第15話 〜休息〜


 2月も下旬になると少しずつ寒さがやわらぎ、花のつぼみをふくらませる木もある。春の訪れが近いことを実感する時期だ。
 そんな季節の、ある日曜日。ティオは珍しく自力で目を覚ました。
 今日は外出の予定が入っている。レイの2歳上の姉、アリスがくれた招待券を手に遊園地へ──誘われたときは行く気がしなかったのだが、何をするところかを知ったチェリーが「行きたい」と駄々をこね始めたので、仕方なく彼女に同行することになったのだ。
 予定通りの時間に家を出たものの、電車での移動中に「人身事故発生」のアナウンスが入り、そのまま足止めを食らってしまった。自分のせいではないが遅刻は遅刻。怒られるかなと思いつつ駅の改札を抜け、とっくに来ているであろう友達を探した。
「えーと、駅のどこって言ってたっけ……あれ?」
 正面に顔を向けると、道化師(クラウン)の像の下で呼んだ覚えのない知り合いが手を振っている。
「なっ……何でリゲルがここにいるんだよ!」
「思ったよりは早かったな。事故があったんだって?」
 リゲルは詰め寄るティオに質問と違うことを答えつつ、自分の背後を指し示した。見るとそこにはソフィアが澄まし顔で立っており、彼女は隣にいるジュンを指差している。ティオはアリスの友達でもあるジュンが来ること、彼女がベルにも声をかけたことは知っていたが、他にも友達を呼んだとは聞いていなかったので驚いた。
 アリスはレイを捕まえて抱きしめていた。肩に掛かる髪は薄茶色で、隣に並ぶと弟の赤毛が引き立って見える。顔立ちは言われれば似ているという程度で、本当に同じ両親から生まれたのかと疑う人も少なくないらしい。
 レイは姉の腕をふりほどくと、チェリーをひもで手首につないだティオに言った。
「全員揃ったみたいだから、そろそろ行こう?」
「そうだね……チェリー、あんまりはしゃぎすぎるなよ」
「はーい!」
 意味が通じたかどうかはともかく、返事だけは元気だった。
 本来の集合時間から30分後。入場手続きを終えた一行は、アリスの案内で歩き始めた。人気のある場所、しかも休日ということもあって大勢の人がいる。少しよそ見をしただけで誰かにぶつかりそうだ。
「へぇー、遊園地来るの初めてなんだ」
「俺達の住んでる所にはこんなもの無いから」
 アリスは今朝知り合ったばかりのリゲルと親しげに話している。その真後ろを歩くジュンは持参したガイドブックをベルとソフィアに見せていた。チェリーもベルの肩の上で話に聞き入っている。
「これは絶対行きたいのよ、一番人気なんだって。何時くらいなら空いてるかな?」
「お昼頃って書いてありますけど……並ぶのは覚悟した方がいいですよね」
 ティオとレイは女同士の会話を後ろで黙って聞いていた。話に加わる気はないし、体力と気力の温存という意味もある。この先へとへとになるまで動き回ることが目に見えていたからだ。


 エーディンは分厚いファイルを小脇に抱え、薄暗い倉庫の中を歩いていた。
 通路の両側に並ぶ棚を埋め尽くしているのは一見大量の本のようだが、実は虫の標本を収めた木箱の列だった。本に背表紙があるように、箱の1つ1つの側面には虫の名前が書かれている。
「次はどれにしましょう……えーと……」
 棚の間で立ち止まった彼女は、弱い光の元でファイルを広げた。ふせんが付いたページに目を通しては、同じ名前の箱を探し出す。しばらく考えた後5つを選び、残りを元の場所に戻して部屋を出た。
 3重に施錠された扉を抜けると、機械の森がそこにあった。大小さまざまな装置が所狭しと並んで壁を覆い、それらをつなぐコードが縦横に床を這っている。
「あら、お帰りなさい。早かったわね」
 部屋の中央に安置された機械の隣にクリスがいた。蝶のさなぎをかたどった巨大なカプセルが緑色の液体で満たされ、白衣をまとった男の後ろ姿を映している。
 エーディンが箱を手渡すと、クリスはそれを近くのテーブルの上に並べた。
「ふぅーん……なかなかいい選択じゃない。そうね、今日は……これにしようかしら」
 クリスは店で料理を注文するような口調で、5つ並んだ箱のうち右端の1つを指した。そして残った4つを片づけようとしたエーディンを制止すると、テーブルの下から別の箱を出して渡した。
「そっちは置いといて、後で使うから。代わりにこれを戻して。あと……仕事。本当ならミディールに頼むところなんだけど、今日はお休みだからアンタに頼むわ」
 お休み。正確に言うと、謹慎。エーディンは失敗続きの仲間を半分は軽蔑しつつ、残りの半分で同情を寄せていた。明日は我が身、彼よりひどいことが起こるかも分からない。


 「やっぱり遊園地といえばアレでしょう!」
 ジュンとアリスは同時に、目の前にそびえ立つ鉄骨の山を指差した。曲がりくねった白いレールの上を、色鮮やかな列車が猛スピードで駆け抜けていく。いわゆるジェットコースターだ。
「これに……乗るのか……?」
 甲高い絶叫がこだまする中、リゲルは呆然とそれを眺めていた。話には聞いていたが、実物を見たのはもちろん初めてだという。想像以上の迫力に圧倒されているのだろう。
「大丈夫、みんな楽しいから叫んでるの。さ、行きましょ」
 アリスが微笑みながらリゲルの背中を押し、長蛇の列に加わった。その眼に嘘は感じられない。
「あれなに、なに、ちぇりーとおそろいなの」
 チェリーは周囲に騒がれないようティオの懐に隠れ、見える全ての物について雨のように質問を浴びせていた。今は人ごみの中にふわふわ浮いている風船に興味を持ったらしい。「おそろい」というのは、彼女自身も迷子にならないようひもを結びつけられているからだった。
「風船かぁ……欲しいの? だったら後で買おう」
 そっけない返答だった。すぐ近くで売っているわけではないから、仕方のないことではある。
 20分ほど待った後、ようやく彼らの前に、8人乗り3両編成の青いコースターが現れた。ジュンはアリスとの打ち合わせ通り先頭の座席を陣取り、リゲルはレイと共にその後ろへ座った。
 ブザーの音と共にコースターが動き出した。
 乗り場を離れてすぐに入る、最初の上り坂。台車の下で安全装置がカタカタと音を立てる。
「ほら、チェリー。遠くまで見えるよ」
 ティオは柔らかい風を浴びながら、レールの下に広がる遊園地の全景を眺めた。
 誰かの手を離れた真っ赤な風船が雲の上に吸い込まれていくのを見送った頃、上り坂が終わった。隣では早くもベルが肩を震わせている。
 コースターの先頭が下り坂に入り、一気に加速した。
「…………──────!!」
 さっきまで普通に話していたリゲルが、突然言葉を失った。体を固定する安全ベルトにしがみついた姿勢で、重力と慣性力のなすがままに振り回される。
 前ではジュン達が楽しそうに万歳をしながら、後ろではチェリーとベルが心底から恐怖を感じて、それぞれ叫んでいる。ソフィアは彼女達の後ろ、1両目の最後尾で無表情のまま、隣に座った他人──ショートヘアで吊り目の若い女──を観察していた。
 3分があっという間だった。
「……ベル、大丈夫?」
「……はい……なんとか、生きてます……」
 降り場で止まったコースターから引きずり出されたベルは、どう見ても顔色が悪かった。ソフィアとジュンに肩を借り、おぼつかない足取りで出口へ歩き出す。一方でアリスは、やはり元気のないリゲルを不思議そうに見ていた。
「どうだった? 楽しかったでしょ?」
「もう2度と乗りたくない……」


 「ねえ、アマーロ……こういう所って、所詮子供だましだって思ってたんだけど」
 人ごみの中に立ち尽くす少年が1人。黒いマントを羽織り、肩にカラスを乗せた姿が目を引く。
「……どうして大人ばっかりこんなにたくさんいるんだろう?」
 少年──ルークの疑問は、大人達をも引きつける遊具(アトラクション)の数々に向けられた。その一つを眺める。
 十数本の柱に支えられた屋根の下で、巨大な円盤の上に固定されたコーヒーカップがぐるぐると回っている。カップの中に乗り込んだ人達が、悲鳴なのか歓声なのか分からない叫び声を上げていた。
「どこが面白いのかな……」
「実際に乗ってみれば分かりますよ」
 いつの間にか金髪の女性が横に立っていた。科学者らしい白衣姿。やけに目立つと言えば自分も人のことは言えない。陽の光を背に立つ彼女の名前を思い出したルークは、表情を曇らせた。
「エーディン……さん、だっけ。お久しぶりです。先日はアマーロがお世話になりました」
「いいえ、こちらこそ」
 エーディンは優しい笑顔を浮かべながら、そのアマーロをなでた。
「この子のおかげで、ずいぶんと研究がはかどりました。本当に優秀なスパイで」
「そっか、やっぱり利用してたんだ……どうりで僕以上に事情知ってるわけだ。でももう貸さないよ、アレにはもう興味ないから」
 ため息をつくルーク。すると“優秀なスパイ”が首を前方に伸ばし、カァカァと鳴き始めた。2人ともつられて同じ方角を向く。行き交う人をかき分けて、こちらへ来る人影が見えた。
「あっ……グランマ! どこ行ってたんだよ!」
「おばあさまが一緒だったんですね。では、私はこれで」
 エーディンは軽く一礼して去っていった。入れ違いにやって来たルークの祖母は「道に迷ってたのよ」と笑い、手にした古木の杖をコーヒーカップに向けた。一緒に乗ろうと言われると断れない。ルークは仕方なく祖母の手を引き、止まっている円盤の上で客を待つカップに乗った。
 しばらくして彼の表情が変わった。さっきまでの生意気な態度から一転し、誰よりも楽しそうに笑う姿をエーディンが見ていたことには、おそらく気づいていないだろう。


 太陽が限界まで高く昇った頃。つまり昼食時。この遊園地の中でも、レストランなど飲食施設が集中する区域が一番混む時間帯である。ティオ達は他の大勢の客と同じように、展開された様々な店の中から1つを選ばなければならない状況下にあった。
 そして今、そのことでジュンとアリスがもめている。
「2人とも、こういうのにはこだわりがあるみたいだから……時間かかりそうだね」
 街灯にもたれかかるレイはため息をつくしかなかった。その隣でベルが提案した。
「……皆さん、とにかくそのお店の近くまで行って、決めるのはそれからにしませんか?」
 異議を唱える者はいなかった。もめている2人は先頭を争うように急ぎ足で行き、他の5人は特に焦る必要もないので普通に歩いた。
 移動ルートの中程にさしかかった頃、リゲルは後方から不思議な威圧感を持った行列が近づいてくることに気がついた。
「ガイドブックにはパレードがどうとかって書いてあったけど、アレか?」
「いや、全然違うよ。どっかの団体じゃないかな」
 混雑の中で先へ進めなくなったティオ達は足を止めた。人々が逃げるように左右へそれ、自然にできた道を怪しげな黒ずくめの集団が通り過ぎようとしている。一分も狂わない軍隊調の行進をする彼らは、毛皮のロングコートを着た女に先導されていた。
「みんなまっくろ、へんなのー」
 はしゃぐチェリーの口を塞いだティオの前で、黒服の1人が列を外れた。数百人の視線が注がれる中、帽子を目深にかぶったその人物は不意にティオの腕をつかみ、彼を引きずりつつ何事もなかったように行進に復帰した。捕まった側は抵抗するも強引に列の内側へ取り込まれ、レイが駆け寄ろうとする頃には姿が見えなくなっていた。
「ティオ! ……どうしよう、連れ戻さないと……」
「お前はそこで待ってろ」
 リゲルが既に走り出していた。制止を聞かずソフィアも後を追う。
 待ってろと言われても。レイは困惑した。3人がいなくなり、その場にはベルだけが残っている。


 先へ進みすぎたことに気づいたアリスは、ジュンと共に弟の元へ引き返そうとした矢先に、黒服の行進に遭遇した。人だかりに敏感に反応する彼女達は当然騒ぎの全容が気になり、いい位置から見物できないかと首を動かしている。
「あ、見えた見えた。きっとあれよ……そっちの方がよく見えるんじゃない?」
「こっちはダメ、よく分からない。ねえ、アリス、先にベル達を捜してからにした方が……」
 ジュンに促されたアリスが群衆の中に頭を引っ込めた。
 ちょうどその時鋭い笛の音と同時に行進が止まり、妙な歓声とざわめきの中、2人の耳に女性の声で号令が聞こえた。
「各班、所定の位置に着いたら連絡すること、以上。……解散!」
 短い笛の音。直後に黒服達は隊列を崩し、数人ずつの集団となって放射状に散っていった。誰かが突き飛ばされたのか悲鳴が上がる。アリスも真っ黒な袋を抱えたグループと接触しそうになった。
「何なの、今の……ムカつくぅ……」
 頬を膨らませ不快感をあらわにしたアリスは、行進が消えたので拡散し始めた人々の中で、ジュンがしきりに何かを探していることに気がついた。
「……どうしたの、ジュン?」
「おかしいのよ、あそこにベルがいて、隣にレイが立ってて、それで……他の3人が見当たらないの」
「はぐれたのかな。あれだけ迷子にならないようにって言ったのに」
「でも」 ジュンは少し考えてから、 「これって好都合かも」
「何それ。ちょっと、何企んでるのよ。教えて」
 耳打ちされたアリスは納得したようにうなずいた。そして、弟と合流しないことを決めた。


 黒服男達がバラバラに散ったことで、リゲルは連れ去られたティオを完全に見失ってしまった。もちろんチェリーも一緒に持って行かれた。敵の仕業だろう。しかし適当に誰かを追うにしても、おとりに振り回される可能性もあるから下手には動けない。
 何も知らずに通り過ぎる他人の視線が痛い。
「くそっ……どうすりゃいいんだよ……ん?」
 突然腕を引っ張られたので振り返ると、ソフィアが追いついていた。ダウンジャケットの袖から放した腕で、遠くにそびえる人工の山を指している。
「荷物を運ぶ団体が行く所。……多分、向こう」
「それはどういう意味だ?」
 リゲルはすぐ聞き返したが、言葉での返事はなかった。ソフィアは再びジャケットを掴み、有無を言わさず引っ張って走り出した。見れば分かると言いたいのだろう。
 人ごみをかき分け、時には衝突して謝りながら進む彼女の足があまりにも遅いので、しびれを切らしたリゲルは無理やり彼女を止めた。
「お前が言いたいことはよく分かった。いいか、大人しくしてろよ!」
 言い終わるのとほぼ同時に、ソフィアはリゲルに抱きかかえられていた。顔色を変える間もなく、建物を1つ跳び越えたことを風の冷たさで感じる。
 見ていた人達は、その辺の絶叫マシーンに乗ったとき以上に肝を冷やしたことだろう。何しろ、人が壁を垂直に駆け上がったのだから。


 それぞれに事情があるとはいえ、誰も戻ってこない。何かあったんじゃないか。レイはつきまとう不安を振り払うことができなかった。
 本気で心配な友達に、戻ってきて欲しい理由はもう一つある。
「あの……チェリーちゃんはここにはいませんよ?」
 彼とベルの前にいる集団は一見普通の人間だが、敵であることはすぐ分かった。先頭で優しく微笑む金髪の女性には見覚えがある。誘拐事件の時、主犯格を逃がした人だ。嫌な予感どころか、従ってはいけないという確信が持てる。
「ベル、ここは危ないから、できれば先に逃げて欲しいんだけど……」
「……無理です。後ろにも人が……取り囲まれてます」
 暖かそうなコートをまとった人々は例外なく、頭に黒光りする触角を持っている。周りは敵だらけ。背中合わせに立ってみても、隙間が見えない。
「今日はあなたに用があるんです。……一緒に、来ていただけませんか?」
「断ったら?」
 気の早い数人がにじり寄る。エーディンに制止された彼らが後退する間に、レイは背中のリュックを降ろして何かを探し始めた。目的の物はすぐ見つかった。
「それ……ペーパーナイフですか?」
「ちょっと違うんだ。見てて」
 立ち上がったレイは取り出したナイフを鞘から抜いた。するとそれは強い光に包まれて大きく膨らんでいき、やがて一振りの剣へと姿を変えた。
「この前、リゲルからもらったんだ。何かあったときのために持ち歩いてたんだけど、正解だったみたいだね。……そこの人、道を空けて欲しいんだけど」
 そして刃先をエーディンに向け、鋭くにらみつけた。剣を構えた姿はなかなか様になっている。彼にとっては予期せず訪れた初陣だが、落ち着き払っているところがティオの時と大きく違う点だった。
 慌てても事態は悪くなるだけ。それは分かっている。何よりもまず、ベルを逃がさなくては。
「断るでしょうね……初めから分かっていました。ですが力ずくでも、ご同行願います」
 パチン。
 指先が音を響かせる。すると、触角を持った人々が予想通り雪崩のような勢いで襲ってきた。
 レイはためらいながらも剣を振りかざし、一番近くの1人に斬りかかった。一撃。腕が外れたと思ったら、蒸発するように消えて塵だけが残った。
(やっぱり人間じゃないんだ……)
 その後、どうやってピンチを切り抜けたのかは本人も覚えていない。
 気がついた時には敵の姿は跡形もなく、傍観していた普通の人達から拍手喝采を浴びていた。打ち合わせされた上のショーに見えたのかもしれない。レイは剣を元に戻すと、ベルを連れて逃げるようにその場を離れた。


 自分がどこにいるのかも、これが現実なのかも定かではない。暗闇の中で意識を取り戻したティオに分かったのは、狭い空間に閉じこめられていることだけだった。
(そうだ……チェリーは?)
 左手首に結んだひもをたぐると、コートの下に潜り込んで震えているチェリーを見つけた。羽から淡い光を発している。
 灯火を利用して辺りを照らすと、木箱の中にいることが分かった。試しに天井を持ち上げ箱を中から開けようとするが、重くて動かない。上に何か積んであるのだろうか。
 こうなれば外に助けを求めるしかない。誰かの気配を感じ取ろうと耳を澄ますと、靴の音と共に覚えのある声が聞こえた。
『ここって、業者用の倉庫だろ? 俺達が入っていいのか?』
 リゲルだ。助けに来てくれたんだ、それも誰かと一緒に。僕はここにいる。知らせないと。ティオが声を張り上げようとすると、突然軽い振動が空間を揺さぶった。
(……エンジンの音?)
 どこかに運ばれるのなら、一刻も早く脱出しないと。輝きを失った指輪が、不安を一層かき立てる。


 「ここまでうまくいくなんてね……どうして今まであんなに苦労してたんだろ」
 遊園地の裏にある搬入口から、一台の大型トラックが出てきた。書類の上では空の木箱を積んでいることになっていて、ハンドルを握る女だけが実際の中身を知っている。短めの金髪、逆三角形の輪郭と吊り目、迷彩柄のパーカーと帽子。ジェットコースターの中でソフィアが観察していた人物の姿が、薄汚れたサイドミラーに映った。
「邪魔な妖精を捕まえられたどころか、その親まで手に入るなんて」
 完全勝利を確信したからだろう。響く声で独り言を発した女は、片足でアクセルを深く踏み込んだ。
「確か大佐は2人いれば研究の幅も広がるって言ってたし、仮にどっちかが死んでも……」
「2人、だと?」
 すぐ近くで小さく、しかしはっきりと低い声が聞こえた。女は意味を理解できず発言そのものを無視しようとしたが、視界の端をちらつく何かに気づいた途端、その顔から自信が奪い去られた。
「どっちかが死んでもって、お前達いったい何の研究をしてるんだ?」
「……いっ、いつの間に!?」
 誰もいないはずの助手席に、リゲルが足を組んで座っていた。思わずブレーキを踏む足に力が入る。
「“親”の1人はティオ、それは間違いない。じゃあもう1人は誰だ。お前達は既に別の誰かを捕まえて監禁してる、違うか?」
「……な、何のこと? 私は知らないぞ」
「さっきの口振りからすると、知らない方が不自然だ」
 トラックが道路脇に止まった。リゲルは運転手を外に引きずり出すと、真剣な目でにらんだ。
「白状しろ。もう1人はどこにいる?」
「そんなことでムキにならなくても……質問とは違うけど、いいことを教えてやるよ」
 女はリゲルの手を振り払い、革の手袋とパーカーを脱ぎ捨てた。
 Tシャツの袖からのぞいているのは節くれ立った草色の腕と、その先端に付いた大きな鎌。2つの刃を体の前で交差させ、いつでも振り下ろせる体勢を取る。
「へぇ、何かに似てると思ったら、やっぱりカマキリだったんだ。で、いいことって?」
「お前じゃない、荷台に登ろうとしてるそこの娘にだ。お友達は中の木箱に閉じこめた、でも気をつけな。他の箱には全部爆弾が入ってるからね。下手に1つでも開けてみろ、この辺全部火の海だ」
「…………」
 荷台の後ろから顔を出したソフィアは、言われたことを全く気にかけていないようだった。何かをずるずると引きずり、カマキリの前に全身を現す。そして相手が目を疑う様を楽しむように、気絶したロングコートの女をさらして見せた。
「まず爆弾じゃない箱はどれか、教えてもらおうか。嫌というならこっちにも考えがあるからな」
 リゲルも誇らしげに拳を握ってみせる。
「……ちっ、この役立たず……どけ、邪魔だ!」
 女は自慢の鎌でトラックの側面を切り裂いた。鉄の板が崩れ落ち、無造作に積まれた無数の木箱が陽の光にさらされる。
 荷台に飛び乗った女は箱の1つを鎌の先端で器用に掴み、リゲルに投げつけた。後ろに跳んで下がった彼は直撃こそ免れたが、爆風を浴びてひっくり返った。
(はったりじゃなかったのか……ヤバイな、これじゃティオもうかつに動けないだろうし……)
「ちょこまか動くな! ……ええい!!」
 次々に爆弾が飛んでくる。飛び散る木片が激しく燃え、真っ黒な煙を吹き出している。
 既にソフィアは人質を放り出し、安全な場所から炎の中の影を捜して目を凝らしていた。そして、
「……見つけた」
 突然、火の海へ飛び込んだ。
 リゲルが「戻れ」と叫んでいるようだが聞こえていない。彼女は燃えていない地面を飛び跳ねるように踏み、熱気の中で1つだけ形を崩していない箱を見つけ出した。
『うみゅーう……』
 鳴き声が聞こえる。間違いない。ソフィアはリゲルを呼び寄せると、2人で重い箱をゆっくりと持ち上げ炎の外へ投げた。
 何かの重機械にぶつかって砕け散る音に、一番驚いたのはカマキリだった。
「しまった、アレは……!!」
「何も投げて壊さなくても……分かってる、ソフィアが悪いって言ってるわけじゃないよ」
 頭を打ったのかよろめきながら、ティオは木箱の破片をはねのけてゆっくり立ち上がった。赤く照らされる顔に、自信と怒りがみなぎっている。


 「みんな、本当にどこ行ったんだろう……どっか寄り道でもしてるのかな」
 群衆は立ち止まることなく歩き続けている。元の場所に戻ってきたレイが周りを見渡しながら言うと、ベルも同調してうなずいた。
 2人きり。緊張して赤いままの彼女の顔を、吹き付ける向かい風が冷やす。
「……そういえば、さっきからずっと下向いてるけど、どこか具合でも悪い?」
 不意に、向かい風が柔らかい追い風に変わった。
「いえ、別に、たいしたことじゃないです……あっ、あの」
 行き交う人の中にジュンの姿が見えた。両腕で何か合図をしている。ベルは心を決め、一度だけ大きく深呼吸をしてから、言った。
「……好きです」
「え?」
 思いがけない言葉に相手が面食らう前で、朗読調の言葉が続く。
「ずっと前から、あなたのことが好きでした。……私と、お付き合いしていただけませんか」
「………………」
「ごめーん、これ買ってたら遅くなっちゃった」
 計ったようなタイミングでアリスが現れ、何と言っていいか分からず硬直している弟の頬に、熱い紙コップを押しつけた。ベルもジュンからココアを手渡され、落ち着かない息で湯気を鎮めた。
「……ソフィアさん達は?」
「そのうち戻ってくるよ。ほら、見て。また何かあって、派手に暴れたみたいだから」
 ジュンは自分の分に口をつけず、山の向こうで立ち昇る一筋の煙を指した。
 推理の的中は数分後に、ティオ達が戻ってきたことで証明された。深刻な事態に思えるのにリゲルは笑っている。
「敵がヤバそうな兵器持ってたから、ザコ倒すついでに爆破してきたんだ。警察の連中は絶対どこかのテロリストの仕業だって思いこむんだろうな」
「……それだけだといいんだけど。僕がやったってバレたらどうしよう」
 とどめを刺してきたティオは深くため息を付いた。一方でアリスは観覧車に乗ることを提案し、チェリーも賛成と言わんばかりに騒ぎ出した。ソフィアは爆破の現場で拾ったという鍵を眺めている。
「そうだ、さっきの話なんだけど」
 一同がぞろぞろと移動を始める中、レイは立ち止まってベルを呼び止めた。
「ごめんなさいっ……私、変なこと言ったかも……」
「そんなことないよ」
 ベルの瞳の中に、優しい微笑みが映る。
「僕でよければ……ええと……よろしくお願いします」
 2人の間を、一段と強い南風が通り過ぎていった。友達と姉の視線に気づき、レイは照れくさそうにそっぽを向いた。


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