エピソード 〜ビタースイート・メモリー〜


 「……そうだな、今度、お前の好きなアレをおごってやる。それでいいか?」
「本当ですか? ……って、そんなことでごまかさないでください!」
 汚れた顔を背けて階段を駆け降りるレナードを、サマンサは慌てて追いかけた。それでも生徒会役員ですか、と叫びながら。
 生真面目な生徒会長は今、議論しなければならない大事な議題を山ほど抱えている。ここで副会長を逃がすわけにはいかない。しかし、結局彼に追いつくことはできなかった。
「アレって何だと思う?」
「さあ。何かあるんだよ、きっと。……ん? 先輩……大丈夫ですか……?」
 敵の残骸を片づけてきたティオ達1年生が、階段の踊り場に座り込むサマンサを見つけて声をかけた。応答はなく、激しく荒い息だけが聞こえた。


 大半の議題が片づかないまま帰宅したサマンサは、家に入ったその足で電話の前に立った。目的の番号にかけると、幸運にもすぐ本人につながった。
『何だよいきなり……こっちは今風呂入ってたんだけど』
「それは失礼しました。突然ですが、次の日曜日はお暇ですか?」
『……はぁ!?』
 レナードの表情は声の調子から想像できた。
『別に午後なら……それで? お前、何企んでんだよ』
「人聞きの悪い。今日あなたが一方的に取り決めた約束の話です。できれば午後2時に、駅前の時計台で待ち合わせということにしたいのですが、いかがでしょう」
『ずいぶん具体的だな……でも俺は今度って言ったろ、話が早すぎねえか? ……まあ、しょうがねえ、お前の都合もあるし。2時半じゃダメ?』
「構いません。では2時半に時計台の前で。必ず来てくださいね、財布持参で」
『はいはい。じゃあな、もう切るぞ』
 そこで会話は冷たい機械音に取って代わられた。サマンサは静かに受話器を置くと、それを再び取って今度は別の番号にかけた。


 “次の日曜日”は普通を装って訪れた。
 待ち合わせの時間を遅らせたレナードの判断は正しかった。電話の直前に現れ「しばらく泊めてくれ」と言い出した叔父に連れ回され、休日の半分を潰されたからである。
 さらについて来ようとする彼を何とか振りきったレナードは、時計台の前にサマンサの姿がないことを確かめてほっとした。
(よかった、怒られずに済む。……そう言えば、あいつと学校以外で会うなんて初めてだな。しかもこんな所で待ち合わせ……待てよ? これじゃ、まるで……)
「時間ぴったりにいらっしゃいましたね」
「…………!?」
 視界が暗くなった。振り返るとそこには、いないと思っていたサマンサ──そして、どういうわけか書記と会計、つまりキャリーとミッチェルが立っていた。
「おごってくれるって聞いたから来ちゃった。いいでしょ?」
「まさか帰れなんて言わないよね」
「あなたの無断欠席に迷惑しているのは、わたくしだけではないんですよ」
「………………」
 笑顔の脅迫。降伏するほかに道はない。レナードは嬉しそうな3人の後について歩きながら、この状況を作り出した原因を思い出して頭を抱えた。
 人数は2倍。財布にのしかかる負担は、3倍。


 歩いて数分で、最近この街に展開したファミリーレストランの看板が見えてきた。壁に張り出されたポスターの明るい色彩が目立つ。店員に案内されて席に座った4人はメニューを手渡されたが、ここに来る話が持ち上がったときから注文する物は決まっていた。
「ご注文はお決まりですか?」
「この“キングズスイートパフェ”を、4つ」
「3つでいい」 ミッチェルの言葉をレナードが訂正し、 「あと、コーヒーを1杯」
「え、レナード君は食べないの? おいしいって評判なんだけどなぁ」
「少し時間がかかるようですね。注文の品が届くまでの間……」
 残念がる会計の隣で、会長は抱えていたショッピングバッグを机の上に置いた。何故そんな物を持ってきたのかと不思議がる3人に微笑みかけ、重そうな袋の中身を取り出す。
「会議なんていかがでしょう」
 ドサッという音と共に、見覚えのあるファイルが出てきた。3人の目が点になった。


「……では、この案件については再検討ということで」
「これで半分片づいたね。……あ、来たよ」
 臨時の生徒会が始まってからしばらくして、妙な名前のパフェが3つ運ばれてきた。スポンジケーキ、数種のフルーツとチョコレートを何層にも重ねた一品。名前通り王者の風格がある。その高さは器の脚を除いても30cmを軽く越えるだろう。
「うわー、大きい……食べきれるかな……」
 キャリーは圧倒されながらも真っ先にスプーンを取り、頂上のクリームを口に運んだ。彼女の顔がすぐにほころんだところを見ると、評判に間違いはないらしい。
「わたくし、これを一度いただきたかったんです」
「こんなのだったらいくらでも食べられそう」
 はしゃぐ様子はどこにでもいる女の子。レナードは3人の様子を横目に見ながら、サマンサが渡そうとした砂糖入れを無視してコーヒーをすすった。
「何も入れないでよろしいんですか?」
「俺はいつもそうだけど。そんなにおかしい?」
「いえ……」
 考えただけで気分が悪くなりそう。サマンサはそんな顔をした。
「……そうだ、ねえ、折角だから、一口食べてみたら?」
 よほどこの味が気に入ったと見えるキャリーは、中身が程良く混ざったパフェを一口分スプーンにすくい、隣に座るレナードの目の前に差し出した。しかしそれが素直に口へ運ばれることはなかった。
「いらねえよ、お前が全部食え」
「別に遠慮しなくても……あ、分かった。照れてるんだ。ほら、こっち向いて。あーん」
「………………」
 レナードは視線とスプーンから顔をそらし、鏡張りの壁を見た。自分の後方に座っている人物の顔が分かる。レンズのような丸い何かをこちらに向けているのは──まいたはずの叔父に違いない。
「どうしたの? 誰か知り合いでもいた?」
「いや、誰もいない。気にすんな……」
 キャリーに呼び止められ振り向くと、無防備に開いた口の中にスプーンを突っ込まれた。反射的にそれをくわえてしまったレナードは、次の瞬間、確かにカメラのシャッター音を聞いた。
(しまった……今の絶対撮られた!)
「どう? おいしいでしょ?」
 当然のようにミッチェルが尋ねてくる。レナードはすぐにスプーンを返してから、無理やり食べさせられたパフェの味を舌に乗せて確かめた。感想は一言に要約できた。
「……甘い……」
「あの、副会長。もう一品、注文してよろしいでしょうか?」
『まだ食べるの!?』
「……もういい、勝手にしろ!」
 パフェを食べきった会長は既にメニューを手の中に広げている。同時に叫んだ会計と書記を横目に、副会長は半ば呆れたような口調で言いながら財布をテーブルに叩きつけ、席を立った。その足でカメラを持った男の行く手をふさぎ、襟首を掴んで何かを強く迫った。
「今日はずいぶん機嫌悪いと思ったら……」
「あの人が気になってたんだね」
 3人はやや身を乗り出す格好でやりとりを注視した。
「何笑ってんだよ。今すぐネガ置いてここから出て行け」
「そ、それは困るなぁ……何もしない、しないって誓うから許して」
「分かった。変なことに使ってみろ、今朝からの一連のセクハラまがい、全部お前の家族にばらすからな」
「ううっ……よ、要するに、義兄(にい)さんに見せなきゃいいんだよね?」
「親父に見せたら殺すぞ……」
 男は小走りで出ていった。もちろん精算は忘れていない。握られた弱みを取り返すべく、レナードもすぐに後を追った。


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