師匠と弟子?  作:影夜 投稿日時:10/12/8


ある晴れた午後の日。仲冬の月もそろそろ終わり、余月に入ろうかとする日。少しばかり肌寒い『安らぎの川』に、白のネックアーマーと前首飾りとして黒いカメオを身に付けた一匹のブラッキーの雄が、霧の中からとことこと歩いて来た。彼の背には、ボロ(ボロ)の釣竿らしき物が一つ背負われている。

「るんるん、るーん♪」

 ブラッキーの顔は中世的な顔立ちであったが、声を聞く限り雄であろう。そんな彼の表情は生き生きとしていて、何やら上機嫌そうである。
 ブラッキーは今、川辺にそって歩きながら、本日の三時過ぎのおやつを物色中なのであった。
 5分ほど歩いて、彼は川の中流くらいで立ち止まり、ぱしゅっとエサのついた針を、澄んだ川辺に投げ込む。
 ……残念ながらエサは木の実で、しかも殻付きのマカダミアナッツであるが。

「おさかなおさかな、たのしみだなあ!」

 おそらく、否、確実にかからないであろう魚を待ちながら、彼は嬉しそうに身体をゆらゆらさせている。
 ……そもそもおやつに魚という発想も如何なものだと思うが。
 島中が静まりかえったかのような――実際この時間は誰もいなかったりしたのだが――静寂の中で、獲物を逃すまいと、川の流れに耳を欹てる。


 時間にして10分ほど経っただろうか、まだ……否、当然かかるはずもない竿をぼぅっと眺めて、

「せっかく早起きしたけど、お昼は皆いないみたい……」

 と、少々悲しげな声で呟いた。
 島が静かだからか、はたまた耳を欹てていたからか、彼の耳に声が聞こえた。

「ひ〜ま〜な〜の〜さ〜♪」

 軽快で、明く女性的な声質だった。

「……あれ、この声は。もしかして、師匠?」

 ブラッキーには聞き覚えのある声だったので、耳を欹てるのを止めて、川辺に座ったまま、辺りをきょろきょろ見回す。
 右左と見て、次いで背後を見ると、紫色の瞳をしたグレイシアが霧から出てきたところだった。彼女はシルヴァー。元公国の私兵団の軍人で、現在は医者をしている雌である。
 そして彼女は、ショコラに戦闘スキルを教えている師匠でもある。

「ショコラ君。何をしているのさ?」

 シルヴァーもブラッキー……ショコラの存在に気付いて、彼に問い掛けながら歩み寄る。
 ショコラはというと、なにやら彼女を見て驚いていた。

「ほんとに師匠だった! あ、あのね。ぼくおさかなをつろうとしてたの」

 と、ショコラは彼女にボロの釣竿をほんのちょっと上げてみせた。
 シルヴァーはというと、どこかのセカイで言うなら『コイキングしか釣れなさそうなボロボロの竿』を見せられて、苦笑いを浮かべる。

「ソレで、釣れるのさ?」

 シルヴァーは妙な語尾を付けながら、釣り竿を右前足で指して、再び問い掛ける。ショコラはきょとんとした表情になる。

「そういえば、まだ一匹も釣れたことないけど。もしかして、この川には魚がいないのかな?」

 持っている釣り竿を見て、ぽつりと呟く。

「どうだろうね。でもこの辺で釣りをしている人は見たことあるし、河口に行けばギャラドスとかも住んでいるらしいから、そっちに行けば釣れるかもね」

 と、言い終わって、シルヴァーはショコラの隣に座り込んだ。ショコラはギャラドスという単語を聞いて、目を輝かせた。

「ギャラドス? すごい! ……でも、コイキングやギャラドスをおやつにするのは、忍びないかも……」

 ショコラは苦笑いしてそう言ったが、シルヴァーは――天然発言なのかそうなのかは定かではないが――ギャラドスをも軽く『おやつ』に括ってしまう彼の言動に驚愕していた。それと同時に吹き出しそうになりかけたが、彼女は何とか堪えた。

「随分豪勢な……おやつを通り越して御飯になりそうなのさ」

 それでも少し、彼女はフフっと含み笑いをながら、ショコラの呟きに答えた。

「ほんと、ご飯だね。それも何か特別な日の……」

 ショコラもつられて笑う。そこで、ショコラは何かを思い出したように、彼女に視線を向けた。

「そうだ、前に教えてもらったストレッチ、ときどきやってるんだ。夜起きて、ごろごろお夜寝して、ご飯食べて、ごろごろして朝寝る生活とはおさらばしたんだよ」

そう、どことなく嘘くさいセリフを豪語した。

「自堕落なのさ」

シルヴァーはショコラに聞こえないようにぼそりと呟いた。そして、彼女も何かを思い出したかのように、一つの提案をした。

「そうそう、前に私書を見て思い出したんだけど、戦闘でも応用が利く体操が少しあるんだ、ちょっと教えようか?」

一瞬、ショコラは私書という単語に疑問符を浮かべたが、それを気にせず、釣竿をほっぽって、喜びで飛び跳ねた。
 その横目で、シルヴァーは『釣竿大丈夫かなぁ』といった視線を竿に向けながらも、気を取り直してショコラに目を向ける。ちなみに、竿は川の下流の彼方へと流されていった。

「えっと、今日教えてあげるのはジャックナイフって言う動きなのだけど……元々体操競技に使われる動きだったんだけどね……これは足を使って立つよりも早く直立できて、次の行動が瞬時に取れる運動なのさ。まぁ、一般のポケモンが使わない瞬発性と背筋の力を使うから、最初はちょっと難しいかもしれないけど……横殴りの攻撃とか、他にもいろんな場面の回避行動なんかにも繋がる運動なのさ」

 少しばかり長い説明に疲れたのか、シルヴァーは川の水を一口飲んで、渇いた喉を潤した。ショコラはというと、シルヴァーが水を飲み終わってから、一つ疑問を投げかけた。

「なんだか難しそう。……でも、できるようになったら役に立つだろうなあ。……跳び方は複雑なの?」
「動作自体はとっても簡単なのさ。身体を屈めて、そのまま身体を背筋の瞬発力だけで起こすだけなのさ。後は、距離を取るとか、カウンターを決めるとか、それぞれの場面で動きを作れば良いのさ」

シルヴァーは実際に身体をすうっと屈めて、瞬間的に身体を背筋の瞬発力だけでぱっと起こし、例として前方向へ軽く走り出した。
ショコラはシルヴァーのお手本をじっと見つめていた。しかし見つめるといっても、一連の動作は瞬く間に終わってしまったので少々語弊ではあるが。
シルヴァーのお手本が終わると、ショコラは前足でパチパチと拍手を送った。そして、ショコラはシルヴァーを真似て跳んでみようとした。

「よし……えいっ!」

――跳んでみようとしたが、背筋の力を使っていなく、さらに動きがぎこちなくて、端的に言うならばひどく不恰好だった。しかし一度の失敗に、ショコラはめげず、もう一度挑戦しようと。

「……とっ!」

今度は多少背筋の力を使ったようだが、力が足りなかったのか距離がほとんど進まず、しかし前足がつんのめってしまってそのまま顔をぶつけてしまった。

「うぶっ」

 ショコラは顔を押さえる。血は出ていないようだが、これではいただけない。

「……先に、もっと背筋を鍛えないと駄目なのかも」

 と、ショコラはシルヴァーに苦笑いを浮かべた。対して、様子をじっと見ていたシルヴァーは少々首をかしげた。
 二足歩行のポケモンならば、懸垂や駆け上がりといった筋力トレーニングなどがあるのだが、四足歩行のポケモンとなると、練習方法はかなり限られてくる。
 それでも、シルヴァーは記憶を辿りながら、一つの提案をした。

「うーん、背筋を鍛えるなら……四足だったらピラティスなんかが良いかな。うつ伏せになって、泳ぐときみたいに前後左右の足をバタバタさせるのさ。ちなみに、時間は一分くらい続けるのさ」

そう言って、シルヴァーは実際に身体を地面に付けて四肢をバタバタさせる。しかしこれは屋外用ではなく、普通マットレスやボールなどを使って行う室内トレーニングなのだ。シルヴァーの顔は恥ずかしさからか、少々赤らんでいた。
しかしシルヴァーの考えている事は杞憂であった。ショコラはシルヴァーの羞恥心を気にせず、彼女と同じようにばたばたと、うつ伏せになって足を動かしてみた。

「ちょっと息苦しいけど……簡単だし、続けられそうだね。」
「そう感じることは大切なのさ。ただ動かすだけじゃ、時間の無駄になっちゃうからね。どこを鍛えるために運動してるのかきちんと意識しながらすると良いのさ」

シルヴァーはこほんと咳払いし、立ち上がった。地面は乾燥していたので土はあまりついてはいなかったが、少しの毛繕いをして、僅かに付着した土を落とした。

「うん、ぼくこれも毎日練習するね! ありがとう!」
「フフ、いいのさ」

笑顔でそう言って、シルヴァーは辺りを見渡す。辺りはすっかり朱色に染まっていた。

「夕焼け……生命のような、刹那の光……綺麗なのさ」
「目に染みつくような鮮やかさで、ぼくを起こしてくれて、それでちゃんと目が覚めた時には、もう居なくなってる。……こうしてちゃんと見たの、久しぶり」

しんみりと、ショコラは夜行性ながらの感想を言った。

「うん。私も久しぶりに見たのさ」

言って、シルヴァーは首に掛けた時計をひっくり返して時間を見た。

「……私そろそろ、帰るのさ」

シルヴァーがそう呟くと、ショコラは彼女の顔を見て、頬笑みを湛えながら黙って頷いた。

「今日はありがとう。絶対に上達するからね!」

じゃあね! と、ショコラは前足を振って、シルヴァーに別れを告げた。シルヴァーはショコラにちらりと視線を向け、ポツリと呟いた

「今度は実践を交えた訓練でもしようかな……」

去り際、軽く物騒な事を呟いて、そのまま森の奥の霧へと去っていった。残されたショコラは、シルヴァーの呟きを聞いて、ごくりと唾を飲み込んでいた。

「が、頑張らなきゃ……」

おっかなびっくりな表情を浮かべながらも、ショコラも元来た道を逆送し始めたのだった。


Fin