共鳴  (2008/6/3)


 夜の闇に沈んだ森は、普段通りの静けさを取り戻していた。
 つい先ほどまで荒れ狂っていた未知の怪物――ポケモンの首を3つ持ってきて無理矢理くっつけた姿の新種――が通った道はまだ痕跡として残っていたが、夜明け前には新たな植物が育って覆い隠すだろう。終わったことを気にする必要はない。一時的にすみかを追われたポケモン達も、過ぎ去った嵐に安堵しながら眠りについているはずだ。

 そんな、緊張感が抜けた反動で抜け殻になってしまったような空気が漂う森を、ヒロは歩いていた。特殊実包の副作用で死んだように眠るアルビレオを背中に負い、安堵から来る穏やかな顔で眠るピカチュウを腕に抱いて。
 初夏の森にしては冷たすぎる風が木々の間を通り抜けていく。
「……いつからだろ。こんな、めちゃくちゃな場所になったのって」
 こぼれた声を聞く者、ましてそれに答える者などいない。

 思い出すのは痛々しい光景の連続だ。
 強烈な破壊力の光線、何かにうめく客、地面にしたたる血。あわてふためき、医者を呼ぶ声。
 回復マシンのボタンを押すだけではどうにもならない痛み。
 気分がいいわけがない。

「本当、いつからだろう……」
 独りごちる間に森の空地へたどり着いた。実のなる木が等間隔に植えられた庭を通ると、小さな家の前に出る。まだ玄関先に明かりがともっていた。
 そこに来る前から彼らの姿を認めていたのだろう、わずかにきしむ音を立てて扉が開く。
「おかえり」
「ただいま」
「どうだった?」
「最悪とは言わないけど、次くらいには悪いんじゃない?」
 出迎えたマグとそんな会話を交わしながら、ヒロは汚れた足をマットでぬぐい、連れ帰ったふたりを寝かせる場所を探した。
 ローテーブルを囲むソファの一つが空いていたのでまずピカチュウを下ろし、回れ右をしてその隣に人間を下ろす。上着を脱がせるくらいしておこうかと思い立ち、もう一度回れ右をしかけたところで、ふと向かいのソファに目がとまった。
 見慣れないポケモンがそこを占領して眠っていた。



 一月半ほど前。
 春の盛り、風がすがすがしい4月のある昼下がり。

 一時の自暴自棄からようやく立ち直ったヒロは新たな決心に従い、基礎体力をつける鍛錬にいそしんでいた。
「……14……15……16……」
 往来の邪魔にならない庭の隅に立ち、首の後ろに乗せたバーベル代わりの丸太を両手で支え、上げ下ろしを繰り返す。丸太の両端にはそれぞれ袋がくくりつけられ、中には何か丸いものが詰め込まれていた。
 まだ始めたばかり。汗は落ちない。
「……31……32……33……」
 持ち上げるたびにカウントを声に出す。数えるというよりは呼吸を止めないことを意識するために、頭の中に雑念を割り込ませないために。
 当然、背後に近づく気配があることなんて考えない。
「……40……41……42っ!?」
 背中を蹴られた。
 気持ちの上ではすぐに振り向こうとしていたが、実際には変なタイミングで呼気が止まったためにしばらく咳き込み、崩れた体勢と傾いた丸太を直してからようやく後ろを見る。
 蹴った反動で軽く跳ね、尻尾の付け根に着地したコノハナが地面に飛び降りるところだった。
「……何でいきなり邪魔するわけ?」
「邪魔したかったから」
 いじわるポケモンの名にふさわしい平然とした答えが返ってきた。
 絶句するヒロを、コノハナは腕組みをして見上げてくる。
「仕事しないでそんなことしてるってことは、暇だよな? だったら俺とバトルしてよ」

 数分後。
 耕された表の庭ではなく、庭仕事の道具や壊れた家具が雑然と積まれた家の裏庭で、ふたりは拳を交えていた。
 トレーナーはいない。審判もなければ観客もない。風に揺れる木の枝が歓声代わりだ。
「食らえぇっ!」
 火炎放射に熱風、振り回される尻尾の炎。どう見ても草ポケモンには不利な相手だが、それでもシイナは果敢に立ち向かった。
 跳ね、かわし、懐に飛び込み、頭の葉っぱを振り回す。
「今のが効いてると思ったわけ!?」
 対するヒロも相性で圧倒できる相手とはいえ手を抜かない。最初こそ誘った目的をいぶかしんでいたが、最初の反撃、だまし討ちを腹に食らった瞬間に疑いは吹っ飛んだ。
 翼で風を起こし、前進をためらったと見た直後に追撃のドラゴンクローをたたき込む。
「うりゃあああっ!!」
「でやぁ―――っ!!」
 宙返り。
 きりもみ回転。
 自然の力、スピードスター。
 煙幕を突き抜ける火炎放射。
 入れ違い、ぶつかり合い、爆発する。

 互いに、相手の本気を感じていた。
 互いに、相手が自分ではない誰かを見ていることにも、気づいていた。

「はぁ……はぁ……まだ、行けるか……?」
「あんたこそ……そろそろ……持たないんじゃないわけ……」
 両手の指では足りない数の衝突を繰り返した後も、ふたりはそれぞれ拳と爪を構え、正対してにらみ合っていた。
 どちらも息は荒い。しかし表情は同じくらい楽しげで、すがすがしくもある。
 そして、
「……ま、そうだな」
「この辺で、いいか……」
 一方は長いため息をついて。もう一方は深く息を吸って。
 同時に口元をゆるめ、その場に座り込んだ。

 しばらく間があった後、顔を上げたシイナが再び口を開いた。
「……なあ、……今度また、バトルしてくんないかな」
「いつでもいいけど、何で?」
 上を向いていたヒロが首の向きを正面に戻す。
「お前と戦ってたら、何かつかめそうな気がした。今日はあとちょっとで逃げられたけど、もう一回やれば分かるかもしんない」
「ふーん……何かって?」
「さあ? わかんないから“何か”なんだろ」
 首をかしげた後、その角度を保ったまま、シイナは続けて何かを言おうとした。
 しかしそれは一秒遅れで、ヒロが切り出した話にかき消されてしまった。
「で、何でいきなりバトルなんて持ちかけてきたわけ?」
「……、……練習。こっちのチビ共はてんで弱いし、でも兄貴にとっちゃ俺も弱すぎて相手したくないっぽくて……ごめん」
 答えてから引き合いに出した人物を相手が嫌っていることを思い出し、小さく謝罪を加える。
「そう」
 予想通りの素っ気ない返答。
 それきり話が途切れると思いきや、その後に意外な言葉が続いた。
「……結局、倒したい相手は同じなんだ」
「へ?」
「動機は違うけど。僕はあいつに一泡吹かせたいだけ。でもあんたは、あいつに釣り合うポケモンになりたいんだよね?」
「あ……分かる?」
「あんたの行動を見てれば分かるよ」

 それから何度か、ふたりは暇を見つけてはバトルをした。
 ただ夢中になって戦った。
 “何か”をつかめたか、目標を達したか、そんなことはお構いなしに。



 管理人宅のリビングの一角、ガラスのローテーブルを囲むソファの一つで、シイナは目を覚ました。

 窓から差し込む日差しがまぶしい。
 朝なのはすぐ分かったが、自分が寝ていたこの場所がどこなのかを理解するまでに時間がかかった。寝ぼけた目をこすり、頭をがしがしとかいて、その感触がいつもと違うことに気づくまでにはもっとかかった。
 磨かれた木肌と同じすべりではなく、密集した柔らかな毛が指先をくすぐっている。
「…………!?」
 ふと誰かの視線を感じて左右を見回す。
 ソファの背もたれを挟んで立っているリザードンと目があった。
「おはよう」
「……よ、よお」
 威嚇も警戒もないごく普通の挨拶。しかし何故か強い恐怖心を覚え、あわてて正反対の方向へ首を向けると、ローテーブルが目に入った。
 ガラス板に知らない顔が映っていた。
 立ち上がってのぞき込むと、板の上へついた手の形も変わっていた。
「俺……なのか?」
 思わず自分の身体を見回す。葉の色をした両手、ぼさぼさの長い白髪、とがった耳、高下駄のような突起のある足。そういえば視点も変に高い。それら全部の違和感をひとまとめに説明する言葉を思い出した頃、自分が気絶する前の記憶も徐々に戻ってきた。

 ばかでかい変なポケモンが出てきて。
 討伐の指令を受けた兄貴に同行を命じられて。
 足を引っ張るわけにはいかないと必死に戦って。
 あっけなく吹っ飛ばされて。
 戦場に戻ろうとして、何か変なのを踏んづけて。
 足の裏が急に熱くなって――そうだ、あのときから何かがおかしかった。

「……進化……」
「そう、進化。何か飲む?」
 ヒロが隣に来て、わざわざ肩を叩いてからキッチンへ歩いていった。
 寝静まる他の部屋、あるいは向かいのソファに横たわって動かないアルビレオを起こさないためか、やや慎重な冷蔵庫の開閉音が聞こえてくる。
「聞いたよ。あの化け物の首の一つ、あんたがとどめさしたんだって?」
「はぁ?」
「覚えてないわけ?」
 差し出されたコップの中身は、よく冷えた“おいしい水”。島を流れる川の上流でくんできた天然のミネラルウォーターだという。早い話ただの水だろと思いつつも、気づけば一気に飲み干していた。
「……微妙。あん時はとにかく夢中だったし」
「そっか」
 ヒロも同じコップを手にソファへ座った。本来3人掛けのものだがリザードンは体が大きいため、結局シイナが腰を下ろせるのは体が触れ合う隣になってしまう。

「これで僕とあんたは条件同じ。やっと互角に戦えるね」

 コップの中に残った氷がカランと音を立てて回った。



シイナはサーリグに付き従う子分たちのうちの1匹。

ポケモンは進化すると、姿形が大きく変わる。
「それ」がその身に降りかかるときの困惑、世界の変化は、きっと経験した者にしか分からない。
経験した者には分かる。

「めざめの朝」から一年。
ヒロに続き、そのライバルが到達した、新しく高い世界。


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