なく存在していた。だが、彼女はまっすぐ前方を見据え、猛攻に臆することなく本能に任せ、迫り来るビームを嘲るように簡単にかわしていく。
 彼女にとって疲労や回復しきっていないダメージなど問題ではなかった。今の藍莉は、怒りのエネルギーで飛んでいるようなものだった。マグマ団のチームメイト、相棒を失った悲しみを心という反応炉で爆発させているのだ。アクア団にも同じ思いをさせてやる、彼女は何としてもこの任務を完遂させるつもりでいた。

 突然嵐がぴたりと止んだ。地上を見れば、アクア団の迎撃チームが全速力で岩陰へと隠れていくのが見えた。あの時と同じ、“一見意味のない行動”だ。相手がこのような動きを見せるときは大抵、何かトラップを準備している。藍莉は表情を曇らせた。
 彼女の思惑はまたも的中した。地面が急に揺れだしたかと思えば、前方の火山の火が急激に大きくなったのだ。その火は天まで届くかのような巨大な炎の柱へと変貌し、直後熱せられた岩の巨弾が藍莉とヴォルク隊へと雨霰と降り注いだ。
 たちまち三匹のフライゴンが巨弾の餌食となり、見るも無残な姿に成り果てた。だが、それは誰も見なかった。見ることができるほどの余裕は、誰にも無かったのだ。

「こちらヴォルク0一。頭領、隊長権限で隊を後退させます。たった今ヴォルク0三、0六、0八がやられました。フライゴンの体力も限界で、このままでは全滅です! あなたの藍莉はまだ生存していますが、今すぐにでも離脱させるべきかと――」

 しかし、藍莉は既にヴォルク隊の遥か前方へと遠ざかっていた。彼女は降り注ぐ岩の間を縫うようにして飛び、避けられないと判断したものはドラゴンクローで粉々に粉砕していく。だがそのドラゴンクローも真上から来る火山弾には対処することはできない。次々と弾丸のように降って来る火山弾は今にも藍莉を叩き落しそうだ。ヴォルク0一は頭領からパートナーを預かる身として、撤退の際は彼女の安全を最優先せねばならない。

「藍莉! 直ちに引き返せ、本作戦は中止だ。繰り返す、本作戦は中止!」

 ヴォルク0一は火山の爆発音に負けじと叫んだ。藍莉はヴォルク0一の命令に従うよう狼我から言われていた。だが彼女はそれを無視し、ただ前に向かって飛び続けた。彼女はこの任務を終えるまで、アジトには帰らないつもりでいた。もっと正確に言うなら、任務を完遂して帰還するか、死体として拾われるかだ。
 後者になった場合帰れないかも。彼女は一瞬失敗した自分の姿を思い浮かべてみたが、すぐにそれを頭の奥へと押しやった。今はただ山頂にたどり着くことだけを考えていれば良い、それ以外は単に気を散らす原因にしかならない。
 藍莉は振り返らず、山頂へと矢のように飛んでいった。










 闇はとても強い。どのような場所にでも存在できるからだ。
 それらはテーブル、その上に置かれたコップ、モンスターボールの中に影として存在する。
 そして、人間の心、さらにはポケモンの心にも欲望といった形で存在する。
 闇は決して負けることはない。それは昼の明かりにも影として付きまとうからだ。
 光が強ければ強いほど、その影を濃くする。









 藍莉はついに火口にたどり着いた。彼女は地面を踏みつけ、徒歩でゴールまで進んでいく。あと数十メートルでブリーフィングで知らされたターゲットがある。
 彼女は一歩進むごとに、今後起こると思われる戦闘に必要なエネルギーをその強靭な肢、翼へと送り込んでいった。此処から先は彼女一匹で切り抜けねばならないのだ。此処に到達するまでにあれだけの人数が居たことを考えると、この先には数十人のアクア団員とそのポケモンが待ち受けている可能性すらあった。
 こげ茶色の岩壁に沿って進むにつれ、炎の熱が彼女の空のように蒼い皮膚をちりちりと焼き始めた。火口が近づいてきているのだ。そして、彼女は目標到達地点である火口がすぐそこに見える開けた場所に来ると、ようやくその足を止めた。
 登山中に見かけた炎の柱は収まっており、上空には黒煙が立ち昇っている。その煙を辿り、前方に目を戻すと藍莉の目に灰色のマシンが飛び込んできた。それはスイッチ類をピカピカと光らせ、ヴーンという人工的な音を出していた。どう見ても自然に存在する火山の中にこんなものがあるのは不自然だ。藍莉の直感はこれが目標物であると告げていた。
 そして幸いにも、アクア団や脅威になるポケモンは一匹も居なかった。アクア団はあの火山弾の嵐をマグマ団が抜けてくると思わなかったのか、今やターゲットは完全無防備な状態で放置されている。
 仮に敵が隠れていたとしても、それが何? もっと酷い状況だって経験している。今程破壊できる絶好のタイミングは無い。相棒の敵を討つチャンスは、これを逃せば二度とめぐってこないかもしれない。藍莉は躊躇いなく走り出し、マシンに向けて突進していった。
 しかしあと一歩のところで藍莉の目の前で緑色の閃光が炸裂し、彼女を衝撃で下がらせた。今の閃光は竜の波動と呼ばれるドラゴンタイプの強力な技だ。今は亡き相棒、ヴァルムはあの技を完全にマスターしていたため、彼女は即座にそう判断できた。彼女は攻撃の放たれた方角を見、身構えた。
 彼女が見た先には、一匹のボーマンダが真紅の翼を広げ、彼女を見下ろしていた。溶岩の赤い光に下から照らされたその姿は、藍莉が幼い頃に聞かされた地獄の怪物を思わせる。だが、よく見るとその姿には見覚えがあった。 

「よう相棒。まだ生きてたか」

 ヴァルム! 失った筈の相棒が目の前に居る。任務もやりやすくなる。彼女は期待感に胸を膨らませ、右前足をゆっくりと前に踏み出した。

「ヴァルム! ちょうど良かった、そこで待機して周囲を警戒していてちょうだい。あの装置を破壊してくるから――」

 だが藍莉の話を遮るように、相手は再び竜の波動を彼女へと放った。あまりに正確に狙ってくるので、藍莉は真紅の両翼を使って勢い良くバックステップする必要があった。緑の閃光が再び炸裂し、藍莉が先ほどまで居た場所を吹き飛ばす。

「ちょっと! 冗談にしては限度を超えているわよ!? 今のは危なかった!」
「流石、腕は衰えてないんだな」
「どういう意味よ?」

 藍莉の問いにヴァルムはゆっくりと地面に舞い降り、鋭い目で彼女を見据えた。

「当てようと思って放ったってことさ。装置は破壊させない。それは、世界をリセットするために必要だ」
「え……?」
「説明させてくれ、藍莉。俺の相棒であった君なら解ってくれる筈だ」

 ヴァルムは相棒を中心に円を描くように歩き、言葉を紡いでいく。時々溶岩の動くゴロゴロという音と地響きが、二匹の居る空間にこだまする。

「お前も俺も元々は野生のポケモンだ。俺達は自然の中で生まれた。育ちがマグマ団だっただけのことだ」
「ええ、そうでしょうね」
「それはマグマ団の、アクア団の人間も皆一緒だ。詰まるところ、自然の産物なのさ。それを連中は……」

 彼は顎で装置を示し、心底うんざりしたような溜息を漏らした。

「あのようなものでコントロールしようという、とても、愚かな行為をしようとしている。生みの親を冒涜する行為だ。そしてあの二つの巨大な組織がぶつかり合うたびに森が焼かれ、おびただしい量の血が流されている。どちらかが大事だのという、くだらない理由で。だから――」
「あの装置をあんた自身が使い、世界を焼き尽くす。そういうことね?」
「流石は俺の相棒、よく解ったな。あの装置には火山活動を極度に活発化させるシステムも備わっている。一時的に俺が自然をコントロールすることになるのは解っている、だがそれが結果的にこの世界にとって大きな利益になる。くだらない争いに俺がピリオドを打ち、真の平和を齎す。解ってくれるな? 相棒」
「ええ」

 藍莉は口元に獰猛な笑みを浮かべ、相棒を見つめた。

「あたしが何としても、あの装置を破壊する必要があるってことは。さっきあたしなら理解してくれるって言ったかしら? 残念ながら、ほんの僅かにも理解することはできない。あたしは、狼我と共に行動することに決めているから」

 彼女の返答にヴァルムの両眼がスッと細められた。彼は藍莉に背を向け、装置へと向き直った。

「それは、残念だな。最後にチャンスをやるよ藍莉、昔のよしみで。今すぐここを立ち去り、どこか遠くへと逃げるといい。安心しろ、アクア団はもう襲ってこない」
「それができればどんなに楽かしらね。仲間を平気で裏切る――」

 自分が口にした言葉で、藍莉はハッと息を呑んだ。彼女の脳裏に、ブレイブ0四における大爆発が過ったのだ。
 ヴァルムは藍莉に背を向けたまま、小さく笑い声を上げた。

「そうだよ藍莉。あの爆発には俺も関与している。俺はアクア団と接触し、あの施設にトラップを仕掛けた。予想通り、攻撃チームが壊滅してくれたよ。いや、正確には違うな。一つだけ予想外なことが起きた」

 彼は首だけ藍莉に向け、残念だと言わんばかりに疲れた笑みへとその表情を変えた。

「お前だけは生き残った。とどめのドラゴンクローを仕掛けたにも関わらず」
「ッ、あんただったのね……」
「できれば戦いたくないんだ、藍莉。だがな、味方にならないのなら敵にだってなる。マグマ団でも教わっただろう?」
「ヴァルム!」

 藍莉はこれ以上聞きたくないとばかりに吼えた。だが、それに対する返答は燕返しだった。藍莉は鋼のように硬い爪でそれを弾き、ヴァルムはそのまま弧を描くように上昇していった。

「どうしてもと言うのなら、仕方がないわね」

 藍莉も翼を広げて飛び上がった。両者は空中でぶつかり、ドラゴンクローが火花を散らした。その火花に呼応するように、彼女らの頭上で火山が爆発した。



 二匹の戦い方はそっくりだった。 火炎放射は上昇でかわされ、繰り出される爪は受け止められた。先を読んで攻撃を仕掛ければ、顔面に太い尻尾が飛んでくる。無理もない、彼女達は随分と長い時間一緒に戦っていたのだ。彼女達は一人の戦士の半分ずつのようにお互いを理解している。その理解は非常に強いチームを作り出した。だが今は全く違う目的でそれが利用されていた。

 ただ、相手を倒すために。

 彼女らは敵同士となったのだ。マグマ団対アクア団という組織的なものでも、光と闇という正義の戦いでもない。この戦いは、藍莉とヴァルムという個人間の戦いだった。お互いが相手につけた傷に対するもの。藍莉は嘗ての相棒がマグマ団という仲間を、何より自分を裏切ったことが許せなかった。対するヴァルムからしてみれば、命がけで実行に移した計画に嘗ての相棒が理解を示さないことに激怒した。この二匹の戦いには審判が居ない。制限時間も無い。戦いは二匹のうち、どちらかが倒れるまで続くだろう。

「あの二大組織が、俺達に何を齎した? 重要なのは大地か、大海原か。そんなくだらない選択をめぐり、もう何年も終わり無き傷つけ合いを繰り返してきた」

 バランスを崩した藍莉へと放たれた竜の波動を目で追い、ヴァルムは悲しげに言葉を紡ぐ。だが藍莉が身体をスピンさせてそれを避けると、彼の声音に怒りが混じった。

「新しい時代には、そのようなことで無駄な血を流さないで済む。そのための装置なんだ、お前にそれが解るか藍莉!」
「それによって奪われる多くの命のことを考えたことが、少しでもあって?」

 複雑なルートでヴァルムへと接近した藍莉は急所である首下へと噛み付こうとした。嘗ての相棒は溜息をつき、まるで嘲るように簡単にそれを避けると至近距離で竜の波動を彼女へと放った。
 藍莉は何フロア分も下へと落ちていった。そのすぐ後をヴァルムが追いかけ、追撃とばかりに竜の波動を連射してくる。彼は藍莉と何年も一緒に飛んできたため、頭領が自ら手ほどきした彼女を倒すのがどれほど困難かを知っているのだ。チャンスがあればその時に徹底的に撃ち込む必要がある。
 落下しながら火炎放射で相殺した藍莉だったが、彼女もその全てを防ぐことはできなかった。下のフロアの地面に着地する際に二発を胴体に受け、藍莉はバランスを崩して腹から地面に墜落した。口の中で血の味を感じたが、休んでいる暇は無かった。
 顔を上げると同時にヴァルムが唸り声を上げながら突進し、両前足によるドラゴンクローを繰り出してきたのだ。

「きれい事は、もううんざりだ!!」

 二匹の鋭い爪が再びぶつかり合い、火花を散らした。彼女らは両前足での取っ組み合いになった。だが、圧倒的な力にすぐに藍莉の両前足がしなり始めた。

「皮肉なものだな、まさかマグマ団同士で戦うことになるなど。……疲れているな藍莉。今からでも遅くはない、ここから逃げてくれないか」
「あたしがエスケープキラーでもあるってことを、あんたが忘れただなんて驚きね。誰よりも近い位置に居たと思ったのに」
「距離が近過ぎたな」

 火山の黒曜石のように冷たい色の笑みを浮かべたかと思えば、ヴァルムのたくましい両腕にさらに力が注ぎ込まれた。このままでは前足が折れる。彼女は歯軋りし、火山の黒い砂を捉えていた後足が滑るのを感じた。
 実際藍莉は疲れている。だが、彼女はそれ以上に彼を倒すことに戸惑いを感じていた。何と言っても、ヴァルムは彼女の相棒だったのだ。彼女自身も驚いてはいるが、藍莉は彼を愛してさえいた。それゆえに彼女は相棒が道を外れていることに早く気付くことができなかった。そう、ヴァルムの言うように距離が近過ぎたのだ。
 藍莉はマグマ団に生還する必要がある。そのためには、この戦いに勝たねばならない。マグマ団を選ぶか、元相棒の提唱する新世界を選ぶのか。もっと正確に言うなら、狼我を選ぶか、ヴァルムを選ぶかだ。
 彼女は両者を天秤に乗せ、比べてみた。
 比べものにならない。
 彼女は決断を下した。
 彼との友情を、彼への愛情を捨て去った。

「これは、あんたとの楽しいフライトができたことへの敬意よ。あたしはあんたを殺さなきゃいけない」
「ああ、そうだろうな。だが、できるかな?」

 ヴァルムの声は力の戻った藍莉の腕によって尻すぼみとなった。彼女が先ほどまで見せていた疲れた様子は全く無く、寧ろこれまで以上に力が増したようにさえ見える。
 これはシナリオになかった筈だぞ。ヴァルムは体勢を立て直そうと両翼を使って素早く後方に下がった。だがそれは予測済みとばかりに、藍莉は飛んで彼を追ってきた。彼女は右前足を大きく振りかぶると、ヴァルムの左の翼へと振り下ろした。おかげでヴァルムは着地に失敗し、情けなく尻から落下することになった。
 彼は立ち上がると翼の激痛に表情を激しくゆがめた。恐る恐る目を向けると、翼の一部に向こう側の景色が見えた。今の一撃で翼を引き裂かれたのだ。これでは飛ぶことができない。ヴァルムは激怒し、元相棒へと怒りの咆哮を発して飛び掛った。おのれ、今の一撃を倍にして返してくれる!
 藍莉は彼とは対照的に、冷静そのものだった。彼女は待っていたわとばかりに翼を大きく拾げ、口に炎を溜め込んだ。ヴァルムが彼女の大技の一つであるバックステップブレスと気付いた時には既に時遅し、火球はヴァルムが着地する前に爆発し、撃った本人はその衝撃を両翼に受け大きく後ろへと下がっていた。
 衝撃波は空中で彼を捉えた。ヴァルムは再び宙に吹っ飛ばされ、溶岩溜まりへと繋がる穴へと横に転がっていった。
 何だと? 彼は必死で地面に爪をたて、身体が地獄の炎へと落ちるのを防ごうとした。だが火山の黒い砂はもろく、彼の努力は寧ろ逆効果になった。不幸中の幸いにも下半身が絶壁から乗り出したところでようやく前足の爪が地面を捉え、彼は岩肌に腹部を強く打った。

「藍、莉……?」

 ヴァルムはぼうっとする頭でゆっくりと自分に迫る元相棒を見上げた。はるか下で煮立つ溶岩の熱が彼の尾、背中を焼き始める。いくらボーマンダとはいえ溶岩の熱はまりにも高過ぎ、彼は絶叫に近い声で藍莉に喚いた。

「何故理解してくれない! お前だって、この醜い世界が変わればと俺に話したことがあっただろう!? 何故止める!」
「たしかに醜い世界かもしれない。でも、命を奪う権利など誰にもない。あたしにも、あんたにもね」
「だがアクア団の命は散々奪ってきたぞ藍莉!」
「ええ、そうよ」

 藍莉はそれも予想済みとばかりに、溜息をついて首を横に振った。

「彼らはあたし達の敵だった。殺す理由がある。重要なのは、あたしには、その奪った命の重さを背負って生きていく覚悟があるということ。あんたはどう? あんたが奪おうとしている命には、彼らだけでなく何の罪も無い人間やポケモンも含まれている。そんな多くの命の重さを、あんたは背負っていける?」

 悲しげな声音で言葉を紡ぎ終え、彼女は血のこびりついた右前足を振り上げた。

「さようなら」

 そして躊躇い無くそれをヴァルムの捉えていた地面へと振り下ろした。衝撃でそれにヒビが入り、砕ける。唯一の命綱を断たれた彼は、真っ赤な炎に向かって落ちていった。それはまさに業火と呼ぶに相応しい光景かもしれないが、藍莉はそれを見ているつもりはなかった。まだ任務が終わっていないのだ。彼女はアジトを飛び立った時にやると決めていた任務をずっと放置していたことに驚いた。本来は最優先でやらねばならないというのに。
 彼女は左後足を引き摺り、装置までたどり着いた。残った力を振り絞り、それを先ほどヴァルムが居た場所にまで押していく。何時もの半分ほども力が出ていない状況だが、滑りやすい砂のおかげで難なく運ぶことができた。そして、それを頭で押して炎の中に放り込む。

 これで任務は完了した。だが藍莉はふと思った。この仕事は、本来ヴァルムと共にやるべきものだったのだと。任務を終えた時、彼女の右側には何時も彼が居た。彼女の神経を逆撫でするような、挑発的な笑みを浮かべて冗談を言う彼が。
 藍莉は溶岩の光でオレンジ色に染まる長い首を右へと向けた。だがそこにあるのは、彼女の影だけだった。