第2話 〜使命〜


 謎の青年自身が仕掛けたことなのか、違うのかは今のところ分からない。どちらにしても遅刻は免れたのだが、ティオは素直に喜べなかった。そこに至る過程があまりにも不自然すぎたからだ。
 並木道にいたはずなのに、何故かヒマワリ畑に来ていたこと。
 託されたピンクの卵。
 謎の虫の襲撃。
 青空を見上げただけで元の場所に、しかも登校時間の30分前まで時間をさかのぼって着いたこと。おかげで1度しか鳴らないはずの始業のチャイムを、今日は2度聞く羽目になった。
 しかも一連の出来事はどれも、科学的な説明は不可能だった。


 ホームルームを前に、1年はもちろん他の学年の教室でも騒がしさはピークに達していた。ほとんどの人が学校に着くからだ。隣のクラスに遊びに行った生徒も、そろそろ戻ってくる頃である。
「珍しいこともあるもんだな」
 「遅刻常習犯」が早い時間に来たことには周囲も驚き、明日は雪が降るなどと騒いでいた。何人かはティオを取り囲み、冗談を交えて話しかけ、彼の身に何が起きたのかを聞き出そうとした。しかし本人がその言葉に全く反応を示さないため、そのうちあきらめてどこかへ行ってしまった。
「おはよう、ティオ。どうした?元気ないみたいだけど」
 次に声をかけてきたのはまた別の友達だった。名前をレイといい、ティオとは昔からの親友である。
「……ティオ?」
 友人の返事はなかった。レイはもう一度呼び止めようとしたが、そこで担任の先生が教室に入ってきたので、仕方なく自分の席に座った。でも彼の席はティオの隣。話しかけるチャンスはまだある。鞄を置いてから黙ったままの親友を見ると、その顔は真っ青だった。机の上には小さな箱が置いてある。
「……どうしたの?」
「えっ……ああ、レイか。おはよう」
「その箱……」
「あ、これ?何でもないよ」
 レイの声にようやく気づいたらしいティオは、慌てて箱を鞄の中に放り込んだ。
「何があったんだよ、さっきからずっと上の空で」
「別に何もないけど」
「本当に?」
「本当だよ、何だと思った?」
「いや、その箱を一体誰からもらったんだろうなーって。僕にも言えない?」
 ティオはそれ以上何も言わなかった。
 本当は自分の身に起こったことを誰かに話したかった。不可解なことすべてに対する恐怖を自分の中だけに留めておくのは辛かった。それに相手がレイだったら、信じてくれなくても決してバカにしたりはしないはず。少しだけ笑って、「そんなことがあったんだ、大変だね」この一言だけで終わるだろう。
(……いや、それもそれでなんか嫌だな……)
 とにかく話すのが彼だけなら、自分が嘲笑を浴びることはない。それだけは確信していた。でも今回ばかりはレイにも話す気になれなかった。変な事件に彼まで巻き込みたくない──ただそれだけの理由で。
  レイは視界をさえぎる前髪をかき上げた。彼の髪は明るい茶色で、光の当たり方によっては赤にも見える。昔はそのせいで周囲によくからかわれた。しかしティオだけは何も言わず、それどころかきれいな色だとほめてくれた。
「僕も君みたいな黒だったら、こんな風にされなくてすんだのに」
 何年も前、いじめっ子に無理矢理髪を切られたことがあった。彼らの手から逃れた後こう言った時、どういうわけかティオが突然笑い出した。レイもつられて笑った。それがきっかけになったのだろうか。以来、2人の間に秘密というものは存在しなかった。悩んでいても、平気で打ち明けることができたからだ。
 でも、今のティオの態度は明らかに何か隠しているときのものだ。表情はつくろっても行動で読める。
「……ティオ、本当に大丈夫?」
「そこ、よそ見しない」
 レイの声は先生の声でかき消された。そういえばもう授業は始まっていたのだ。ティオは申し訳なさそうな顔をしながらも目をそらし、黒板を見た。隣の席に座っているだけに気まずさはより大きかった。レイは質問を繰り返そうと、ティオは言えないわけを話して謝ろうと思ったが、どちらも話を切り出すことはできなかった。


 数時間後。
 朝から一言も会話していない2人を含め、全員が静かに授業を受けている。ただし、先生の話を聞く者、黒板の文字をノートに写す者、自分なりに話をまとめて書く者、と口以外でやっていることはバラバラだった。時折先生が見ていない隙に、生徒の頭上を丸めた手紙が飛んだりもした。
 ふと、生徒の1人が教室の後ろの方を見た。誰かの叫び声を聞いたような気がしたのだ。少し考え、それからまた前を向いた。多分気のせいだ。テレビの見過ぎかな。
 しかしそれは気のせいではなかった。声は聞こえるたびに少しずつ大きくなり、ついには教室にいる者全員にはっきり届くまでになった。様々な音程の叫びが次々に響く。生徒達が騒ぎ始めた。最後の声の音源は隣の教室──声が大きくなったのではなく、叫び声を上げさせる何かが自分たちの教室に近づいているのだ。誰もが同じ事を考えた。
(何があったんだろう……)
 次の瞬間、教室の扉が勢いよく開いた。全員が振り返った。
 トカゲに似た、巨大な生き物がそこにいた。後ろ足だけで立ち、鋭い目で生徒達をにらんでいる。
 教室を沈黙が支配した。恐ろしさのあまり、叫ぶどころか誰も声が出せなかったのだ。
 ティオの頭の中に、今朝の光景が浮かんだ。うずくまる自分を飛び越えた巨大な虫。今度はトカゲの怪物、しかも「赤く光る目」が共通している。これで両者に関係がないとは思えない。同じ敵が同じ目的で送り込んだ刺客、そうに決まってる。ということは……?
「こっちだ、化け物!」
 ティオは席を立ち、卵の入った鞄を頭上にかざした。反応があった。怪物が投げてきた椅子をかわすと、鞄を抱えて教室を飛び出した。
 教室が再び騒がしくなる。
「あっ、こら、待ちなさい!」
 先生が止めようとしたがもう遅かった。気がつくと、トカゲもいなくなっていた。
 ティオは階段を駆け降り、靴箱の横を通って外へ出たところで足を止めた。誰もいない校庭におびき寄せたまでは良かったのだが、その後どうするかを全く考えていなかったのだ。
「しまった……どうやって追い払おう……」
 数秒遅れでやってきたトカゲが、自分の前で仁王立ちになっている。明らかに自分より大きい体格で、しかも手(前足?)には一振りの剣が握られていた。対処法を間違えると自分が痛い目に遭う。
(いや、痛いじゃ済まないかも……?)


 その頃、学校中が大騒ぎになっていた。校舎にいる人の大半が窓に貼り付くようにして外の様子を見守っている。おびえている生徒もいるのだろう、ざわめきの中には時折すすり泣きも聞こえる。
「みんな窓から離れて! これから避難しますよ!」
 前代未聞の事件を前に、先生の方も半ばパニックに陥っていた。頭の中には受け持ちの生徒を安全な場所に連れ出すことしか残っておらず、ひたすら叫んでいる。しかしその声も、生徒の好奇心にはかなわなかった。
 レイは席に座ったまま考えていた。あの怪物は明らかにティオを狙っている。そうでなければあっさり教室から出ていくはずがない。じゃあその理由は?少なくとも、今朝のティオの行動に何か関係があるような気がする。
「あっ、いなくなった!」
 見物人の1人が叫んだ。
「え、どこ行った?」
「裏庭の方に走ってったよ」
「………………」
 レイは教室を出ていった。とがめる声はなかった。どうやら誰も気づいていないようだ。


 教室での騒ぎを知らないティオは校舎の壁に沿って走り、スピードを保ったまま裏庭のブロック塀を飛び越えた。毎朝並木道を猛ダッシュで駆け抜けているだけに、足の速さなら誰にも負けない自信がある。塀の向こうは雑木林。ここなら木々が視界をさえぎるから、怪物に見えないよう隠れることができる。
 何とか敵の目をくらまそうと、林の中をめちゃくちゃに走った。道に迷ってもかまわなかった。林は住宅地に囲まれているため、一直線に進めば必ずどこかの端に出られることを知っていたからだ。
「ここまで来れば……」
  シュッ……
「!!」
 目の前を何かが通り過ぎ、思わずティオは足を止めた。真横の木に突き刺さった剣、それは作戦の失敗を意味していた。ティオの顔から血の気が引いた。
「なっ……何で……!?」
 どこからかトカゲが飛びかかってきた。慌てて横に飛んでかわし、また走ろうとしたが──走れなかった。足首に激痛が走った。これでは走るどころか歩くこともできない。さらにティオは木の根につまずいて倒れた。目の前ではトカゲが甲高い叫び声をあげながら、剣を振り下ろそうとしている。
 ダメだ、もうこれで終わり──

  パシッ!

「何小さくなってんだ。こんなことなら卵を預けるんじゃなかったな」
 聞き覚えのある声がティオの耳に届いた。反射的に閉じていた目をおそるおそる開けてみると、今朝会った青年が前に立っていた。しかも剣を素手で受け止めている。
「いい剣だな。ザコに持たせとくにはもったいない」
 口ではそんなことを言っているが、両腕が震えているところを見るとそんなに余裕はないらしい。
「大丈夫? えーと……」
 そういえば名前を聞いていない。彼のことを何と呼んだらいいか分からず、ティオは口ごもってしまった。青年はそれを察したのかこう言った。
「俺のことか? リゲルでいい。それよりお前、まだ自分の力に気づかないのか?」
「え……何のこと?」
「全然分かってない……まあ、半日じゃ無理か。いいか、俺の言うとおりにしろよ」
「はい……」
 リゲルの声に、焦りと怒りがはっきりと読みとれた。それに恐れを抱いたティオの返事は弱々しいものだった。
「まずは頭で考えろ。このザコが“やられる”姿を思い浮かべるんだ!」
(えっ……それだけ!?)
 意外な指示にティオは戸惑った。イメージがいったい何の役に立つ? でもそれを今尋ねたら、リゲルはさらに機嫌を悪くするだろう。前に虫を倒したあの不思議な力で、今度は自分が投げ飛ばされるかもしれない。
(仕方ない、やってみよう。でも“やられる”って……あっ、そうだ!)
 とりあえず目を閉じたティオが思いついたのは、先週友達から借りたゲームソフト。確か人気RPGの最新作って言ってた。その中にちょうどこんな感じの爬虫類が出てきたんだ。
(何て言う奴だっけ……いや、そんなの今は関係ない)
 ティオは必死になって自分の記憶を探っていた。今必要なのは名前じゃない、そう、弱点。もし目の前の怪物とゲームのモンスターの弱点が同じなら、そこを突けば倒せる。リゲルはそれが知りたいんだろう。
 弱点。それは確か──
<…………>
 ティオの脳裏を何かが駆け過ぎた。意識はそれをある「言葉」と認識し、同時にその言葉が表す「もの」のイメージが浮かんできた。「もの」が持つ色、形、特性がティオの心の中で、現実にある「それ」と同じに再現される。リゲルが望む「姿」は、もしかしてこれのことなのか?
 やっと理解できた。そう思った途端、ティオの身に異変が起きた。右手が熱い。体の他の部分──足は別として──にはどこにも異常はないのに、右の手首から先の温度だけがどんどん上がっていく。
「覚醒したか!」
 異変に気づいたか、リゲルが声を上げた。
「言葉を思いついたはずだ。俺は剣を離す、そしたらすぐ右手を前にかざして、その言葉を唱えるんだ!」
 リゲルからもらった指輪が光っている。その色は赤から黄色、そして白へと変わっていった。何本もの光の筋の向こうでリゲルの影が消えたのは何とか分かった。押し返す力が急になくなり、バランスを崩したトカゲがティオの方に倒れ込んでくる……

<ファイア……?>


 走り去った友人を追って裏庭まで来たレイは、塀の一部分が粉々に壊されているのを見つけた。がれきの山の向こうには、無惨にも切り倒された木が何本も転がっている。
 多分、いや、間違いなくあの化け物の仕業だろう。
 そう考えてがれきを乗り越えようとしたその時、前方で大きな音と共に火柱が上がった。
「!?」
 嫌な予感がする。まさかあそこに……?
 レイは林の中に入り、空へ立ち上る黒煙を目印にして現場へと向かった。
「……おい、大丈夫か、しっかりしろ!」
 近づくにつれ、誰かの声が聞こえてきた。
「まったく……この程度で気絶かよ……」
 声がするすぐ近くまで来たレイは木の陰からそっと覗いた。
 別の木の根本近くで、声の主である「誰か」がティオの肩をつかみ、力任せに揺らしていた。その顔は驚いているようにも焦っているようにも見える。体格と顔つきから考えると高校生くらいで、根元から緑色に染まった髪は後ろで1つにまとめられて長い三つ編みになっていた。奇妙なことにその髪型がよく似合う。
 そして青年の腕と一緒のリズムで首を上下させているティオの顔は完全に青ざめ、体全体から力が抜けきっていた。彼を追っていたはずの怪物はどこにも見当たらない。少し離れたところの地面に剣が突き刺さっていて、周囲は黒く焼け焦げていた。煙もそこから出ているので、火柱が上がったのもこの位置だろう。これらの光景に一体どういうつながりがあるのか、レイには全く想像がつかなかった。
「そこにいるんだろ? 出てきたらどうだ」
 青年が急に立ち上がり、振り返って声をかけてきた。隠れているつもりだったが、どうやら見つかっていたようだ。
「どうせ聞いてくることだろうから先に言っとくが、さっきここを燃やしたのは侵入者じゃない」
 そして人形同然の状態のティオを指さして言った。
「こいつがやったんだ」
「は……?」
 レイが怪訝な顔をすると青年は何故か笑った。
「一度で信じるわけないか。お前がレイだな? こいつの友達なんだって?」
「な、なんで僕の名前を?」
「調べたんだ。こいつに仕事を頼もうって決めた時に。どんな時でも信頼できる親友……こいつにとっては心強いだろうな」
 青年は自分の言葉に感心するかのように頷いた。
「そうそう、俺はリゲル。決して怪しい者じゃない」
「そう言う人が一番怪しいんだよ」
 レイはリゲルを思いっきりにらみつけた。
「ティオに何をした。まさか変なこと教えたんじゃ……」
「大事な用事だ」
 リゲルは地面に刺さった剣を引き抜き、すすを払い落とした。
「どうしても言えないこと?」
「言っといた方がいいか?」
 次に近くに落ちていた鞘を拾い上げ、剣をしまってから腰に差した。リゲルは剣を自分の物にするつもりらしい。
「簡単に言えば、こいつには世界を救う手助けをしてもらうんだ」
「…………」
 あまりにも突然で大げさすぎる話に、レイは言葉を失った。しばらくして口から出た言葉が、
「それ……本気で言ってる?」
「本気。世界征服を企んでる奴がいるんだ」
 リゲルは大真面目な顔でそう答えた。


  「世界征服!?」
 ティオはまるで信じられないと言いたげな表情を浮かべた。
 結局親友に背負われて学校に戻ってきたティオは、足を痛めたことを理由に保健室へ運ばれた。気を失っている間に治療は終わっていた。そしてしばらくしてから目を覚まし、避難せずにずっと付き添っていたというレイから話を聞いて驚きの声を上げたのだった。
「征服って……リゲルが企んでるんじゃなくて?」
「違うみたいだけど……」
(でもあの強引な性格だとやりそうだな……)
 そんな考えが浮かぶほど、既に彼には散々振り回されている。ティオは肩を落とした。
「どっちにしても、とんでもない事件に巻き込まれたみたいだな……」
 考えてみれば、この事態は避けることができたかもしれない。あの時鈴の音を無視していれば、卵を突き返してはっきり断れば、自分は普通の生活に戻れたかもしれない。そういう方向に考えが進んでしまう。ティオは今さらと分かっていながらも強く後悔していた。
「そういえば」
 腕組みをして考えていたレイが顔を上げた。
「卵を預かったって聞いたんだけど」
「もう聞いたの? そう、それが今回の事件の元凶。早く返さないと」
「そうもいかないみたいだよ」
「え?」
 ティオは言葉の意味を理解できなかった。リゲルの強さをその目で見たこともあって、怪物に狙われているという卵は彼が持っていた方が安全だと思っていたからだ。
「その卵……ティオが育てないとダメなんだって」
「……どうして僕なの?」
「卵から生まれる幼い命に、善悪の区別を教えてやるんだってさ。俺にはできないからって言われたんだけど、本当に大丈夫?」
「善悪の区別……って、それじゃまるでどっかのおとぎ話じゃないか」
 ティオは頭をさすり、レイは窓の外を見てから友人に視線を戻した。
「理由とか詳しい事情は分からなかった。敵の正体とかも知らないって」
「ますます怪しい。一番知りたいことを言わないなんて、絶対何か企んでる」
「あまり疑いすぎるのもどうかと思う。そういえばこう言ってた。
 『もし敵の手先か何かが来るとすれば、その時は必ずお前達の「常識」では考えられないことが起こる。周りを大騒ぎさせる何かが……それを目印にすればいい』
 さっきのトカゲもそうだよね」
「また変なのが来るってことか……」
 ティオは拳を握りしめた。爆発の後は気を失って何も覚えていないが、その「瞬間」ははっきり覚えている。
 自分の右手から放たれた真紅の光。炎に包まれ、断末魔の叫びと共に消えた化け物。確かに聞いた「覚醒」という言葉。自分の力。自分の……
「おとぎ話に出てくる魔法使いって、敵と味方と両方いるんだよね」
 レイが口を開いた。
「それで敵だとだいたい黒服でさ、城の奥に閉じこもって動かなかったりするんだ。でも味方は主人公のところに来て、使命を伝えたり……力をくれたりする。だから、リゲルはやっぱり味方だと思う」
 それが証明になるのか、説明として正しいのかは分からない。でも疑いの気持ちが起こらないのが不思議だ。
「で、どうする? 本当に返すなら早いほうがいいと思うけど」
「どっちみち無理みたい……じたばたしても逃げられそうにないよ」
 ティオは右手の指輪をつかみ、引っ張った。しかし指輪は少しも動かない。付けられたときには指との間に隙間があったのに、いつの間にか指に貼り付くような感じになっていた。自分は「ただの人」でなくなった。その最たる証拠が残っている限り、この任務から逃れることはできない。
「……レイ」
「何?」
「今日のこと……もちろん2人だけの秘密だよ?」
「当然。言ったって誰も信じないよ」
「それもそうか」
 卵が収められた箱は、2人の横に置かれたテーブルの上にあった。ティオが箱を手にとって開けると、ふたの裏に金色のインクで何か書かれているのに気がついた。しかし、それは全く知らない文字だったので読めなかった。


<神の涙の一滴(ひとしずく)は
 選ばれし者のもとへ下る
 聖域へ導く灯火となり
 この世の混沌を打ち砕くために

 闇の化身は万の月と共に
 死の淵よりよみがえる
 聖なる光を受けた者と
 再び剣を交えるために──>


 少し変わった詩のようなものを暗唱しながら、リゲルは裏庭から保健室の窓を見ていた。
 爆発の現場に警察が来るのを察し、鉢合わせする前に立ち去った。当分誰も林には入れないだろう。トカゲは骨も残さず消えた。でも死んだ証拠がない以上、何も知らない大人は怪物がまだどこかいると考えるに違いない。
「最初にしちゃ上出来だったよ……やっぱり思ったとおりだ。あいつが一番適任だな」
 周りには誰もいない。冷たい風が吹くだけだ。リゲルはポケットから何かを取り出し、悲しみの色を浮かべた瞳で眺めた。
 下弦の月をかたどった、青い髪飾り。
(ティオ……これから始まる戦いに比べれば、お前の存在なんて前座に過ぎないかもしれない。でも、)
 編んだ髪の先端を風が揺らす。木の葉が擦れ合って、乾いた音を立てる。
(すべてはお前にかかってる。卵が悪人の手に渡らないよう守ってくれ。お前のためにも、この世界のためにも……俺達のためにも)
 遠くで足音が聞こえた。警察か。関わったら厄介だな。リゲルは歩き出し、その姿はすぐ雑木林の中に消えた。


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