[ Chapter11「彼と彼女と彼女の裏話」 - G ]

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 今度はごまかさない、と宣言した通り、祐子はサイガの質問一つ一つに丁寧な答えを返してくれた。おかげでサイガが内心引っかかっていた記憶のいくつかにけりがつき、またその糸口を得ることができた。
 たとえば、祐子自身は誘拐計画にしか関わっていないこと。
 誘拐の実行犯を仕切っていたのは立てこもり事件を起こした人間だったが、動機や手口を与えたのは共犯の悪魔だったこと。
 事件の前にサイガと祐子が一度出会った日、標的を一目見たいと考えた祐子は独断で季花町に赴き、下校中のサイガの後をずっとつけていたこと。
「それ一目って言わねえよな?」
「だってさっちゃんたらスタスタ先行っちゃうんだもん」
 祐子は拗ねた声を出しながらも手を止めなかった。サイガの髪に塗った薬剤を残らずシャンプーとぬるま湯で洗い流し、柔らかいタオルで髪の水気をぬぐう。その手つきは無駄がなく、触れられた側に気持ちよささえ感じさせるものだった。
 そしてサイガはタオルで目隠しされた状態で、シャンプー台から鏡の前のチェアに連れ戻された。座ってから目隠しを取り払われ、照明のまぶしさに惑わされた後、真正面を見た彼は語彙を忘れた。
「……やべえ……!」
 まだ幾分か水気を含んだ髪は、見事な銅色(あかがねいろ)に変わっていた。
 真鍮色の面影も生え際に潜んでいた闇も一掃されている。全くムラのない完璧な染色は、今までサイガが持っていた「自分でできる」という自信を見事に全壊させた。
 ショックに続いて感心が浮上した。真夏の日焼けの色がすっかり薄れた肌に新しい色の前髪が重なると、これまで試したどの色よりも馴染んで見えた。
「乾かす前にちょっと切らせてね」
 祐子が左手の指先を湿った髪に差し込み、右手に持ったハサミで毛先をすくように切り始めた。
 それからの時間はあっという間だった。カットからドライヤーによる乾燥を経てヘアワックスで整えるまでの間、サイガはずっと鏡の中で動く手に見とれていた。
「はい、完成〜。どう? 気に入ってくれた?」
 肩を包むクロスとフェイスタオルが外されたとき、カッパーブラウンの髪はほどよく乾き、上の方は軽く跳ねさせるようにワックスで整えられていた。チェアから立ち上がってもなお鏡から目を離せずにいたサイガは、背中を無造作に叩かれてようやく我に返った。
「わざわざ聞かなくても、この顔がYESって言ってるよ」
 叩いた手の主はいつの間にかチェアの真後ろまで来ていた店長だった。
 サイガは背中の痛みと舌を噛みかけた焦りをこらえ、店長が差し出した手鏡を右手で受け取った。手鏡を通して正面以外の角度から髪型を見ても、自分の頭とは思えないのに違和感もない、不思議な心地が増すばかりだった。
「やっぱり、すげえ……あ、すいません、これ。ありがとうございます」
「お礼を言うのはこっちの方さ、祐子ちゃんのわがままに付き合ってくれてありがとうね。はいこれ、約束のバイト代」
 手鏡を返却した手に、今度は無地の白い封筒が収まった。
 本当に謝礼を渡されると思っていなかったサイガは何も言えず、ただ反射的に封筒を握った。そして何気なく中身を確かめ、吹き出してしまった。
 相場は知らない。でも夏休みにいくらか経験したアルバイトの日給より高い。一介の高校生にとっては充分大きな事件だった。
「ちょ、こんなに、いやこんなにもらっても」
「いいから。さっちゃんはなんにも悪いコトしてないんだから、胸張ってればいいの。さあさあ、祐子ちゃんも支度できたし、行っておいで」
「へ?」
「デート」
 店長が手鏡の縁で店の入口を指した。
 既に仕事モードをやめた祐子がハンドバッグを抱え、サイガに熱い視線を送っていた。

 勢いに引っ張られて外へ出たサイガは、今度は車ではなく徒歩で連れ回された。
 祐子が向かったのは先ほど通り過ぎた繁華街の大通りだった。ヘアサロンにいた数時間を疑いたくなるほど、歩道の混み具合には変化がなかった。
「そういや、なんで祐子は逮捕されてないんだよ」
「だってセンパイのことは事件自体なかったことになってるんだもん。下っ端もセンパイも全部忘れちゃったなら、私のことだって忘れちゃったわけだし?」
 ランチタイムのピークは過ぎていたが、祐子が選んだイタリア料理の店は屋外に行列ができていた。長い待ち時間をサイガは好機ととらえ、未だ掴めない彼女の正体を探り始めた。
「立てこもりのニュースでも全然取り上げられてなかったな。“隣の部屋”のこと」
「そうねえ、あの子は私のこと覚えてると思うけど、捕まってからずーっと錯乱してるみたいだから、何言っても信じてもらえてないかも」
 行列の先頭から店の中へ通された二人は、フロアのちょうど真ん中のテーブルで遅めの昼食を取った。スポーツに親しむサイガの食事ペースを見た祐子は楽しそうに驚き、自分が注文した分も気前よく半分ほど押しつけた。代金はすべて祐子が支払った。
「俺があのときどうやってあそこから脱出したかは」
「ごめんね〜、その辺はさっぱり覚えてないの」
 食事の後はファッション関係の店をいくつか回った。どの店でも祐子は自分向けの商品には一切手を出さず、ひたすらサイガに似合う服を探し求めていた。
「今、レジの人と何か話してた? 俺のこと指さしてるとこ見えたんだけど」
「みんなあなたが気になるの。カッコイイから。私の新しい彼氏ですって自慢しちゃった」
「は?」
「冗談よ。そこまでは言ってないから安心して」
 別の店へ移るたびに選択と試着は繰り返された。その勢いと表の通行人の姿を見たサイガは荷物持ちにされることを覚悟したが、意外にも祐子は財布のひもを固く締めているらしく、「似合う」は連発しても「買う」とは言わなかった。
「本当のコト言っちゃうとね、さっきのお店の人、サリエル様を知ってるの。この辺のヒトには意外といるのよ。さっちゃんが生まれる前、この辺に隠れ家を持ってた時期があって、みんなその頃にいろいろ助けられたから」
「俺が生まれる前って、おかしいだろ。あの人どう見ても俺よりちょっと年上ってぐらいで」
「この世界には、いろいろいるのよ。さっちゃんの目に見えている以上に」
 宝飾店にも立ち寄った。どう見ても貴金属を買えるような客ではないサイガは店員から全く声を掛けられなかった。祐子はカウンター越しに担当者と話し込んでいたが、その会話の内容はどうも宝石とは関係なさそうで、しかしサイガには少しも理解できなかった。
「結局あいつは……サリエルっていうのは、何者なんだ」
「なんて言ったらいいのかしらねー。こっちでは追放者とか落伍者とか呼ばれてるケド、私達の同類でもないし、敵の一員っていうわけでもないし」
 来た道を引き返す途中、祐子が急に両手でサイガの腕を掴み、しなだれかかってきた。サイガは一瞬どきりとしたが、すぐ後に説明のつかない寒気が腕から背中にかけて広がり、思わず祐子の手を振り払ってしまった。
「もう。いいじゃない、ちょっとくらい」
「ちょっとで終わる気あったのかよ。それより説明できないって何。仲間なんだろ?」
「仲間っていうか、そうね、それでいいのかしら。本人はそう思ってないかもしれないケド」
 祐子はわざとらしくむくれた顔をしつつも、懲りずに今度はサイガの手を握った。
「あのお方は世界中、この物質界もその外側も、あっちこっち飛び回ってるの。軍団の一つ二つ持てるくらいの力があるのに、いつもたったひとりで。ずーっと、たったひとりの宿敵と戦ってる」
「独りで……」
 手をつないで歩く二人に通行人がちらちらと視線を向けてきた。見知らぬ人々と目が合うたび、サイガの心の内で恥ずかしさとなんともいえない違和感が膨れ上がった。
「そう、ひとりきりで。私達の力を借りるときには『助けた分だけ返す』コトしか求めてこない。私もさっきの子たちも、できればもっと手を貸したいって思ってるのに」
「ますますわけわかんねー奴に見えてきた」
 サイガが捕まれた手をわざと揺らした。しかし絡みつく指は離れてくれない。
「でも、これだけは言える。今、サリエル様がやりたいのがさっちゃんを守るコトなら、私達はみんなさっちゃんの味方よ」
 美しく磨かれた爪の先端が手の甲に食い込んだ瞬間、サイガは腕を強くねじり、祐子の手を弾くように払いのけていた。
「分かった。あいつの味方だっていうのは、よーく分かった」
 引き離された祐子が言葉に詰まる間に、サイガは一人歩き出していた。
 それきり彼女への質問は途絶えた。会話自体も駅の改札の前で一度交わされただけ。往路とは違う種類の緊張感の中で二人は別れた。
 サイガは祐子の車ではなく電車での帰宅を選んだことを後悔しなかった。

 翌週の最初の平日。
 サイガの新しい髪型は級友たちから大いに驚かれ、同時に好評を得た。
 一方、朝の正門で待ち構えていた小森谷先生は、宿敵に気づかず素通りを許したとして生徒たちの話題になった。