最終話 〜光〜


 「…………ティオ……しっかりして! 聞こえてる!?」
 再び意識を取り戻すと、そこは学校の校庭だった。レイが横たわるティオの身体を必死に揺さぶり、声をかけていた。
「レイ……?」
「良かった……気がついたんだね」
 親友の手助けで体を起こし、まず何も持っていない両手を見た。右手の中指からずっと離れなかった指輪が、いつの間にか消えていた。
「あれだけ引っ張っても外れなかったのに……無くなってる……」
「大丈夫、ここにあるよ」
 レイはティオのすぐ脇を指した。元の姿で眠っているチェリーの首に、七色の輝きがあった。

  恋と正義は、最後まで分からない。

 ふさぎ込んだ様子の城主を慰めるエーディンの横で、クリスとダイアナが向かい合っている。
「……計画、失敗したんでしょ。これからどうするの?」
「それはアタシのセリフ。また、どっか遠くへ逃げるつもり?」
「まだ決めてない」
 ダイアナは首を振った。
 ベテルギウスは確かに討たれた。だが城の崩壊は止まらなかった。無我夢中で逃げた。どうにか、普通の意味での「死者」は1人も出さずに済んだ。
 その時2人が手をつないでいたことを、今になって互いに意識し始めている。照れくささというものは、どうやら後からじわじわと攻めてくるものらしい。
「……前に、言ってたわよね。自分の信じる道を行きなさいって」
「あー、言ったわね、そんなコト。アンタよく覚えてたわね」
「その言葉……忠告、今のあなたにそっくり返すから」
「そう? 分かった。ありがたく受け取っとくわ」
 口に手を当ててくすくすと笑ったクリスは、こう付け足した。
「……そうだ、おいやでなければ、後片付け手伝ってくれると助かるんだけど」
「瓦礫の掃除? いいわよ、暇だし。……私のこと殺さないならね」
「平気よ、アンタの裏切りなんて小さいことだから。……アタシよりはね」
「今、何か言った?」
「なんでもなーい」
 眉間にしわを寄せたダイアナをよそに、クリスは城主に何かをささやいた。帰りましょう、という趣旨だったらしい。エーディンを先頭に、“妖精の敵”達は校庭を出てどこかへ消えた。

  勇気と無謀は紙一重。

 落とし穴にはまった人の救出。限りなく真実に近い嘘の失踪理由を、ルークの祖母が杖の一振りで周囲に信じ込ませていた頃。
「一体何をなさっていたんですか、そんな傷だらけになって!!」
 サマンサは泣き腫らした目を隠そうともせず、ものすごい剣幕でレナードに詰め寄っていた。反論する隙を与えることなく、丸1日分溜め込んだ言葉を説教として全部ぶちまけてから、
「……わたくしも、心配していたんです……っ」
 再び泣き出した。レナードは明らかに困惑していた。
「あのさ……俺言っただろ。見てくるだけだって。この通り、生きて帰ってきたんだから……もうちょっと嬉しそうな顔してくれたっていいじゃねえか」
「……ですが……」
 頬に当てた手が、無理やりサマンサに上を向かせた。
「……っ…………レナード……さん?」
「でも良かった、またお前の顔見られて」
「……え?」
 その時、レナードは初めて見せる笑い方をしていた。
 サマンサがそれを確かめる間もなく、頬から手が滑り落ちた。
「……どう、なさいました……?」
 声を発する頃にはもう、レナードは彼女の足元に倒れていた。
「………………」
「あ、あの、サマンサ先輩……?」
「……いやぁ──っ! 副会長、こんなところで死なないでくださいっ、聞いてますか!?」
「だから……気を失ってるだけだって……」
「気絶してるだけでも十分問題だよ、ルーク……」
「救急車を呼んでくださいっ、今すぐに!!!」
 パニックを起こした生徒会長は、もはや誰にも止められなかった。事情を説明しようとしたルークは仕方なく振り返り、ジーノに言った。
「君の言うとおりだね。とりあえず、救急車。死にはしないと思うけど、急いでもらって」
「……先輩、そんなにひどい怪我してるのかい?」
「スピカの話だと、右腕を骨折してるかもしれないんだって。実際すごく痛そうにしてたし……」
「やっぱり問題だよ、それって」
 ジーノは走っていった。文字通り満身創痍のヒーローを抱きしめるサマンサを横目に、ルークは肩に乗ったアマーロを軽くなでた。
「おつかい、ご苦労様。家に帰ったら君の大好きな肉でも食べようか」
 嬉しい提案にアマーロは何度もうなずき、肩から手首に飛び移った。
「それにしても……グランマの魔法、何故か会長には効かなかったんだ。どうしよう?」

  結局、最後は愛が勝つ。

 そよ風が通り過ぎていく中、目を覚ましたリゲルは座ったまま何かを考えていた。
 はだけた胸に傷跡は1つもない。焼かれたはずの足も元通りで、焦げたジーンズが似合わない。
「スピカ。……俺、今まで何してたんだろう」
「どういうこと?」
「あの偉そうな王子にいじめられた後のことが思い出せないんだ。何か、こう……誰かにひどいことをしたような、そんな感じはするんだけど」
「そんなことないわ。リゲルは、ちっとも悪くない」
 スピカの笑顔は昔と変わっていなかった。
 この場で明かすことはなかったが、彼女は魔獣の正体に気づいていた。目を見たら分かったの。後でルークにそう告げている。
「……寒くないの?」
「お前こそどうなんだ、それ夏の格好だろ」
「よかったら、これ着てください」
 レイが後ろからリゲルの肩に、体育で使うジャージの上着を掛けた。ベルも同じものをスピカに渡した。サイズが多少合わなくても、暖かいことには違いない。
 発案者のジュンが遠巻きに4人を眺めていると、いつの間にかトムが隣にいた。
「何? また何かあったの?」
「見て下さい……あれ」
 指差した先に、ティオがいた。

  そして新たな旅が始まる。

 「思い出したって、何を?」
「あのね、ちぇりー、おむかえにいくの」
 手のひらに乗った小さな妖精は誇らしげに言った。前に誰かが言っていた、チェリーの「本当の役目」。それを今、ようやく理解したらしい。
「ちぇりーの、おともだち。だいじなだいじな、おともだち。はやく、あいたいの」
「早く会いたいんだ……。そっか。もう、行かなきゃいけないんだね……」
 ティオは片手で目をぬぐった。涙がこぼれそうになったのかどうか、ごまかしてから、チェリーを乗せた方の手を少しだけ持ち上げる。
 チェリーの両足が手の上から離れた。
「どしたの、てぃお?」
「何でもないよ。……大事な友達が、待ってるんだよね。早く……早く行きなよ」
 両手を下ろし、物悲しげな表情をした妖精を見上げる。
「……お迎え……ちゃんと出来たら、戻ってきて。それで、お友達のこと、僕に教えて」
「はーい! ……いってきまーす!」
 「いってらっしゃい」。風は言葉と共にチェリーを乗せて、南へと飛び立った。
 遠ざかる妖精に、ティオは力一杯手を振った。彼は気づかないが、後ろで同調する者が何人かいた。
 風は別れの寂しさも乗せて、気まぐれに過ぎ去った。
「いつか……帰ってくるよね……」
「あっ、ティオ。こんなところにいたの」
「……母さん」
 ティオがすぐ脇に目をやると、両親が澄まし顔で立っていた。父親は何かの書類を手に持っている。
(そうだ! どっちと行くか決めるの、すっかり忘れてた……どうしよう、何て答えたら……)
 あっけない別れの後に、重大な選択が待っていた。決断できず無視もできないティオがうろたえているところへ、意外な言葉が続いた。
「予定変わったから。あなたはどっちにも行かないで、あの子の……名前なんて言ったっけ、あの子のお家で待ってることになったから」
「あの子って……えっ……ソフィア!?」
 指差された先に、いつもの無表情があった。
「またいきなり、どういう事だよ母さん!!」
「あのね。よく聞いて。私達が後で同じ支社に移れるよう、会社の方で調整してくれることになったの。担当違うし何年かかるかも分からないけど……それまであなたを預かりたいって、会社の社長さんから申し出があったの。そう、あの子のお父さんが」
「………………」
 ティオは飛躍しすぎる話を頭の中で整理しようとした。妖精のことほど大きな混乱ではないはずなのに、何故か同じくらい複雑に思えてしまう。多少動揺を和らげてから、ソフィアに尋ねた。
「いいの? 君の家に行っても」
「……私が頼んだの」
 今日のソフィアは、いつもの何倍も喋っているような気がする。
「2人とも、もっと忙しくなるから。知らない土地で一人きりの留守番は、私だけで十分」
「そんな、別に僕は……」
「それに……離れたくないから」
「……よく聞こえなかった。もう一度言って?」
「ティオが好きだから」
「………………」
 気苦労の絶えない日々は、もうしばらく続くらしい。


 ──3年後。
 秋の到来を告げる風が吹き抜けた朝。薄闇を切り裂くように、目覚まし時計が鳴った。
「………………」
 枕元のけたたましい音にティオが反応を示す様子はない。ソフィアとの同居を始めてからも、高校に進学してからも、朝寝坊だけは相変わらずだった。
 そのソフィアが様子を見に来たときには、既に時計の方が根負けして止まっていた。
「起きなさい」
 彼女にベッドから蹴り落とされてやっと、ティオは目を覚ました。ゆっくり起き上がり、眠い目を擦っている彼の目の前に、一通の封筒が差し出された。
「手紙。昔の友達?」
「ううん、見たことない名前。……エアメールなんてもらったの初めてだよ。誰だろう」
 ティオはソフィアから距離を置き、封筒を開けようとして手を止めた。
 裏面の中央に、手の形をしたスタンプ──というより、小さな「手形」が押してあった。
「……まさか!?」
 手渡されたハサミで封を切ると、中からは折り畳まれた便せんと一緒に数枚の写真が出てきた。ピンクの髪と透き通った羽を持つ妖精が、クッキーを手に笑っている。
「見てよ、ソフィア! これ……チェリーが写ってる!!」
 ティオはすっかり眠気が吹っ飛んだらしい。手紙に目を通してから、こうしちゃいられないと立ち上がった。そして真っ先に、机の上にあるパソコンの電源を入れた。
「……何するの?」
「メール。探してた友達が見つかったって、レイに知らせないと」
 親元を離れ全寮制の高校へ入った親友に、写真を見せられないことは残念としか言いようがない。せめて手紙の内容だけでも伝えようと、ティオは夢中でキーボードを叩き続けた。
 ソフィアは別の写真を手に取り、画面に並ぶ文と見比べ少し考えてから、
「これ、差出人?」
 チェリーと一緒に写っている、セーラー服の少女を指差した。
「そうじゃない? ……あれ、この人……」
「?」
「いや、何でもないよ」
 カーテンの隙間から陽の光が射し込む。その先には、晴れ渡ったいつもの空があった。


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1週間後のあとがき  約10年後のあとがき