擬宝珠 作:影夜 投稿日時:10/11/15
世界は静寂に包まれていた。
寒々しい風の吹く甲高い音が、静かな森に音を呼び込む。傍にある湖には空に浮かぶ月とは別の、もう一つ月が描かれていて、それはゆらゆらと不確定な形を作り出していた。
霧の中から出てきた僕と僕のマスター、エリアルは、寒さに身を縮めながらここ、『風の湖』に来ていた。理由はどうという事は無く、ただ散歩に来ただけだ。本当ならもう一匹散歩に付き合わせるはずだったのだが、『寒いからヤダ』とかいう理由で、仕方なく彼女は置いて、ここに来たのだ。
僕たちは、とりあえず湖に向かって歩き出す。
「寒いなぁ……」
マスターは、自身の華奢で白い手を擦り合わせながら呟いた。
「こんな日は、炬燵に包まっておでんとか食べたいなぁ」
おでん、そういえば冬に入ってから一度も食べていなかったっけ。
「おでん……昆布……がんも……ツミレ……」
思わず好きな具を羅列してしまう。なんだか無性に食べたくなってきた。無意識に涎が出そうになったが、寸前で気付いて、なんとか抑える。
「渋いチョイスね。私は卵とかコンニャクとか大根でご飯三杯はいけるけどなぁ」
マスターの、その子供のような具のバリェーションに、思わず笑ってしまう。しかしあからさまに笑うと不機嫌になるので、なんとか声を抑えて、笑う。
「何よ、カレハ。笑わないでよ」
マスターは少し怒っているが、すぐに笑みを浮かべたのでそこまで気にしていないのだろう。少しの軽口なら、マスターは笑って許してくれる。
「あっ」
唐突に、マスターは湖のほうを見て声を上げた。つられてそちらに目を向けると、緑色のゆらゆらした炎のような光が複数、湖の上に浮かんでいた。
「流れ星……かなぁ……?」
マスターは困惑の表情を浮かべた。確かに流れ星のような大きさだが、流れ星と言うには低空過ぎだし、速度が遅いし、なかなか消えないし、なにより緑色だし。
マスターと二人(一人と一匹)で暫しじっとそれを見つめていると、その光は湖の中心くらいの場所で止まった。
「止まった? もしかしてポケモンか何かなのかしら? ……でもここからじゃよく解らないわね。カレハなら夜目が利くと思うけど、見える?」
マスターは光を凝視したまま僕に問いかけてきた。悪タイプは総じて夜行性や洞窟で暮らすポケモンが多い、つまりは暗闇の中でも目が利く種族が多いのだ。月光ポケモンと呼ばれる僕もその例に漏れてはいないのだが……。
「視辛いけど……人影に見える」
目の錯覚か、少し半透明に見えて認識しにくいのだ。
「ヒトカゲ? ヒトカゲならまだ飛べないでしょ。リザードンに進化しなきゃ……」
マスターは僕に顔を向けて、何言ってるのと言わんばかりの表情をした。マスターの少しアレな発言で集中力が途切れてしまった。思わずマスターに顔を向けて突っ込む。
「ヒトカゲじゃなくて、人の影。ほら、今僕たちの目の前に…………」
視線を湖に向き直すと、さっきまで湖の真上にいたはずのヒトカゲ……違う。人影が、何の音も気配も立てずに僕とマスターの目の前で浮かんでいた。
マスターより二等身分くらい小さく、僕よりも少し大きい小柄な体型。童顔な顔立ちに、栗色の髪に緑の小袖と袴に草履と、まるで――彼の体が半透明で、緑色の鬼火を纏っていなかったら――時代錯誤を現実化したような少年は、音も波紋も立てずに水辺へ降り立って……。
「……やあ、こんばんは」
ごくごく自然な仕草で、マスターと僕に挨拶をしてきた。
僕はといえば、警戒と困惑の狭間で格闘していた。マスターを横目で見ると、僕と同様に視線を向けている。どうやら同じ事を考えているらしい。僕の特性『シンクロ』を媒介して数秒脳内会議を開始。とりあえず挨拶はしておこうという結論に至った。
『……コンバンハ』
二人同時に、かなり不恰好なカタコトで話す。し、仕方が無い。普通に散歩に来たと思ったら半透明で鬼火を纏った変な人間に出会って……正気でいられるわけがない。
少年はマスターを見上げて、くすくすと可笑しそうに笑った。
「そんなに硬くならなくていいよ。悪いことは何もしないから、大丈夫だよ」
それを聞いて少し安心するが、口頭だけでは信用しがたいのでまだ警戒は怠らない。しかし警戒ばかりしては話が進まないと思ったのだろう。マスターは少年に目を向けて話を切り出した。
「……えっと、君は一体……?」
「僕は、そうだね、見ての通り……幽霊。あんまり信じたくないかもしれないけど……。名前は朱月。朱色の月って書いて、あけつき、だよ。君たちは?」
やはり幽霊だったか。マスターと再びシンクロを行使する。数秒後、『人の幽霊はいる。ゴーストポケモンだっているし、人だっていてもおかしくない』と、半ば無理やりな結論で会議は終了した。
「私はエリアル。このブラッキーはカレハよ」
「……よろしく」
「“エリアル”に、“カレハ”だね。よろしく」
「ええ。……ところで朱月、君? ここへは何をしに来たの? あ、別に他意はないけど」
マスターの最後の言葉は取って付けた言葉なのだろう。かなり慌てていた。おそらく幽霊だから呪い殺されるとでも考えたのだろう。何故僕がマスターの考えている事が解ったのかというと、僕にもその考えが過ぎったからだ。
「僕? 散歩してたんだよ。だいぶ寒くなって来たけど、その分、空気は澄んでて見晴らしがいいからね」
朱月は真上、つまり夜空を指さしてみせた。マスターは朱月の指につられて空を見上げる。
「確かに、そうね。私、こういう景色は好き」
夜空には半分に欠けた月と、点在する星々が黒い世界を彩っていた。
朱月は手を下ろし、今度は顔を上へ向ける。
「地上から見ても、いい眺めだよね」
それを聞いて、マスターはクスクスと笑った。
「幽霊って不の権化みたいなイメージがあったけど、一気に崩れたわ」
「人が語り継ぐお話の中では、あんまりいい扱い受けないもんね。幽霊って」
あははっと、まるで何も考えていなさそうな顔で笑った。
僕も想像していた人間の幽霊のそれとはかなり違うけれど、知り合いのゴーストポケモンにも、明るい奴とか寂しがりとか恥ずかしがり屋な奴もいる。人間にしてもそう、根拠の無いイメージだけで物事を判断するのは善くないだろう。
「でも、それは人間が主観だけで見ていたからなのよね。こんなロマンチックな幽霊がいたりするのにね、カレハ?」
と、再びマスターのアレな発言に相槌を求められた。そういうのは頭の中だけで言ってほしいものだ。
朱月はというと、ロマンチック、のあたりで口元をゆがめていたのだが、僕に相槌を求められた部分で耐え切れなかったのか、吹き出していた。
「……そうだね」
何故吹き出したのか理由は分かっていないのだろう。マスターはきょとんとしていたが、言及はしなかった。……マスターって鈍感というか天然な人だからな。
朱月はくすりと笑いながら「なんかくすぐったいなぁ」と呟いた。
「人前に現れて何かするような奴は、強い恨みで頭がいっぱいになってることが多いからね。夜空を眺めたり、花を愛でたりなんてことはなかなかできないよ。どうやって恨みを 晴らそうか。恨みじゃなくても誰かへの未練があれば、考えるのは四六時中そのことばかりさ。
……そうだ、君たちはどうしてここへ?」
「私たちも散歩よ。本当ならもう一匹連れて来たかったけど、外は寒いから嫌だって。まぁリーフィアだから仕方ないのかもしれないけれど」
ふと、家に残してきたアルメリアの事を思い出した。今頃どうしてる…………?
「あー、確かにこの寒さはこたえるかもなぁ。夜の散歩は気持ちいいけど、元々寒さに弱いんじゃしょうがないよね」
「そうそうだからうちの炬燵で丸まって……」
「…………お腹を空かせて」
「…………あ!」
マスターは急に大きな声を上げて腕時計を見る。僕の目線からでは時計は見えないが、月の角度から見てもう深夜辺りだろう。家を出たのが18時くらいだから、ゆうに5時間以上は外に出ている。
事情を知らない朱月は首を傾げている。
「……そろそろ、お留守番の子が心配になってきた?」
マスターは歯切れが悪そうに、ポリポリと頬を掻いた。
「そういえば晩御飯もまだ作って無かったわね。急いで帰らないと」
「そっか。じゃあ、急いで戻らなきゃね。……帰り道は大丈夫?」
朱月は湖を囲む真っ暗な森、その一方向を見やって言う。マスターは頷いて。
「覚えてるから心配ないわ。じゃあね、朱月君。また会いましょう」
そう言って、マスターは少し早足で、獣道覆う森の中へと向かう。
「……さようなら」
僕は朱月にそう言い残し、マスターの後を付いていった。
「……さて、僕もそろそろ行かないと」
森の奥に進む際、そんな声が聞こえた。
振り返って、森の木々の隙間から見える、さっきまでいた場所を見ると、彼の姿は既に鬼火と共に消えていた。
寒々しい風の吹く甲高い音が、静かな森に音を呼び込む。傍にある湖には空に浮かぶ月とは別の、もう一つ月が描かれていて、それはゆらゆらと不確定な形を作り出していた。
世界は何事も無かったかのように、再び静寂の世界を作り出していた。
Fin