第12話 〜真実〜


 草木も眠る、丑三つ時。
 一人目を覚ましたリゲルの姿が、満月の光の中に浮かび上がる。彼の息は荒く、全身が汗で濡れていた。叫びそうになり、口を手で押さえる。
(……ここは……)
 上半身を起こし、薄暗い空間を見渡した。自分が住む家とは明らかに違う。
(俺は……何でこんな所に?)
 記憶の糸をたぐっていると、昨日のことを思い出した。この部屋に泊まることを勧めた「友達」は今頃、壁を隔てた向こう側で眠りについているはずだ。
 リゲルは体を横たえて目を閉じたが、数秒もしないうちに再び起き上がった。
 繰り返される、悪夢のような記憶。
 忘れてしまおうと思えば思うほど、記憶はより鮮明に浮かんでくる。しばらく悩んだ末、リゲルは眠ることそのものをあきらめた。一晩のうちに2度も同じ「体験」をするよりは、遠い夜明けを待った方がいい。
 枕元に置いた青い髪飾りが、月の光を浴びて輝いている。


 話は半日前にさかのぼる。
 学校から帰ってきたティオは、家の近くを怪しい格好をした3人組の男がうろついているのを見つけた。古典的なファンタジー映画に出てきそうな、剣士と弓使いと魔法使い。そんな感じのコスプレをしている。彼らは数歩進むたびに、注意深くあたりを見回していた。何かを探しているようだ。
「あ、ねえ、そこの君」
 関わり合いになりたくない一心で、3人組と目を合わさず通り過ぎようとしたティオだが、結局呼び止められてしまった。声をかけてきた剣士が近寄ってきて、何かのジェスチャーをしながら言った。
「この辺でさ、こう……派手な緑色の頭した奴見なかった?」
「は?」
 すぐに特定の人物の顔が浮かんだが、ティオは「いいえ」と言って首を振った。「この辺」で見ていないのは事実だし、余計なことを言うとトラブルの元になりかねない。
「そうか、分かった。ありがとう。……ちっ、逃げられたか……」
 剣士は舌打ちをしてから、仲間にそろそろ帰ろうと提案した。二人もそれに応じ、彼らはティオだけをその場に残して去っていった。
「何だったんだ、今のは……」
 まあいいや、と思いながら家の前に来たティオは、玄関に通じる門を開けようとした。しかし、その手がふと止まった。門柱の陰に誰かがうずくまっている。
「誰だっ!?」
「あ、お帰り。俺だよ、俺」
「リゲル……」
 ティオは半分あきれ、半分ほっとした様子でため息をついた。"緑色の頭"の人物がこんな所に隠れていたなんて。さっきの3人組を呼び戻そうと振り返ったが、すぐに止められた。
「俺のこと探してる奴らがいただろ。頼むからあいつらと関わるな。友達だなんて知られたら、お前までひどい目に遭う」
 リゲルは座ったまま、小声でティオに呼びかけた。両手を合わせているところを見ると、彼にとっては深刻な問題らしい。
「分かったよ。それで、僕に何か用?」
「いや、近くを通ったから寄っていこうかと思って来ただけ。迷惑だったか?」
「ううん、別に構わないよ。それより」
 家の敷地に入ったティオは3人組がいないことを確認し、リゲルの体を支えて立たせた。顔色が悪いように見えたのは気のせいではなく、その原因はすぐに分かった。
「怪我してるじゃないか。一体何があったんだよ」
「お前には関係ねえよ、それにこれくらいすぐ治る」
 リゲルは平然とした顔だったが、左腕が赤く染まっているのを隠し通すことは出来なかった。どう見ても、すぐに治るような怪我ではない。


 「放っておいたらもっとひどくなるかもしれないし、傷口がふさがっても跡が残ることだってあるんだ。だから早めの応急処置がいるんだよ。分かった?」
 帰ろうとしたリゲルはティオによって強引に家の中へ引きずり込まれた上、染みついた血を洗い流すという名目で、着ていた服の上半分を無理やりはぎ取られた。
 引き止めた張本人は汚れた衣類をどこかへ運び出し、救急箱とタオルを持って戻ってきた。そして腕についた血をぬぐい、刃物で切ったような一直線の傷に、スプレー状の傷薬を何のためらいもなく吹きつけた。怪我人が痛がって悲鳴を上げる。
「……離せ! これぐらい俺にも出来る!」
「出来ない。片手じゃ無理だよ。……チェリー、そこの包帯取って」
「これ?」
 看護婦のつもりではないが白い服を着ているチェリーが、床に置かれた包帯を持ってきた。ティオはそれを受け取ると、いくらかほどいて腕の傷口の周りに巻き付けた。腕以外にも何カ所か切り傷が見つかり、片っ端からぺたぺたとばんそうこうを貼られた。あざや火傷の跡も目立つ。一体、彼はどんな危険に身を投じていたのだろうか。
「これで大丈夫。本当は病院に行った方がいいんだけど……」
「下手に動いたらさっきの3人に見つかる。次に会ったらこのくらいじゃ済まないだろうな」
「……そんなに危険? この傷も……もしかしてあの人達が……」
「そう。あいつら本気で俺を殺すつもりらしい。……そうだ、しばらくここに隠れてていいか?」
 冗談とも本気ともつかない発言に二の句が継げないティオをよそに、チェリーは余った包帯の端を持ってリゲルの指に巻こうとしていた。もちろん一度でうまくいくはずはなく、何度もほどいては直している。失敗を繰り返しながらも本人は楽しそうだ。
「おい、聞いてるか、ティオ?」
「え? ……あ、ああ、大丈夫。父さんと母さんは2人仲良く出張、明後日まで絶対帰ってこないから泊まっても平気だよ」
 壁の向こうで、洗濯機のブザーが響いた。ティオはリゲルに逃げないよう念を押してから、多少はきれいになったはずの服を取りに行った。


 「まさか、さっきの子供に騙されたんじゃないでしょうね?」
 同じ頃、"コスプレ3人組"はまだ住宅街の真ん中をうろついていた。追い回していた男を見失い、一度はあきらめて帰ろうとしたものの、なんとなく後ろ髪を引かれる思いがあったのだ。
 魔法使いはどうやら、男の行方を尋ねたときの子供の返答を疑っているらしい。彼の考えによれば、その場を逃れるための作り笑いがどうも怪しいのだという。
「ねえ、見てよ、あの家」
 弓使いが首をかしげながら、子供が入っていった家を指した。3人が門の格子の隙間から中をのぞき込むと、その場所から庭を突っ切って玄関まで、血痕が点々と残されている。
「分かりやすい目印残してるな……さっきのお前の一撃、やっぱり効いてるんだ。さすが」
「まあね」
 剣士に頭をくしゃくしゃとなでられた弓使いは、拾い上げた1本の矢を得意気に見せた。逃げる男を仕留めようとした際、その左腕をかすって落ちた物だ。魔法使いはその隣で杖を立て、今すぐにでも攻撃に移れる体勢を取った。
「民間人を巻き込んで立てこもるつもりですか……どうします? 私でしたら家ごと吹き飛ばしてでも息の根を止めてみせますが」
「おいおい、いくら危険な奴だからってそりゃまずいだろ」
「あー、もしもし、そこの君達」
 突然、初老の男の声がその場に割り込んできた。3人が振り返ると、そこには立派な口ひげを蓄えた警察官が、不審者を見る目つきで立っていた。
「そんな格好して、一体こんな所で何をしてるんだね?」
「あなたには関係ないことです」
 一見質問に応じるような素振りで前に進み出た魔法使いが、右手の人さし指を差し伸べて警察官の額を軽くつついた。警察官は一度まばたきをした後、直立不動の姿勢のままゆっくりと後ろに倒れた。
「うわ〜……可哀想に。動かなくなっちゃった」
 弓使いが少しだけ同情の視線を哀れな警察官に向けたが、すぐ目をそらした。一方で剣士は門柱の陰に隠れるようにして塀の中をうかがった。
「様子を見て中から引きずり出すか。今なら怪我してるし、少しは動きが鈍いはずだからな」


 「災い?」
 しばらく誰も使っていなかったという客室に通されたリゲルは、ティオから始業式の日に聞いた言葉──災いを抱える忌まわしき者、という言い回し──を聞いて驚いた。いったい何のことかと問うティオに、逆に聞き返したくらいだ。
「敵の言うことだからあんまり信用できないんだけど、もし本当なら、君がよこした手紙と話が食い違ってくるんだ。その……灯火の伝説っていうのと。チェリーは悪い奴から世界を救うはずだって言いたいんだよね、あれは?」
「そうか。……俺の推測だと、それは……両方正しい」
「両方?」
 閉め切った部屋に特有のじめじめしたにおいが、開け放たれた窓から外へ逃げていく。代わりに夕暮れの赤い日差しと、冷たい風が入ってきた。
「そろそろいいかな」
 ティオは窓を閉め、エアコンのスイッチを入れた。リモコンの液晶画面が、暖房の一番高い設定温度を表示した。頭上から温風が吹き付けてくる。
「みゅう」
 問題のチェリーは、光を発したこと自体を覚えていないという。少なくとも、明らかな悪意があったわけではなさそうだ。
「少し複雑な話なんだ」
 リゲルはティオが持ってきた、父親の物だという衣類に袖を通しながら言った。背が高いのでティオ本人の服は小さすぎるのだ。
「チェリーのもともとの使命は、世界の破滅を食い止める"聖者"を選ぶことだ。悪巧みしてる奴は当然、こいつを潰せば邪魔する奴が現れることもないと考える。単純なことだろ」
「単純かな……?」
 ティオは「伝説」が書かれた紙切れを黙読した。

<神の涙の一滴(ひとしずく)は
 選ばれし者のもとへ下る
 聖域へ導く灯火となり
 この世の混沌を打ち砕くために

 闇の化身は万の月と共に
 死の淵よりよみがえる
 聖なる光を受けた者と
 再び剣を交えるために──>

 一通り読むと、ティオは自分の物より一回り大きい客用のベッドに寝転がった。チェリーも真似をして仰向けに倒れ、その隣にリゲルが座った。
「そいつはただの言い伝えじゃない。実際、"闇の化身"との戦いは数百年に一度起こってるそうだ。お前は知らないと思うけど。俺達とは違う世界に生きてるからな」
「違う世界……何か信じられないや」
「そうだろうな。とにかく、「伝説」を研究する奴は多い……俺も卵を預かってから色々調べたんだけど、ややこしくてさ……いてて、引っ張るなよ」
 見ると、チェリーがリゲルの長い髪に興味を持ったらしく、三つ編みを引っ張ったりほどこうとしたりして遊んでいた。先端にさっきの包帯の余りを巻き付けたのも彼女だろう。
「それで? 調べて何か分かったんだよね」
「ああ。チェリーは仕事をやり遂げるために、どうしても自分の身を守る必要がある。それは分かるよな? そのために得たと言われているのが、お前が見たっていうあの光。通称『汚れなき光(ピュアライト)』。並の魔物なら一瞬で全滅させられる……卵の中にいたときから使えるっていう、唯一の攻撃手段だ」
「ピュアライト……それで、災いっていうのは?」
 ティオと目があったチェリーは無邪気に笑った。彼女は目の前で自分に関わる深刻な、そして複雑な話が行われているということを理解していない。放置されたリモコンを拾い、ボタンをいくつか勝手に押した。リモコンは直後に取り上げられたが、それまでのわずかな間に暖房が冷房に切り替わっていた。冷風が3人の首筋をなでて通り過ぎる。
 再びリモコンを操作しながら、ティオは混乱している頭の中を整理しようとしていた。チェリーは自分を守るために光を使う。それが災い?
「少なくとも敵にとっては、その光が災いだろ。一瞬で殺されるわけだし。……それに、かなり前の話だけど、暴発して人間を巻き添えにしたこともあったらしい。安心できないんだ」
 リゲルは窓の外に目をやり、夕方の空の色が変わっていくさまを眺めた。
「それに、災いの前兆という見方もできる。聖者を選ばなきゃいけないってことは、"闇の化身"が現れた証拠だからな。……じゃあ、もしこいつが敵の側に付いたらどうなると思う?」
「どうなるって、敵の味方になって……聖者っていうのを……選ぶの?」
「敵もバカじゃないから、裏切り者を出すような真似はさせないだろ。救世主が現れない以上、この世の混沌……俺達が恐れてる本当の"災い"も、止められなくなる」
 リゲルの話を聞きながら、ティオは卵を預かってからの3カ月余りを思い起こしていた。小さな"兵器予備軍"がその力を発揮したのは、始業式の日に起こった騒動で3回目だ。
「それじゃ、どうしてそんな、大事なものを……僕が?」
「前に言っただろ、善悪の区別を付けさせろって。敵に騙されてついてくようなことを防ぐためにな」
「………………」
「それに、こいつを作った神様とやらは、ずいぶん用意周到なんだよ。なんでも「汚れなき光」に耐性を持っている、つまりどんな場合でも光が一切効かない、特殊な条件を持ってる奴が必ずどこかにいて……そいつだけがこの鈴の特別な音色を聞き取れるそうだ。ティオ、お前のようにな」
 リゲルは細いひもがついた金色の鈴を取り出した。2人が初めて出会ったときに聞いた音。ティオはあの時と同じ不思議な音色を再び耳にした。
「……ということは、リゲルはもしかしてこの音が……」
「お前が聞いてるのとは違う音に聞こえるらしい、でもその方が普通なんだ。何しろその条件が揃う確率は数億分の一。ほとんどないに等しいな。俺の知り合いにはお前を入れて2人いるんだけど、そんなの滅多にある事じゃない。せいぜい1人に会うか会わないか……」
「……2人?」
 窓の外を見つめるリゲルの表情はどこか寂しそうだった。それと対照的に、チェリーはティオの膝の上で幸せそうに寝息を立て始めた。あちこち飛び回って疲れたのだろう。
「そう、2人。もともとお前とは別に、チェリーを育てる予定だった人がいたんだ。今は生きてるかどうかも分からないけど」
 誰のことだろう?
 尋ねてみようかと思ったティオは口を開きかけたが、声を出す前に妨害が入った。
 派手に砕け散るガラス。飛び込んできたこぶし大の石。リゲルの表情が険しくなった。


 「とうとう見つけたぞ。無駄な抵抗はよして大人しく出て来い!」
 はっきり聞き取れたのはこの一言だけで、後は3人が口々に何か叫んでいることだけが判別できた。
 騒がしい声を聞きつけた近隣の住民が窓から次々に顔を出したが、声の正体が怪しい格好の男達だと知るやいなや、何かを恐れて家の中へ引っ込んだ。中には見物を続けようとする人もいたが、周りから「関わるな」といわれてあきらめたらしい。
「あいつらの辞書に『迷惑』なんて言葉はないんだろうな。折角だから教えてやるか」
 暗殺者トリオは門の外からこちらをにらんでいる。近所の人達に何と説明したらいいんだと頭を抱えるティオの隣で、リゲルがおもむろに立ち上がった。
「そこから動くなよ。ガラス代なら俺が出すから心配するな」
 床に散らばった破片をじっと見つめている。何をするつもりだろう。顔を上げたティオは、リゲルの体を取り巻く紫色の光に気がついた。確か、クリスマスの時にも同じような現象を見た気がする。
「覚悟しろ! 雨が降ろうが槍が降ろうが、僕達は絶対逃げないからね!」
 周囲を気にせずわめく3人を横目に見ながら、リゲルは指揮者のように片手を軽く振った。するとガラスの破片がゆっくりと宙に浮き、エアコンの風に乗って窓の外に押し出されていった。
「あいつら確か自称"勇者"だったっけ? ああやって正義を振りかざす奴に限って、本当に困ってる奴のことを理解してないんだよな……」
「ねぇ、リゲル、まさか……それを、」
 ティオの顔が引きつる。嫌な予感。止めようと差し伸べた手は届くはずもなく、立てば膝からチェリーが転げ落ちるので動くこともできなかった。
「心配しなくても、目には当てないようにする。……一方的にやられるなんて気にくわないし、少しくらい痛い目に遭っておいた方が、あいつらのためにもなるだろ」
 リゲルが指を鳴らすと同時に破片は輝きを失い、代わりに万有引力を得て勇者トリオに襲いかかった。宣言通り目には入らなかったようだが、3人は大慌てでガラスを振り払い、その視線は今まで以上に怒りの色を強くした。剣士は足下の石を拾い、他の2人は武器を構えている。
「あー、怒ってる怒ってる。……そうだ、もっと面白い物を見せてやろうか」
(笑ってるよ……やっぱり今のは挑発だったんだ……)
 呆れるティオをよそに、鈴をつけたひもに結びつけられていたネジを引き抜いたリゲルは、それを窓の外に投げた。ネジは彼の狙い通りに飛んでいき、剣士のすぐ脇の地面に突き刺さった。
「貴様、いったい何のつもりだ! 俺の足に当たったらどうしてくれるんだよ!」
「落ち着きなさい。今のはわざと外したのでしょう……まずいことになりそうですね」
 顔を曇らせた魔法使いがつぶやいた。他の2人は「?」を浮かべた顔を見合わせた。
 一方でティオの視線は、リゲルの指先を中心に金色の輪を描く細いひもに注がれていた。先端の鈴が遠心力に引きずられてかすかな音を立てている。
「俺じゃなくて、外を見てろ。そろそろ来るぞ……」
「外?」
 割れた窓からそっと外をのぞいたティオは、目を皿のように見開いた。同じ金色の軌道──ただしその半径はもっと大きい──が家の庭に出現している。円の中心は先ほど投げたネジのようだ。光の軌道に囲まれてしまった3人は、程度の差はあるが全員が動揺を見せていた。
「何だこれは……!? おい、こんな技使うなんて聞いてないぞ!」
 誰かが叫んでいる。
「どうだ、ティオ。あいつら慌ててるだろ。……そろそろいいかな?」
 リゲルはそう言うと同時に鈴の回転を止めた。すると外の軌道はわずかな間だけその輝きを増し、迷惑な戦士達を飲み込んで消滅してしまった。
「消えた……今のは一体……?」
「まあ、魔法の一種だな。あのネジを中心に、直径1メートル以内のモノを好きな場所に飛ばせる。最初に会ったとき、お前を元の場所に送り返したのもこれだ」
(……ということは……時間を越えることも出来るんだ……)
 ティオの脳裏によぎったのは、学校へ戻ってきたと同時に時間をも飛び越えた記憶だった。さっきの3人はどうなっただろう。気になって尋ねてみたが、返答はあまりにあっさりしたものだった。
「どこへ行ったかって? さあ……遠いって事だけは間違いないけどな」


 自室の奥にある隠し階段をゆっくり下りてきたクリスは、いつもの軍服ではなくきれいに洗った白衣を着ていた。最下段のすぐ先にある自動ドアが音もなく開き、主人を迎え入れる。アンティークが並ぶ階上の空間とは正反対の、近未来的な雰囲気の研究施設がそこにあった。
「データが揃いました」
 クリスが入ってくるなりそう言ったのは、パソコンの前に向かっている女だった。豊かなブロンドの髪を持ち、行方不明のダイアナよりは少し年上に見える。コバルト色の瞳に、どこかの街を模した3D画像が映っていた。
「これだけの規模の街を一晩で破壊するのは、常人にはまず不可能です。やはり……例の存在が関与しているのではないかと思われます」
「それで? これを全部お花畑にしちゃったのもその『存在』なわけ?」
「その点につきましては……」
 クリスは部下の肩越しに液晶画面をのぞき込み、現れては消える数字を目で追った。
「……今のところ、関連を示すデータはありません」
「そう。分かった。アタシね、次の作戦は自分の手でやろうかと思ってるの。手伝ってくれない?」
「大佐自ら参加されるおつもりですか?」
「だって、何だか面白そうなのよ、見てるだけなんてつまんないし」
「分かりました。出来る限り協力いたします」
 パソコンの横に置かれた円筒形の装置に、大佐と呼ばれた男の姿が醜くゆがんで映った。勝利を確信する笑みは、イタズラを思いついた子供のそれによく似ていた。


 東の空が明るくなるのが見えた。夜の闇は満月を連れて、1秒ごとに西へ逃げていく。
 回想から現実の世界に意識を戻したリゲルはベッドの上に座ったまま、ゆっくり左腕の包帯をほどいた。半日前に作った傷が跡形もなく消えていた。自分が普通の人とどこか違うということは、自分が一番よく知っている。
 そっと客室を抜け出し、隣の部屋をのぞきこんだ。妖精と少年が、寄り添うように眠っている。
(……安心しろ、スピカ。お前が託した灯火はこの通り無事だ)
 ティオが目覚めなければいけない時刻までには、まだ時間がある。リゲルは夢の中にいる2人に背を向け、足音を立てないように階段を下りた。
 一晩世話になったことだし、どうせ暇だ。朝飯でも作ってやろうかな。


back  previous  next