ミッション:ゴールデンウィーク  作:Rista 投稿日時:12/5/13


「……設定。イッシュ地方、カノコタウン在住。5月の連休を利用し、仲良しのポケモンと一緒に初めての一人旅……何だこれ。いやちょっと待て、この名前まさか」
「そのまさかよ。今度、朱月組が“島”の遺跡発掘をお手伝いすることになって、その条件として向こうの人材を貸してもらえたの。本当は例の神隠しの事件に投入するつもりだったんだけど、よく考えたらこっちの方が適任ってことに気づいたから、カラカラちゃんの許可取って依頼を交換しちゃった」
「おいおい、大丈夫か? フェザーリング社はイベントの裏方にポケモン送り込む会社だろ。便利屋もどきの部門は力仕事に向いてないポケモンに仕事振るため、ってのはまだ分かる。でもポケモンですらない奴を社員でもないのに派遣して、今度は身内じゃない子どもまで……なあエリー、最近のお前は危ない橋渡りすぎだぞ」
「我が社の企業理念『適材適所』に従った結果よ。彼なら書類上は契約社員として扱ってるし、今度のお仕事は非公式。個人的に頼んだおつかいに法律も何も関係ないでしょ?」
「じゃあこの書類は。どこが個人的なおつかいだ」
「ただの小道具よ。一通りは形式に沿ってた方が気分も盛り上がるから。……それに、社員じゃないことにもメリットはあるの。あの子は私たちと違って、どんなに調べられても素性は絶対バレない。“そんな人物はこの世界には存在しない”んだから」
「よく言うよ……」




 5月3日――曇り。

 シンオウ地方、トバリシティ。
 かつてギンガ団の拠点だった巨大ビルに見下ろされる区域の一角、ワンルームマンションの2階にある角部屋に、インターホンの音が響いた。
 反応はない。しばらく静寂が続いた後、2回目の呼び出しボタンはやや慎重に押された。しかし何も起こらない。以下繰り返し。次第にボタンを押す間隔は狭まっていき、連打のリズムへと移行した頃、外開きのドアがやっと開いた。
「一体何事だ、喧しい……」
 中から顔を出したのは、黒い前髪が顔の右側を半分ほど覆っている、冷たい目をした男。
「えへへー。来ちゃった。」
 外から見上げたのは、まだ10歳にも届かないだろう、無邪気な笑顔を浮かべた白い髪の女の子。
「…………。」
「…………。」
「帰れ」
 ドアが閉まった。
 鍵のかかる音がした。
「えー、なんで!?ミオ達せっかく来たのに!遊びに行っていいって許可だって、今回はちゃーんともらってきたんだよ!ねえ開けて!迷惑かけないって約束するから開けてー!!」
『やっぱりね。僕は最初からこうなるんじゃないかと思ってたんだよ。』
 紫水晶の色の瞳を潤ませ、今度はインターホンではなくドアの表面を直接叩きながら叫ぶミオの隣で、一緒に来たツタージャが呆れたように首を振る。
 それでも応答はなく、少女の悲鳴だけがマンションの廊下にむなしく反響するのだった――
「……なんちって?」
『こんなこともあろうかと……』
 ドアを殴る音に別の音が一度だけ重なった、そのわずかな変化を聞き取ったツタージャが蔓を伸ばしてミオの肩を軽く叩いた。すぐさま手を止めたミオが一歩下がると、目の前のドアが再び、ゆっくりと開いた。
 鍵を解除したのは部屋の住人ではない。
 隙間から顔を出し、Vサインを掲げてみせたのは、ふたりと共にやってきたビクティニだった。
『ティニー! 大成功!』
「大成功! やったねビーちゃん!」
『……こんな簡単にうまくいくなんてね。拍子抜けしたよ。』
 仕掛けはとても単純だ。ミオが大きな音を立てて注意を引き、その間に外へ回ったビクティニが窓から部屋に忍び込んでドアを開けに行く。浮遊も透明化もできるポケモンだからこそ可能で、窓の位置を間違えにくい角部屋だからこそ安全に実行できた作戦だったが、もちろん出し抜かれた方の心中は穏やかなわけがない。
 ビクティニはミオとのハイタッチに夢中になっている間に、背後から振り下ろされた拳骨をもろに食らった。


 そんなわけで。
 銀河の彼方の航宙艦トライデントに乗船しているはずのクルー3人組、“霧”と飛行ポケモンを乗り継いでこの町まで来たミオたちは見事、目的の部屋へ上がり込むことに成功した。
「此処に来た目的は何だ。否、その前に、この場所は極一部の関係者にしか知らせていない。誰の差し金だ?」
「ここが……サーリグ様のお部屋……」
『ク、本当になんにもなーい。』
『僕が想像してたものより酷いよ。ここに人が住んでるだなんて、とても信じられないね。』
「人の話を聞け」
 サーリグは人数分の紅茶を入れ終えると、小さな客人たちと向かい合う形で自分も腰を下ろした。戦闘態勢でないラフな服装も、前髪の長さに反して短く切られた後ろ髪も、彼らの前では初めて見せる姿だ。最初に出迎えたときは両目も黒かったが、今はこれまで通りの黄金色に光っている。
 彼が先月から一人で暮らし始めたというこの部屋には、ミオたちの指摘通り、余計な装飾はおろか生活に必要なはずの家財道具までもが何一つ置かれていなかった。作り付けのクローゼットの中には何か入っているのかもしれないが、見た目はほぼ入居前のまま。そのため全員がフローリングの床に直接座っていたし、広げられたティーセットとマカロンも、ミオが持ってきた可愛らしいキャリーバッグの中から取り出したものだった。
『……だからだよ。』
「何?」
『僕達は仕事で来たんだよ。僕は本当はこんなの全然興味なかったけど、ミオ一人じゃ心配だから付き添いだよ。』
『クティ。ここで何してるか、ちょっと知ってる!』
「あ、そうだった!」
 何度もきょろきょろと部屋を見回していたミオは、友達の一言で大事なお役目を思い出し、傍らに置いたポシェットから薄いピンクの封筒を取り出した。それをサーリグに差し出したとき、何故か彼女の視線が斜めに逸れていく。
「これ。えっと……お兄ちゃんに!」
「……?」
 封筒が受け取られると、ミオはすぐに手を引っ込めて横を向き、両手で頬を押さえた。明らかに照れている様子をサーリグはひとまず無視して、ハートマークのシールで施された封を破った。

 <連休の間、ミオ達のことをよろしくお願いします。
  シンオウ地方は初めてなので、余裕があったらトバリ以外の町にも連れて行ってあげてください。>

 便せんに横書きされた万年筆の筆跡はどこかで見たような気がしたが、少なくとも「この件」の関係者の誰でもなかった。別人の字の癖を誰かが真似たのかもしれない。
 この2行の前後、時候の挨拶や近況報告などの本文は無視して、サーリグの視線は行間を仕切る銀色の線をなぞった。波と点線を寄り合わせた集合体は手書き風の罫線を装った暗号文。余白分も合わせて2枚の便せんに“記された”内容を抜き出すと、こうなった。

 ≪まもなく本格的な調査を開始しますが、その準備が今回のミッションです。
  貴方のことだから緊急時の即時撤退に備え、部屋には最低限の物しか置いていないでしょう。
  しかし今回はクライアントの意向で、作戦の成否に関わらず1年間はそちらに勤務してもらいます。
  ターゲットまたは関係者が部屋を訪ねてくる可能性もあるので、不自然に思われないためにも、
  少しは生活感のある部屋に見えるよう家具を調えてください。
  予算相当額を既に貴方の口座に振り込みました。購入品リストはミオに預けています。≫

 解読内容を確認してからふと脇を見下ろすと、ミオとビクティニが頑張って背筋を伸ばし、手紙の表面をのぞき込んでいた。
「ね、ミオ達のこと、何て書いてあった?」
「……この部屋に設置する物品のリストは貴様が持っているそうだな」
「リスト? あるよ。さっそくお買い物に行く?」
「それだけ置いて今すぐ帰れ。此処で貴様等に余計な面倒でも起こされたら作戦全体に支障を来しかねん」
「それはダメ! ごめんなさい、ミオ、お兄ちゃんには絶対に渡すなって言われてるの。」
 ミオが何かを後ろ手に隠すポーズを取った。すぐにサーリグの手がミオの背中へ伸びたが、強引に捕まえた手を引っ張り出しても、どちらの手にも何も握られていなかった。
「貴様っ……」
「一人で行かせたら絶対手を抜くって、社長さん言ってたよ。だからミオ達、お兄ちゃんが全部揃えるまで、監視しに来たんだ!」
『ク、お仕事お仕事!』
『こっちではお兄ちゃんと呼んでやれって言ったのもそいつだよ。下手に偽名で呼ぼうとしたら、僕はともかくミオなんか絶対に言い間違えるからね。』
「……事情は理解した」
 ついでに聞き慣れない呼称の意味と目的も判った。ある女の姿を思い出しながら手紙の表向きの文章を読み返すと、そこには真実と作り話が巧妙に織り交ぜられていた。どうやらミオは親戚の子ということになっているらしい。
「今から行けばいいんだな?」
 少女とポケモンたちを見下ろす視線から、黄金色の輝きが消えていた。


 トバリシティで大きな買い物といえば、目的地の筆頭はシンオウ屈指の品揃えを誇るトバリデパートを置いて他にない。
 そのデパートの1階へ入った時からミオは目を輝かせていた。そう頻繁には訪れない場所で見るものは何でも物珍しく、実に魅力的だ。しかしそれに匹敵するほど、大好きなサーリグと手をつないでいること自体への興奮も強かったので、いきなり勝手に走り出すようなことはしなかった。
「そろそろリストの内容を教えろ。渡す気がないなら話せ、奴は何を買わせるようにと言ってきた?」
「えーっとね、」
『一人暮らしの部屋にありそうなものは全部だって。インテリアを置いてる所に行けば分かるって言われたよ。』
 ミオが指折り数えながら説明しようとして、その横を歩くツタージャに阻止された。睨まれたミオがしゅんとなって黙ったので、何らかの意図があっての行動らしい。
 ちなみにビクティニは透明になって彼らの後ろをついてきていた。生息地とされるイッシュ地方でも幻と呼ばれるレア度なのに、そんなポケモンがシンオウで目撃されたら騒ぎでは済まないからだ。
「さっさと歩け。はぐれても一切探さないからそのつもりでいろ」
 当のサーリグは早くも苛立ちを隠しきれない。浮かれるミオを強引にフロアの奥まで連行すると、すかさず係員に行き先を指示してエレベーターを動かした。
「あれ? お兄ちゃん、何階に行けばいいか、聞かなくていいの?」
「エレベーター乗り場の脇にフロアガイドが掲示されていただろう。見なかったのか?」
『……普通は一瞬見ただけじゃ中身まで覚えられないよ。』
 その前に掲示なんてあったっけ、と2匹が首をかしげながら階数表示を見ている間に、エレベーターは目的階へ到着した。降りてからもサーリグの歩みはとにかく速い。そして寝具売り場を一瞥して通り過ぎようとした時、小さな手に掴まれていたはずの左手が感触を失った。
 ミオが、売り場の真ん中に展示されていたクイーンサイズのベッドに、飛び込んでいた。
「うわー、ふっかふか! お兄ちゃん、これ買おうよ!」
『クティー!』
 声を出したときには既に、羽毛布団の端に置かれた「お手を触れないでください」のプレートを完全に無視して、大の字に寝転がっている。ついでに何もないはずの場所がひとりでに凹み、跳んだりはねたりしているように揺れていた。
 サーリグは迷わずミオの両足を掴み、売り物のベッドの上から引きずり下ろした。
「えー、ダメなの!? これ絶対いいと思ったのに!」
「却下する」はねつける言葉は容赦ない。「搬入可能な寸法を超えている。それにどう見ても一人暮らしの者が使うサイズではない。欲しいなら貴様の親に買ってもらえ」
「似合うと思ったのに……」
 自分が欲しかったというわけではないようだ。
 ミオを展示エリアのロープの外へ連れ出したサーリグは、「だったらどんなのがいいの」と視線で訴えるツタージャに対し、近くの店員に声をかけることで応えた。怒りも傲慢も瞬時に封印。黙って見ていろと宣言する背中だけを3人組に向けたまま、手短に用件を伝え、セミダブルの木製フレームと寝具一式のまとめ買いを進めていく。
『……口調も表情もまるで別人だよ。僕達の相手する時の態度はいったい何なんだろうね。』
『……ク。』
 ツタージャはさっきのベッドに座ったままのビクティニに同意を求め、ミオにも意見を求めようとしたが、彼女には聞こえていないようだった。
 一行はその後も似たような調子で各売り場を回っていった。まずミオが足を止め、何かに気を取られたり購入を要求したりする。たまにツタージャやビクティニがひそかに口を挟む。それらをサーリグは概ね即決で却下するが、2つか3つごとに一度、ジャンル自体は拒否せずに違う製品を独断で買うのだ。
 まるで買い物リストが自分の頭の中に、あらかじめ用意されていたかのように。
 それでいて、少女に引っ張り回され、気まぐれに歩かされているかのように。

 時間はあっという間に過ぎ去った。2つのフロアを一通り巡った頃、ミオとビクティニが空腹を訴えたのを機に、一行はその日のミッションを終えることにした。
「晩ご飯食べたら、お兄ちゃんの家にお泊まりだよ。楽しみだね!」
『クティ、わくわくするね!』
「……何だと?」




 5月4日――晴れ時々曇り。

 ミオが部屋の片隅で目を覚ました時、既に日は高く昇っていた。
 ぼんやりする頭はまず現在地を、次にクッションと毛布は昨日買ってきたことを何とか思い出したが、昨晩いつ寝たのかがよく分からない。この部屋に辿り着いていたかどうかもあやふやだ。
 眠気をぬぐいきれず再び閉じかけた目に映ったのは、梱包された無数の荷物が所狭しと積まれた、まるで引っ越してきた直後のようなワンルームだった。
『やっと起きたんだね。世話が焼けるよ。』
 すぐそこにツタージャがいた。見ると、長い蔓を伸ばして新品のカーテンをレールに取り付けているところだった。
「あー、おはよー……何してるの?」
『昨日買った家具が宅配で届いたから設置しているんだよ。君も早く手伝ってよ。』
「はーい……。」
 ミオは隣でまだ寝ていたビクティニを起こし、洗面所で着替えと洗顔を終えてから戻った。改めて部屋全体を見渡すと、その中心ではサーリグが梱包の一つを既に解き、ベッドの土台部分を組み立てていた。
「それ、ミオも手伝う!」
『クティ、やりたい!』
「邪魔をするな」
 電動ドライバーを手にしたそばから取り上げられ、むっとした顔になるミオに対し、サーリグは無言で別の梱包物を指した。
「仕事ならそこにある。中身を取り出して並べておけ」
「イエス・サー!」
『ク!』
 むくれ顔はどこへやら、ミオとビクティニは急に真面目な顔つきになって敬礼すると、部屋の壁に立てかけられた最大の包み――マットレスに飛びかかった。

 組み立て作業と梱包材の処分は正午過ぎにようやく終わった。ビクティニの提案で小休止を挟むことになり、ようやく置かれたローテーブルを囲んだミオたちの前に、何種類かのサンドイッチが並べられた。
「い、いつの間に……。」
『荷物が来るまで時間があったから、暇潰しに買ってきたんだよ。』
 聞けば、ツタージャは早朝に目を覚ましていて、その時点でサーリグは既に起きていたという。他のふたりが起きてくる前から彼らは仕事を始めていたわけだが、どちらも朝寝坊をとがめる様子はなかったので、ミオは安心して「いただきまーす」とハムサンドをほおばってから、違う疑問を口にした。
「あれ、食べないの?」
「この身体に食物の摂取は必要ない。其処にある物は全て貴様等のものだ」
『ク、もったいない。おいしいのに。』
『……昨日の買い物には調理器具や食器も入ってたよね。料理する気もないのに買ったんだね。』
「そうするよう誘導しておいて何を言う……」
 サーリグは一緒に座ろうとせず、玄関脇に放置していた紙袋を取りに行った。部屋と一体化した小さなキッチンに、パッケージに入ったままの様々な道具を並べ、一つずつ開封しては棚に収納していく。その背中にミオが呼びかけた。
「ミオ、お兄ちゃんの手料理が食べてみたいなあ。作って!」
 返答はなかった。
 聞こえるのは引き出しの開閉音だけだ。
「…………。」
 しばらく様子を見てから、ミオは真剣な顔で、ツタージャの耳元に口を近づけてささやいた。
「……今の台詞で合ってるよね? 言ったら絶対作ってくれるって、社長さん言ってたよね?」
『言ってたね。でも今の一言で全部台無しだよ。』
「え?」
 本人のリアクションはなかった。
 会話がないまま時間だけが過ぎていき、その間にキッチン周辺はきれいに整えられ、ほぼ時を同じくしてミオたちは昼食を食べ終えた。この後もずっと無視されるのかと一瞬だけ不安を抱いたミオだったが、直後にサーリグが振り向いて言った。
「クローゼットの下段に箱が入っている。その中身を組み立てた棚に移しておけ」
 指令だった。
 しかも命じた本人は直後に部屋から出て行ってしまった。玄関の鍵をかけていったので、すぐ帰るような用事ではなさそうだ。
 ささやきを本人に聞かれたのか確かめられないまま、ミオは言われるままに小さな段ボール箱を見つけ出し、ツタージャがそれを開けた。中には10冊近くの本がぎっしり詰め込まれていて、そのどれもが子どもの知識では読めそうにない題名と分厚さを持っていた。
『クティ? 何の本?』
「なんか難しそー。レノードなら読めるかな?」
『そういえば、先生に成り代わって学校に潜り込む任務だって、ここに来る前に聞いたよ。きっと教科書か何かだよ。』
 中身が気になっても、本と本の隙間が狭すぎて指一本、蔓一本も差し込めないから取り出せない。試行錯誤の末、箱をひっくり返して底を叩く方法にミオの念力を加え、全員の力を使うことでようやく本を床にぶちまけることができた。そうして苦労の末に取り出した本はやはり誰にも読めず、挿絵から一つは生物学の本らしいと分かったくらいだった。
 ミオたちは新品のキャビネットに適当な順番で本を収め、軽く部屋の掃除をしてから、横一列に並んで「せーの」でベッドの上にダイブした。真新しい羽毛布団の触り心地は一働きして疲れた身体に効果抜群で、あっという間に彼らを眠り状態に陥れた。

 彼らを夢の世界から呼び戻したのは、部屋全体に充満した、カレースパイスの刺激的な香りだった。
 とっくに日は暮れていて、いつの間にか帰宅していたサーリグがキッチンに立って何かを作っていた。その後ろ姿を見て瞬時に飛び起きたミオだったが、鍋だけで調理可能なレトルトであることを本人から先に明かされ、ふくらみかけた期待はあっさり消滅したのだった。




 5月5日――晴れ。

 この日、一番乗りで目を覚ましたのはビクティニだった。カーテンの隙間から漏れ出す朝の日差しをわざと顔に当てる手法でミオとツタージャを起こしたのは、あることに気がついたからだった。
「まぶしー……ビーちゃん、ミオまだ寝てたい……。」
『……こんな起こし方、どう見ても嫌がらせだよ。』
『ク、静かにして。』
 Vサインではなく1本だけ指を立てて友達の注意を引くと、ベッドの縁ぎりぎりから身を乗り出し、まだ暗い部屋の隅を指した。
 クローゼットの手前。
 壁際に沿い、頭をバルコニーの方へ向けて、部屋の主が倒れていた。
「サーリグ様……!?」
『クティ、どうしよう。全然動かない。』
『……寝てるだけだと思うよ。』
 唯一の寝具を客人に譲った以上、住人が寝る場所は床しかありえない。ツタージャは常識的な仮説を元に放置を提案したが、その部分までは仲間たちに届かなかったようだった。
 本当に彼が眠っているなら、そのこと自体が、この場合は大きな意味を持つ。
 ミオは自分を超能力で浮かせ、音を立てずにサーリグのすぐそばまで近づいた。何しろ滅多に拝めない光景だ。好奇心ににやついてしまう口元を抑えられない。
 位置を微調整して、彼の顔のすぐそばで停止する。そして浮遊したまま手を伸ばして……

 その手首を掴んだ力によって床に叩きつけられた。

「ぎゃーっ!!ごめんなさいっつい出来心でっ!!」
「静かにしろ。追い出されたいのか」
 捕まえた手首を押さえつけながら上半身を起こしたサーリグは、ささやく声こそ落ち着いて聞こえたが、表情と目つきを見る限り機嫌は最悪のようだった。力加減にも容赦がないらしく、ミオの両目には涙の玉が浮かんでいる。
『ク、痛そう……。』
『子ども相手にそこまでやるなんて大人げないよ。』
「これでも手加減してやった方だ、隣室の住人に騒がれては面倒だからな。それより起きているなら身支度をしろ。貴様等が持っているリストにはまだ揃っていない品があるはずだ」
 解放されたミオがその場にうずくまる間にサーリグは立ち上がり、ビクティニが中途半端にいじっていたカーテンを改めて開けに行った。途中、彼がTシャツの中から床へと伸びる黒いコードを後ろ手で引き抜いたのを見たのはツタージャだけで、コードが続く先を目でなぞってみると、先端はベッド脇の壁のコンセントに刺さっていた。


 この日の外出先はトバリデパートではなかった。
 訪れた家電量販店ではさほど広くない店内を無数の電気製品が埋め尽くしていたが、さらに先を行くハイテクノロジーの塊を生活拠点とするミオたちにとって、それらのほとんどは興味を引く対象にはならなかった。店頭で家庭用自家発電機の実演販売をしているピカチュウにいきなり話しかけ、トレーナーでもある販売員を驚かせた程度だ。
 しかし、そのピカチュウが逆にツタージャの話に興味を持ったのがきっかけで、彼らは周囲の注目を集めることになった。このあたりでは珍しいイッシュ地方のポケモンを見ようと人垣が生まれ、いつの間にかミオとツタージャは身動きがとれなくなり、やむなく買い物の監視という仕事は姿を隠していたビクティニに託されることとなった。
『クティ……ミオ達、大丈夫かな……。』
「安心しろ。用件はもう終わった」
 ビクティニが店内を飛び回ってサーリグを見つけ出したとき、彼は既に配送用カウンターの前にいて、店員が内線電話で誰かと話している間に物品調達の終了を告げてきた。
「後で領収書を渡す、帰ったら照合させろ。これで十分なはずだ」
 正確にはミオたちの依頼人が作成したリストのうち実に3分の1近くが領収書の記載になく、まさに初日の指摘通りに手抜きをしていた――しかも不足分はいずれも悪戯半分に混ぜられた「実は余計なもの」だった――のだが、その事実が判明するのは数日後のことになる。

 店頭でミオとツタージャを拾った後、手配した品が家に届けられる時間まで余裕があったので、サーリグは客人たちを街の南東に広がる公園に連れて行った。
 トバリシティは一般的に、格闘タイプを得意とするポケモンジムがあることで広く知られる。そして一部の人にはそれと同じくらい有名なのが、町を囲むように作られたその場所である。
「これ、隕石だ!」
『ティニ!』
『……これくらいの大きさ、たいしたことないよ。』
 かつて町を直撃し、そのままの形で保存されているいくつもの隕石とその落下跡(クレーター)を、ミオたちは目についた順に見て回った。しばらくして3人組の関心は広い公園そのものに移り、誰が言い出すともなく走り出して、追いかけっこを始めた。
 そして遊ぶのにサーリグも誘おうと思い立ち、空いていたベンチの一つに腰を下ろしていた彼の元へ駆け寄った直後、彼らの誰でもない声がその場へ割り込んできた。
「先生!」
 現れたのは、確実にミオよりは年上の、2人の少女だった。その片方が知らない名前を口にしながらサーリグに近づいてきたので、ミオたちは顔を見合わせた後、少しだけ距離を置いて少女たちを見上げた。
「やっぱりそうだ。もしかしたら見間違いかもって思ったんだけど、合ってて良かったぁ」
「一昨日トバリデパートに来てましたよね? 私たち、入口で見かけたんですよ」
「そうだったのか。それは失礼、全く気づかなかったよ」
 サーリグの表情が明らかに変わった。両脇に置いた紙袋はそのままにして立ち上がり、ミオに2人を示して、
「私が赴任先で教えている生徒たちだ」
 初日にデパートの店員に向けたのと同じ口調で紹介してみせる。続いて彼女たちにもミオを軽く紹介するサーリグを、ミオは呆然と見つめ、我に返るとバネ仕掛けのような動きで会釈をした。
 一瞬、すぐ隣にいる男が誰なのか、本気で分からなくなっていた。
 柔軟な蔓に首筋をくすぐられ、反射的に振り返ると、いつの間にか近くの茂みに隠れていたツタージャとビクティニが揃って手招きしていた。ミオは小走りでその茂みに飛び込み、ポケモンたちと遊んでいるふりをしながら、サーリグと教え子たちの会話に聞き耳を立てた。
「へぇー、親戚なんだ。可愛いー。……でも、先生って意外に普通の人だったんだね」
「ちょっと、ダメだよそんなこと言っちゃ……!」
「意外、と言うと?」
 受け答えには怒りのかけらも感じられない。
「……ここだけの話ですけど、実は女子の間で噂になってたんです。先生って、本当は人間じゃないのかもしれない、って」
「もちろんそんなわけないって分かってますよ! でも先生、凄くクールっていうか、ミステリアスっていうか……授業中以外はほとんど誰ともしゃべらないし、この街に住んでるのに今まで休みの日に先生見た人が誰もいないから、プライベートとか全然想像できないって話になって……」
「実は未来から来たとか、ギンガ団がひそかに作ってた秘密兵器だとか……あとは、どこかのスパイだとか、国際警察の捜査官だとか、あのセクハラ教頭か誰かを始末しに来た殺し屋だとか……」
「あ、私たちが言ったってこと、内緒ですよ?」
「……成る程。なかなかユニークな発想だな」
 受け答えには苛立ちを微塵も感じられない。
 やや距離がある上に、背を向けられている状態では、表情を伺うことは出来ない。
 しかし、
「…………。」
『…………。』
『……ここ、笑う所なのかな。』
 潜入の目的までは知らないが、少なくとも彼の正体は知っている小さな客人たちは、引き続き息を潜めることしかできなかった。


 その夜。
 外で目一杯遊んで目一杯汚れて帰ってきたミオたちが、命じられるままシャワーを浴びて浴室から出てくると、ワンルームの隅には見覚えがない小さな冷蔵庫が置かれていた。そしてローテーブルの上には真新しい食器が所狭しと並べられ、その半数には既に、彼らが見たこともない料理が盛りつけられていた。
 レトルトにしては手がかかりすぎていることだけは、素人目で見てもすぐに分かった。
「これ……サーリグ様が作ったの? そうだよね!?」
『ク、おいしそう! いい匂い!』
『まさか2日がかりで準備してたなんて言わないよね。こんな本格的にやれなんて誰も言ってないよ。』
「世迷言はいい。そこに座れ」
 ミオは満面の笑みで、ビクティニは目を輝かせ、ツタージャは拗ねたように目を逸らしながら、テーブルを囲む。
 カーテンをわざと開け放した窓の外、夜の舞台の中央へ昇りかけた、いつもより大きく美しい満月。その黄金色の光を背中に浴びながら、サーリグは最後の一皿をテーブルに載せると、自らもその前に座って足を組んだ。
「恐らく依頼人は給料など用意していないだろうから、これがその代わりだ。存分に食え」
「『いただきまーす!!」』
 メインの魚料理はもちろん、スープの最初の一口からケーキのイチゴに至るまで、何もかもがミオの心を震わせた。一皿一皿の味だけではない。今度こそ全員が食事を共にしている、そのことこそがまさに、食欲を加速させる最高のスパイスだったに違いない。
『食物の摂取は必要ないって言ってたよね。』
「不要ではあるが、不可能ではない。それだけのことだ」
「これ、何ていう料理?」
 尋ねると即答で、一度聞いただけではとても覚えきれない、難しい名前が返ってきた。とりあえず庶民になじみのない言葉なのは確かなようだが、ミオが「もう1回言って!」とリクエストすると、サーリグはこう返した。
「覚えて帰る必要はない。もし依頼人に詳細を聞かれたならこう伝えろ――『どれほど金を積まれても貴様には作らん』」
 そのとき彼は黄金色の目を静かに光らせ、これまでのどの場面よりも力強く、余裕に満ちた笑みを浮かべていた。




 5月6日――晴れ。

 この日は日曜日。「週明けまでにイッシュへ帰る」という架空のスケジュールの遵守を理由に、ミオたちは朝早くに起こされ身支度を命じられた。特にミオは強く別れを惜しんだものの、やはりトライデントの仲間たちを恋しく思う気持ちもあったので、最後には笑顔で自分のキャリーバッグを手に取った。
 サーリグはトバリの町外れ、ズイタウン方面へのゲートまで見送りに来てくれた。
『お疲れ様。』
『ク、ばいばい!』
「お兄ちゃん、また来るからねー!」
 姿が見えなくなるまで何度も何度も振り返っては手を振り続ける、そんな1人と2匹を見送った後、独り残された彼は吐き捨てた。
「……二度と来るな」


 そんなことは露知らず。
 曲がりくねった街道を歩き、例の“島”へ送り届けてくれる飛行ポケモンとの合流地点を目指す道中、ビクティニがこんなことを言った。
『クティ……これって結局、何のお仕事だったのかな?』
 最初の手紙を託した女社長は、これが何を目的とした“仕事”なのか、明言を避けたまま彼らを送り出していた。
 この4日間でしてきたこと――そもそもの事情を何も知らない彼らにとっては、どれもこれも意味の分からないことだらけだ。
 それでも、少なくとも一つは確かなことがある。
「何でもいいよ。言われてたお仕事はちゃんと全部やったんだし、それにミオ、すっごく楽しかったもん。」
 そうだよね?と話を振られたツタージャは、
『……まあね。ろくでもないことばかりだったけど、退屈はしなかったよ。』
 困ったようにそっぽを向いた。

 スキップしながら進んでいった先、曲がり道の終点にたたずむトロピウスの大きな翼が見えてきた。
 ミオたちは歓声を上げ、トロピウスに大きく手を振った。そして――誰からともなく走り出す。何も言わないまま、競走になった。




   Fin.