第6話 〜暴走〜


 ある土曜日の夕方、ティオはスーパーへ買い物に来た。肩の上にはチェリーが座っている。
 目を離した隙に誘拐されるのを防ぐためいつも一緒にいることにはしたものの、隠れてばかりではチェリーもつまらないだろうし、「外の世界のことを学ばせる」のが彼の最大の使命でもある。そこでティオは他の人に見えないよう特殊な魔法をかけ、自分の近くを離れないよう注意した上でチェリーを連れ歩いていた。
「てぃお、これ、なに? たべるの?」
 棚に並んでいる野菜を前に、早速チェリーの質問攻めが始まった。ティオは野菜の名前を1つずつ教えながら、必要な物をカゴに入れていく。
 お菓子が置いてあるコーナーを素通りしようとしたティオだったが、髪を引っ張られて仕方なく止まった。チェリーは嬉しそうな顔でチョコレートの箱を取ってきて、カゴに入れようとした。しかしそれはすぐ元の棚に戻されてしまった。
「いらない?」
「当たり前だよ。好きだから、食べたいからってどんどん買ってたら、すぐお金が無くなっちゃうんだ」
「おかね?」
「何かを買うときには必ずいるんだ。こういう物」
 ティオは財布の中から1枚のコインを出した。
「使いすぎると後で必要なときに困るから、チェリーが欲しくても僕は買ってあげられない。一度許したらずっと認めないといけないから」
 同年代の子供に「主婦みたい」と言われそうな説教を受けたチェリーは、寂しそうな顔をしながらもあきらめた。でもすぐに立ち直り、棚の間の通路を飛び回った。
 持参した買い物袋と、それに入りきらない物を入れたビニール袋を両手に提げて歩きながら、ティオはその辺を見て回るチェリーを見守って──というよりは見張っていた。スーパーを出ても、この小さな妖精は旺盛な好奇心に従って行動している。何か面白い物を見つけるたびに騒ぎ、じっと見つめ、時には欲しがった。
「ちょっと待ってよ、勝手に僕から離れるなって言ったのに」
 商店街の出口に近づいた。背中の羽を絶え間なく動かしているチェリーはいくら飛んでも平気そうなのに、それを歩いて追うティオは疲れ切っている。
「みゅ?」
 チェリーの動きが止まった。しかし、それはティオの呼びかけが届いたからではなかった。
 彼女は喫茶店の前で、ガラスの向こうの店内を見ていた。窓際の席に若いカップルが座っていて、彼らの前にガラスの器に入ったパフェが運ばれてきたところだった。
「……みゅ…………」
 ため息(?)をつきながら、チェリーはパフェをじっと見つめている。一体何が彼女にそうさせるのか、ティオには理解できなかった。
「チェリー……あれが食べたいの?」
「みゅ」
 素直な返事が返ってきた。
「でも今はダメだよ、そろそろ帰らないと」
「てぃお、つめたい。……えるしー、やさしいのに」
(エルシー? ……そうか、やっぱり原因は母さんか……)
 最後の一言で、ティオはようやく納得がいった。夜遅く、自分が寝ている間に帰ってきた母親が、物音に目を覚ましたチェリーに食べ物を与えているらしい。後で注意しておかないと。わがままがいつでも通用すると思いこまれたら大変なことになる。
「また今度来よう、時間作って買ってあげるから」
 ティオはその場を離れようとしたが、まだチェリーが動く気配を見せない。1歩下がった足を元の位置に戻し、虫を捕るように両手でチェリーを挟んで捕まえた。
「行こう。もうすぐ母さんが帰ってくる時間だから」
「あれなに? きれいなの、あかるいの」
「今度は何だよ……」
 あきれているティオの手の中で、チェリーは手足をばたばたさせている。その先にあるものは──
「………………」
 店の奥を覆い尽くす、オレンジ色の光だった。


 薄暗い部屋を、机の上に置かれたろうそくだけが照らしている。燭台の周りに散らばった金色のメダルに光が反射してまぶしく輝くが、それはろうそくと同じ役目をするには至らなかった。
「荒れてるわね……」
 用事でダイアナの部屋を訪れたクリスは、手を額に当ててため息をついた。子供相手に勝てないと言う現実を前に焦り、いらだち、ふさぎ込む同僚の姿が目に浮かぶ。
 メダルは床にも落ちていた。何枚かを拾って机の上に載せ、左右を見て持ち主がいないことを確認する。
「どこに行ったのかしら……」
 彼はこの時、ダイアナに外出を促したのは自分だということをすっかり忘れていた。

『アタシの計画にはね、時間と手間とお金がかかるの』

 更衣室の扉が開き、少し間をおいてダイアナが出てきた。
(どうか今日もトラブルが起こりませんように……)
 クリスに頼まれた「計画」の資金を調達するため町に降り立ったところ、「アルバイト募集」の張り紙が目に留まった。すぐ横で喫茶店が看板を出している。早速店に入ると人手不足だからと歓迎され、その日から働くことになった。
 それから1週間、魔法を一切使わず自分の力だけで仕事をしてきたことには本人も感心していた。
(そう、この調子。このまま何事もなければ、下手な賭けよりは確実に稼げるはずよ)
 エプロンのポケットに手を入れると、何故か「本来の商売道具」のメダルが1枚出てきた。でも今は必要ない。ダイアナは廊下から店に入り、カウンターの端にメダルを置いた。代わりに注文票とペンを手に取り、入口の扉をくぐった客を席に案内する。
 今日は休日、いつもより忙しい。気を引き締めて、ミスを出さないようにしよう。
 ひっきりなしに人が来るので、確かに手が足りない。休む間もなく働いていたダイアナの目が、窓の外の1点に釘付けになった。
 店のウィンドウの外に、彼女が目の敵とするあの子供の姿があった。その隣にはシャボン玉のような物体が浮いている。
(灯火? 何でこんな所に……)
 神に選ばれた「聖者」を導く灯火の伝説は、幼い頃から何度も聞かされてきた。そらで言うこともできる。この世界──彼女にとっては異世界──の人々は誰一人知らない物語だけど。
 卵からかえったときの強い光、報告を受けた上官(本名を知らないので何と呼べばいいか分からない)の反応から考えると、あの妖精が「灯火」と見て間違いない。それがあんな無防備な状態で目の前にいるなんて……
「おーい、お客さんだよ」
 マスターの声でダイアナは我に返った。
 そうよ。今の自分は灯火を捕まえるのが仕事じゃない。
「はーい」
 返事をしてからカウンターを見ると、ネズミのような生き物が壁を登っているのを見つけた。コーヒーの香りが漂う店の中で、そこだけを異様な雰囲気が取り巻いている。ネズミの体から感じられる、「魔力」と呼ばれる独特の感覚。それは彼女にしか分からない。
(あれは──さっき捨てたメダル!? まさか灯火に反応して勝手に……?)
 ダイアナはカウンター越しにネズミを観察した。その体はゴミとホコリでできていて、走り回るにつれて周りの汚れを取り込みふくらんでいく。
「君、何やってるんだい?」
「いえ、別に何も」
 マスターに睨まれたダイアナは大人しく接客の仕事に戻った。
 その後ろでオーブンの開く音がして、中から焼き菓子の香りが広がった。マスターはそっちに気を取られ、他の従業員もそれぞれ忙しい。ネズミが機材を伝ってオーブンの中に入ったことには、誰も気づかなかった。


 火傷を負った客がドアを蹴破って次々に脱出する。
 誰かが「火事だ」と大声で叫んでいる。
 通りかかった人達は足を止め、黒煙を吐き出す店の中を少しでもはっきりと見ようとする。
「消防車が来る、道を空けろ!」
「まだ中に人がいるぞ」
 燃え広がる火を目の前にしたティオは、群がる人だかりの先頭に立っていた。気絶している男性を抱えた人が出てきた。先に逃げた人が心配そうに駆け寄る。顔を上げた従業員らしき人とティオの視線が合った。
「あっ……」
「この間のオバサン!」
「それは禁句よ!!」
 怒鳴られたティオはチェリーを抱え、人の波をかき分けてどこかへ行ってしまった。
「失礼な子ね……」
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
「……はい、私は平気です。それより他の人たちは……」
 到着した消防士に笑顔で応じたダイアナは、立ち上がってエプロンの汚れを払った。3本のホースが水を吹き出すものの、炎は一向に弱まる気配を見せない。幸いにも店内にいた人は全員無事だった。相当慌てたのだろう、客の一人はコーヒーカップを持ったままだ。
(やっぱりこれ、私がまいた種よね……何とかしないと)
 思い当たる「火元」があるダイアナは、けが人を運び出す列に紛れて人混みを離れた。その頬に冷たい物が触れた。
 気がつくと、晴れていたはずの空が雲に覆われている。


 路地裏に逃げ込んだティオは、雨に打たれながら敵の気配を探った。チェリーはビニール袋で作ったレインコートで身を守っている。
 指輪は青く光っているが、火元に近づくにつれ色が黒ずんでくる。敵が近くにいる証拠だ。
「やっぱりあのオバサンの仕業かな……」
「だから違うって言ってるのに」
「!?」
 肩に何かが触れたので驚いたティオが振り返ると、すぐ後ろにダイアナが立っていた。またしても「禁句」を口走ってしまったことに対して怒っているかと思いきや、意外にも落ち着いた様子だった。
「魔法で雨を降らせたところで、あの火は消えないわよ。中で暴れてるネズミを止めないと」
「ネズミ? 今度はネズミの怪物?」
「そう、それも私が作ったんじゃない。全部この子のせいなの」
 ダイアナはチェリーを指さした。シャボン玉は路地裏に入った時点で消えている。
「妖精の気配に反応して暴走しだしたみたい。様子を見に来たんだけど、私1人じゃ止められそうにないわね」
「だから何が言いたいんだよ」
「つまり……今回は手を組まないかってこと。妖精は欲しいけど──今捕まえて逃げるのもアリだけど、何かほっとけなくて。あなたならきっと何とかできると思うの。お願い、手伝って?」
 前に会ったときの偉そうな態度とは正反対に、両手を合わせて目上の人に対する笑顔を見せるダイアナの言葉をティオはとりあえず聞いた。そしてしばらく考え、こう言った。
「しょうがない……これが最初で最後だよ」
「みゅ?」
「ありがとう!今日は灯火には手を出さないから。誓いますから。あ、これ以上お店壊さないでね?」
「それくらい分かってるよ!」
 ティオは野菜の袋をダイアナに預けると、裏口から中へ入った。


 外から見ただけでも中の様子は想像できたが、実際はもっとひどかった。どっちを向いても炎が目に入る。煙がティオに襲いかかる。あまりの蒸し暑さに耐えきれなくなったチェリーがレインコートを脱ぎ捨てると、それは火の粉が触れてすぐに黒く縮んだ塊と化した。
「みゅ!?」
「火の粉くらいでこんなに燃えるものかな……」
 それこそ魔物が関与する証拠。ティオは入口のドアを開けたまま固定し、右手を前に突き出した。
<レインストーム!!>
 外で雨足が強くなったのが音で分かる。指輪が強い光を放つと同時に風が吹き、大量の水滴が煙を吹き飛ばしながら炎の中へ飛び込んだ。すると炎の勢いが弱まり、火元へ通じる道ができた。
 先に進むと、黒こげになったカウンターの上に小さな火の塊があるのを見つけた。外ではまだ消火活動が続いているのだろう、割れた窓ガラスから水が入ってくる。
「……うみゅう……あつい……」
 チェリーはふらふらと飛びながらティオの肩に止まろうとしたが、よろけてカウンターの上の火に突っ込みそうになった。
「危ない!」
 火に触れる前にティオが手を伸ばして捕まえたのでチェリーは助かったが、驚いたのは2人だけではなかった。
 火が、チェリーにびっくりしたかのように「飛び上がった」のだ。
 火の塊はそのまま動き出し、炭となったテーブルや椅子の間を走り回った。動く火に触れた炭が、瞬く間に燃え上がる。確かにその動きはネズミそのものだ。
「そうか、あれが原因なんだ」
 消えない炎に悪戦苦闘している消防士達からは見えないところで、ティオと火ネズミは追いかけっこを繰り広げた。
 動く火を消せばすべてが終わる。でも相手はかなりすばしっこく、追いつめて動きを封じることができない。
「みてぇ、これ、きれい」
 追いかけっこに飽きたのか、チェリーは熱で溶けたコップに触れて遊び始めていた。水を浴びて冷めたガラスはある程度以前の面影を留めているが、中に入っていた氷水は既に蒸発していた。
「チェリー、そんな事してる場合じゃ……あ、そうか!」
 無邪気に笑うチェリーから目をそらしたティオは、何かを思いついた。
 1つだけ残っていた消火器を見つけてすぐに拾い上げ、右手でホースを抜いて構える。左手でレバーを引くと、白い薬品が宙に散った。
 ネズミは逃げ惑ううちに、部屋の隅で消火剤の線に囲まれてしまった。


 「やっと消えた……」
 手こずった割に、結末はあっけなかった。
 ティオは使い切った消火器を脇に置くと、白い粉の中からメダルを拾い上げた。裏口から外に出ると、店の前にはマスコミも来ていてさらに大きな騒ぎになっていた。
「片づいたのね、ありがとう」
 ダイアナが現れ、買い物袋と引き換えにメダルを受け取った。
「あなたのことが見えないように細工しといたから。……それにしても、何で雨なんか降らせたの? あれ、あなたがやったんでしょ?」
「別に」
 質問を無視して家に帰ったティオは、食材を台所に運んでからテレビをつけた。
 さっきの火事のニュースが映った。消防車3台が放水し続けても消えなかったはずの火が、突然一斉に消えてしまった──そう報じている。煙だけが残った建物の中には、誰の姿も映っていない。「店員の目撃証言」として、オーブンが突然火を噴いたという内容のテロップが出た。
(別にいいよな、敵を助けても。チェリーが無事ならそれでいいんだし)
 そのチェリーは、買ってきた玉ネギを転がして遊んでいる。火傷とかをしなかったから良かった。それでいい。
 リゲルとも意見は一致している。彼からもらった手紙の中に、こんな文があった。
『正義の味方になる必要はない。チェリーを守ることがお前の役目だ』
 それなのに、どうしてあの時は火事を止める気になったんだろう。


 ダイアナの部屋で勝手にくつろいでいたクリスの目の前に、封筒が突き出された。驚いて椅子ごと後ずさりしながら封筒を受け取ると、同僚の不機嫌そうな顔が見えた。
「何これ?」
「1週間分の稼ぎ。黙って受け取りなさい」
(ずいぶん強気ね……っていうか怖いかも)
「どうせ足りないでしょうから、もう1回行って仕事探してくるわね」
 クリスは封筒を開け、中の紙幣を数えた。
「でもね、ダイアナ、それより先にやる事があるんじゃない? あなたの使命は終わってないんだから」
「分かってる」
「それならいいんだけど。敵と手を組むような真似するから、裏切ったのかと思ったわ」
 ダイアナは突然隣にあったゴミ箱をひっくり返して中身を床にまき、手に持ったメダルを次々とその中に放った。メダルにゴミが吸い付き、黒くふくれあがってネズミの形を成す。
「え……まさか……」
「ま、これくらいでは死なないと思うけど……ちょっと、何腰抜かしてるのよ。それでもこの城に仕える幹部なの? ……まあいいか」
「あぁ……ぁぁぁ……」
 椅子に座ったままのクリスの全身に鳥肌が立ち、声も震えている。
 ダイアナはゴミの塊を踏まないように歩き、部屋を出る瞬間に振り返ってつぶやいた。
「襲え」
 クリスの絶叫は、扉を閉めてもなお城中に響き渡った。


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