第4話 〜訪問者〜


 ティオの家は住宅街の中にある普通の一戸建てで、彼の部屋は2階の南側にある。開け放たれた窓から心地よい風とやや東よりの陽の光が入ってくるのが、カーテンの揺れ方から分かる。
「そういうわけなんだ、ごめん、そっちに行けなくて」
『謝らなくていいよ。動けないんだからしょうがないって』
 部屋の主はベッドに寝たまま、電話でレイと話していた。川で溺れてから翌朝まで意識が戻らなかったと聞かされていたが、その割にスピーカーから聞こえてくる声は元気そうだ。
『退院したら会いに行くよ。その、チェリーちゃんも見てみたいし』
「そう……」
 桜色の髪を持つために「チェリー」と名付けられた妖精には、何もかもが新鮮に思えるらしい。部屋中を飛び回り、いろいろな物に触っている。
 一方ティオは家に帰ってきて以来、全くといっていいほど動けなかった。今も受話器を握るのがやっとという状態だ。最初は金縛りかとも思ったが、よく考えたら原因は筋肉痛だった。
「魔法使うのって疲れるんだなぁ……」
 冷たい川の中を泳ぎ回った上、指輪に頼らないとできないことも多かった。それでも発動後すぐに気絶しなかっただけ、前よりましだろう。
 今日は久しぶりに父親が仕事を休んで世話をしてくれた。母親は数日前から出張中で、連絡は取れたが忙しくて帰れないという。ティオが電話を切った後に部屋に来た父親はその話をしながら、仕事好きなのは昔と変わらないなと言って笑った。
「学校に休みの連絡も入れたことだし、私はそろそろ仕事に行って来る。ゆっくり休みなさい」
(結局父さんも仕事……?)
「心配するな、お前のための仕事だ」
 父親が部屋から出ていくと、物陰に隠れていたチェリーがおそるおそる顔を出した。慣れない外の世界が怖いのか、ティオの近くから離れようとしない。
 卵からかえって最初に見たティオを親だと思っているのかもしれない。さっきの電話でレイはそう言った。
「みゅ?」
 彼女(性別は分からないが女の子に見える)は言葉を話せないので、その意志を汲み取ることはできなかった。時々首をかしげ、かわいらしい声で鳴くだけだ。
 ティオはため息をついた。
「こんなのどうやって育てるんだよ……」


 「しくじったんだってぇ?」
 薄暗い廊下を歩く影が2つ。そのうち1つは昨日川岸にいた女の物で、もう1つは若い男の足下にあった。女より頭一つ上回る背丈と整った顔立ち、黒に近い茶色の髪が、深緑の軍服に似合う。
「うるさいわね、あれは実力を測ってただけよ」
「ダイアナ……その言い訳前にも聞いたんだけど」
「1回じゃ正確なデータは出せないの」
「そう? アタシには失敗して逃げ帰ってきたようにしか見えなかったけど」
「収穫ならあるわよ、灯火って思ったより捕まえやすそうなの。小さいし、言葉も話せないからいなくなったって誰も気づかないわ」
 ダイアナと呼ばれた女は胸を張った。賛同なのか抗議なのか、廊下の壁に等間隔に吊された灯が一斉に揺れた。
「偉く自信あるみたいね、次は何考えてんのよ」
「もう作戦は始まってる。協力者も見つかったし」
「ふぅん……」
 2人の歩く先に廊下の終点が見えてきた。高い天井につり合った大きさの鋼鉄の扉が行く手を阻む。
「……ところでクリス」
「何?」
 ダイアナは扉の前で立ち止まり、巨大な板に施された彫刻を眺めた。様々な魔物をかたどった飾りを、彼女はいつ見ても悪趣味だと思っていた。
「その喋り方やめてくれない? 格好に全然合わないんだもの」
「いいじゃない。これがアタシの個性なの」
 クリスは口に手を当てて笑った。
「個性で片づけないでよ……あなたと組んで仕事なんて、やっぱり断ればよかった」
「アタシは大歓迎だけどね」
 ダイアナはその言葉を無視し、扉に触れた。重そうな扉が音もなく開いた。


 誰もいない。誰も訪ねてこない。事件発生から数えて丸1日横になったままのティオは、家中を支配する静けさにだんだん耐えられなくなってきた。
 暇すぎて死にそう。
 チェリーは疲れたのか、宝箱の中で自分が入っていた殻に埋もれて眠っている。自分は動けない。動くなと言われている。早い内に体の痛みをなくしたいと指輪に念じたりもしたが、どうやら回復魔法までは使えないらしい。こういう時に役に立たないなんて。
 それなら今の自分に何ができる? 天井を見つめ、チェリーが目を覚ますか父親が帰ってくるのを待つ。ただ待つだけ。自分が立てるようになるのと、どっちが早いだろう。
  ピンポーン……
 玄関のベルが鳴った。
 誰かな。気になったものの、今の状態では見に行けない。
 訪問者はベルを何回か鳴らしたが、やがてあきらめたらしく遠ざかる足音が聞こえた。
(わざわざ鳴らすんだから父さんじゃないよな……誰だったんだろう)
「どうした? 暗い顔して」
「…………!!」
 いつの間にか、白い手が窓枠をつかんでいた。ティオは窓の外から聞こえる声に覚えがあった。
「玄関に鍵かかってたし、ここ開いてるから入らせてもらうぞ」
「……リゲル!?」
「さっきレイに会って、お前のこと随分心配してたから、代わりに見舞いに来た」
 リゲルは壁を蹴って弾みをつけ、窓枠を乗り越えて部屋に入ってきた。前に会ったときは地味な作業着姿だったが、今回はもう少し普通の格好だった。緑色の髪さえどうにかなれば、普通に町を歩いていても誰にも怪しまれないだろう。ティオがそんなことを考えていると、彼の心を読んだようにリゲルはこう言った。
「この色はしょうがないんだよ、何やったって変えられないんだから」
「それ地毛なの? ……って、それより! どうやって登ったんだよ、ここ2階なのに」
 しかもティオの記憶が間違っていなければ、足場になりそうなものも特になかったはずだ。
「秘密。それより、起き上がれるか?」
「どうだろう……いてててて」
 リゲルが手を添えて、ティオの上半身を起こした。まだ痛い所がある。物音で目が覚めたのか、チェリーが寝ぼけまなこのままよろよろと飛んできた。ところがリゲルと目が合った途端、慌てて隠れてしまった。
「あー、こいつがチェリーか……人前に出るなって教えたのか?」
「いや。僕以外の人が怖いみたい。チェリー、この人は大丈夫。出ておいで」
「みゅ〜……」
 チェリーは不安そうながらも顔を出し、リゲルをじっと見つめた。そのリゲルはジャケットの内側に手を入れ、紙包みを取り出した。
「おみやげ。食うか?」
 包みから出されたクッキーがチェリーの目の前に差し出された。チェリーは慎重に近づいてそれをしばらく見つめていたが、横でおいしそうにクッキーを食べるティオを見て、安心したのか端っこをほんの少しだけかじった。
「? ……みゅ!」
 その一口がよっぽど気に入ったのだろう、チェリーは自分の体と同じくらいの大きさのクッキーを両手で抱えて食べ始めた。器用なことに、その間ずっと宙に浮いたままだ。
「昨日生まれたんだろ。何か食わせたのか? あの様子だと相当腹減ってたみたいだな」
「食わせるって……動けないから何もできなかったんだよ」
「そう」
 ティオは痛みの消えない肩をさすり、リゲルはその様子を見て笑った。しかし2人ともすぐ真顔に戻った。
「ところでリゲル、1つ聞きたいんだけど」
「何?」
「魔法使うと、どうしてあんなに疲れるんだろう……って、ずっと考えてたんだけど」
「そんなの簡単」
 リゲルは部屋の中を見回した。
「魔法ってのは──特にその指輪を使ってると──精神エネルギーを消費するものだからな。ついでにお前はまだ慣れてない分、力の制御ができずに余計なエネルギーも使う。そういうこと」
「制御……」
「普通は“ファイア”程度であんな爆発が起こるわけない。なのにお前の場合そうなった。多分眠ってた力がいきなり覚醒したショックだな。大丈夫、何回か使えば慣れる」
 空になったクッキーの包みが、弧を描いて部屋の隅に置いてあるゴミ箱に放り込まれた。
 リゲルは先ほどのチェリーと同じように、物珍しそうに部屋を見て回っている。ベッドの上からそれを眺めているティオは、その様子に首をかしげた。
「何がそんなに面白いんだよ」
 リゲルは机の上にある写真立てを持った。満開の桜を背景に、幼い子供と両親が並んで写っている。
「これ、お前?」
「幼稚園の時のね。せめて先に断ってから見てよ」
 ティオは痛みに顔をゆがませながらも立ち上がり、リゲルから写真をひったくった。その時、窓の外で足音が聞こえた。
「誰か帰ってきたみたいだし、俺も帰ろうかな」
「ちょっと待って」
 ティオがリゲルの腕をつかんで引き止めた。
「せめて玄関から出てってよ。窓から飛び降りたら怪しまれるから」
「そうか?」
「そうだよ、少なくともここでは。それに……あれ、家族でも何でもない」
 ティオは窓から身を乗り出して玄関を見た。ドアノブに手をかけているのは野球帽とサングラスで顔を隠し、黒服を着た中年の男。どう見ても怪しい。赤の他人であることはすぐに分かった。
「あいつ、お前の家に入ろうとしてるのか?」
「ベルも鳴らさないで?」
「合い鍵持ってるみたいだし」
「知らない人に渡すわけないよ」
「……ってことは……」
「みゅ?」
 チェリーを含めた3人は顔を見合わせた。


 男はまず居間に入り、戸棚を開けて中を見た。部屋の中は薄暗い。次に戸棚を開けっ放しにしたままソファの下や棚の裏側を覗き、何もないことを確かめると今度は台所を物色し始めた。
(金目の物を探してるんだろうな)
(こういう奴は普通そうだよ)
 柱の陰で、ティオとリゲルが男の様子を見ていた。小声での会話は物を出し入れする音にかき消され、男の耳には届いていない。
(気づいてない……取り押さえよう)
 そっと近づいて手を伸ばす───
   がばっ!!
 2人は男の腕を片方ずつ掴んで動きを止めようとしたが、あっさり振り払われてしまった。
「見つけた……こっちにおいで……」
 男はふらふらと歩きながら、2人には目もくれず後ろにいたチェリーに向けて手を伸ばした。
「なるほど……泥棒じゃなくて敵の刺客だったんだ」
「それじゃあ」リゲルはにやりと笑った。「手加減しないで戦えるってことか」
「分かったけど、頼むから家は壊さないでよ」
「やるのは俺じゃない。魔法の練習台になるだろ?」
(えっ……僕がやるの?)
「うみゅ……」
 チェリーは怪しい男におびえ、ティオの後ろに隠れて泣き出した。
 こんな変な奴にチェリーを渡すなんて絶対嫌だ。でも部屋が水浸しになるのはまずいし、風で斬るにも何か壊しそうで怖い。火は論外。
 あれこれ考えている間に、妖精を捕まえ損ねた泥棒が懐から果物ナイフを取り出し、リゲルに刃を向けた。
「そいつをよこせ……ついでに金も」
「危ない奴だな……」
「こういうのを居直り強盗って言うんだよね……」
 下手に動けばリゲルが怪我をする。かといってチェリーを渡すわけにもいかないし、現金や通帳は必要な分以外は全部両親が持っている。自分の持っている分はそんなに多くないから、「もっと出せ」なんて言われてもどうしようもない。
(どうしよう……少しでも相手の気をそらせたら……)
 ティオは右手の拳を強く握りしめた。すると指輪が反応した。
(方法があるんだ! ……ひるませるか驚かすか……)
 指輪を中心に、周囲の空気が冷え始めた。明かりをつけていない、カーテンの隙間からわずかに差し込む光だけが部屋を照らす薄暗闇。視界が悪い上に背を向けていたため、泥棒はティオのわずかな動きに気づかなかった。
<……ファントムアイズ>
 真っ黒い煙のような物が、時々その中でキラリと光る小さな粒と共に泥棒の周囲を覆った。泥棒は慌てて周囲を見回し、ナイフを振った。しかしその直後に手が止まった。目を皿のように開いて煙の中の1点を見つめている。
 10秒ほど硬直が続いた後、男は何かに怯えた顔で逃げ出そうとした。すかさずリゲルが足を絡ませ転倒させる。
「なるほど。幻覚を見せたのか。どうやらこいつ自身はただの人間みたいだな」
「ただの人間がなんでチェリーを……」
「誰かにそそのかされたんだろ」
 リゲルは煙をくぐり、よろよろと起き上がった泥棒に近づいた。そして更に顔を引きつらせた彼の懐を探り、何かを取り出して戻ってきた。
「こいつの元の持ち主か何かに。……見たところ、さっき川底に沈んでたのと同じ物だ」
 リゲルの手の中には、星の形が刻まれた金色のメダルがあった。それはティオにも見覚えがあった。昨日戦った竜の額についていた物だ。
「やっぱり、チェリーを狙う敵か……どうしてそんな手を使ったんだろう?」
 開けた窓から煙が逃げていき、そこには倒れている泥棒だけが残された。
「気絶してるけど、どうする?」
 リゲルが尋ねると、ティオは冷静に答えた。
「警察に突き出すよ。盗みは未遂になったけど、住居侵入だけでも立派な犯罪だし」
「……俺は? 勝手に入ってきたことには変わりねえだろ」
「君は別。友達だから……一応」
「その『一応』って何だよ。でもいいか、やっと俺のこと信じる気になったんだな」
「………………」
「全部お見通しだ、お前が俺をずっと疑ってたってことも」
 外で門の開く音がした。ティオが玄関に行くと、そこには両親の姿があった。
「ただいま、ティオ」
「母さん……出張じゃなかったの?」
「私が頼んだんだ」父親がティオの方に手を置いた。
「たまにはそばにいてあげようってね。それでさっき空港に着いたって連絡があったから、迎えに行ってきたんだ。言っただろう、お前のための仕事だって」
「父さん……」
 ティオの後ろにいたリゲルが、呆然としている友達の両親を見て頭を下げる。
「こんにちは」
「あら、新しいお友達?その肩に乗ってる子も」
「肩?」
 ティオが振り返ると、リゲルの肩にはチェリーが乗っていた。
「みゅ?」
「あ、あのね、母さん、これは、その……」
「今、ティオに頼んでいたところだったんです。この子をお宅で預かっていただけないかと」
 リゲルはそう言うとチェリーを肩から下ろし、ティオの母親に差し出した。
「可愛いわね……いいわよ、預かっても。どうせ世話するのはティオだし」
「母さん!?」
「ちょうどいい、これで留守番の時も寂しくないだろう」
「父さん!!」
 相手が妖精だというのに、両親に抵抗する様子は全くない。ふたつ返事で承諾という予想外の展開に、ティオはただうろたえるだけだった。「当事者」を完全に無視し、親と依頼者の間で話が進む。
「かわいがってやってください。教えれば言葉も覚えますから」
「何で……リゲル、何でそんなこと頼むんだよ」
 反論するティオの耳元でリゲルはこうささやいた。
「でかい使命を負ってるんだ。周りを怖がったままで育って、人見知りするようになると後で困る。それに、お前のことは言ってないから大丈夫だって」
「そりゃそうだけど……」
「あ、それと」
 ティオの前に白い封筒が差し出された。
「指輪の説明。よく読めよ」
 リゲルはそういうと大人達の方を向き、もう一度お辞儀をした。その顔にはいつもと違う、毒気の抜けた暖かい笑みがあった。
「用は済みましたので帰ります。お邪魔しました」
「いいの? もう少しゆっくりしていけばいいのに」
 引き止める母親に丁寧な言葉でお断りを伝え、リゲルは出ていった。
「礼儀正しい子だな。ティオはよそのお宅で失礼なんかしてないだろうね」
「してないよ」
 家族3人、いや、4人が揃って居間に入ると、先ほどの泥棒がまだ眠っていた。
「この人は?」
「ただの侵入者。警察呼んでくるね」
「みゅ〜……」
 ティオは電話の置いてある所へ行き、受話器を取った。身体の痛みは消えていた。


 ダイアナとクリスは黄色のソファに並んで座り、部屋の中央に置かれたテレビを見ていた。画面には侵入者から見た居間の様子が映っていたが、突然バキッという音と共にノイズの嵐に切り替わった。
「これ、失敗って言うんじゃない? 言い訳はさせないわよ」
「うるさいわね、方法自体は間違ってないでしょ」
「確かに、『この世で一番欲深い生き物』を利用するのはたやすいわね」
「……じゃあ何がいけないのよ」
「たくさんありすぎて言えない」
 クリスは手鏡を取り出して前髪を直した。
「少なくともメダルの材質は変えないと。安物のプラスチックなんか使うから、子供でもああやって簡単に壊せるのよ」
「はいはい」
 ダイアナはソファから立ち上がると、部屋を出ていった。すぐに呼び止められるが無視する。
「どこ行くのよ」
「決まってるでしょ、次の作戦よ」
 壁の向こうから聞こえた声は、間違いなく怒っていた。


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