第5話 〜目撃〜


  チャリーン……
 乾いた音が居間に響いた。
 マーマレードのラベルが貼られた瓶の中から1枚のメダルが落ち、テーブルの上を転がった。数秒もしないうちに倒れて音を立てる。
「すごい数だな……」
「な、言った通りだろ」
 ティオは空になったガラス瓶を置いた。すぐ隣りに、同じ星の形が彫られたメダルが山積みになっている。その枚数は、チェリーが生まれた日から今までに送られてきた刺客の数を示していた。
「1日で平均5匹ってとこかな」
 紅茶が半分ほど残ったカップが、同じ模様の小皿にぶつかって陶器独特の音を奏でた。カップを置いたレイは視線をメダルに移し、親友に倒されてしまった哀れな魔物を数えた。
「これが一斉に暴れ出したらどうなるだろう、って時々考えるんだ。多分、全部いっぺんには片づけられないと思う」
 刺客に狙われている妖精のチェリーは、ティオの膝の上で眠っている。
 彼女は最初ピンクの膜でできた簡素な服で寒さをしのいでいたが、今は違う色のワンピースに着替えていた。人形のサイズに作られたものがちょうど着られるということで、ティオの母親が喜んで大量の服を買ってきたのだ。それらはティオの部屋で机の引き出しの1つを占領している。
「……すー……」
 チェリーは背中の羽をわずかに開いたり閉じたりしている。起きている時の彼女は前より動き回ったり話したりするようになったから、それだけ疲れるのだろう。
 ティオの両親やレイの協力もあって、彼女は自分の意志をある程度伝えられるまでに成長した。でも知らないこともまだ多いので時には下手なジェスチャーを交えるし、字は読めない。そして相変わらず好奇心は旺盛である。
「そういえば、最近遅刻が減ったね。それもチェリーちゃんのおかげ?」
 学校で毎日会っているのに、レイはチェリーを心配して休日にティオの家を訪ねることが多くなった。他の友達を交えて遊ぶ日もあるが、大抵は1人で来る。事情を知る数少ない人物である彼は、重い運命を背負っているらしいこの妖精を心の底から気遣っていた。
「そう。先に目を覚まして、僕を無理やり起こすんだよ」
 妖精を守るという、重い責任を負わされた保護者はため息をついた。
「6時とか7時ならまだいいけどさ、この前なんてまだ日が昇ってなかったんだ。流星群を見るわけでもないのに」
「それで授業中に眠くなるんだ」
「……そういうこと」
 ティオは照れ隠しに頭をかいた。最近は居眠りをして先生に怒られることがよくある。でもそうなるのも無理はなかった。明らかに足りない睡眠、曲がり角で待ち伏せする敵、増える一方の説教と課題。平然としていられるわけがない。
 居間の時計が7時を知らせた。
「もうこんな時間? そろそろ帰らないと」
 レイは空になったカップを片づけようとしたが、ティオが代わってくれた。
「近くまで送るよ」
「大丈夫、1人で帰れるから」
「いや、不安なんだ……怪しい人がいるかもしれないし」
「人じゃないかもね」
 とりあえず家の前まで出てきたティオは、右手を前に突き出して左右に向けた。中指に収まった指輪は、相変わらず不思議な輝きを放つ。「近くに敵がいると指輪の石が黒くなる」。リゲルが以前会ったときに置いていった手紙にはそう書いてあったが、今はその反応が全く見られない。
「異常なし。……じゃあな」
「また明日ね」
 いつの間にか目を覚ましたチェリーを頭の上に乗せたまま、ティオは手を振って友達を見送った。


 次の週の月曜日も、朝から魔物が出没していた。チェリーの誕生以来怪物はあちこちに現れ、町の人が偶然その姿を見かけて騒ぐこともあった。おかげで警察は前より頻繁なパトロールをすることになったし、住人も「異質の生き物」にやや敏感になっていた。
 当然、警戒しているのは警察だけではない。学校でも対策に追われていた。
「ここはまず、生徒を集団下校させて安全を確保するのが先ではないかと」
「人を襲う例はほとんど聞きませんが、念のために……」
 会議室に招集された先生が議論を交わす。目撃件数が多い割に詳しい情報が少ないため、問題の「生物」は正体不明のまま。それが彼らの悩みの種だった。性質や習性、行動パターンによって対策も変わってくるからだ。
 同じ議題は、会議室の真上にある生徒会室でも取り上げられていた。
「報告によると、その生き物は校内にも侵入しているそうです。一刻も早く、“それ”を追い出さないと……」
 生徒会長はレポートを片手に力説しているが、それを聞く役員達はどう見てもしらけていた。会長は分厚いフレームのメガネをかけ直しながら言った。
「聞いていますか!? わたくしは皆さんのことを心配しているのですよ!我が校の平和は乱されているのです、下校中に襲われた生徒もいると言いますから、何としても……」
 演説は続く。彼女の言う「襲われた人」は、先日川に引きずり込まれたレイのことだ。
「サマンサ、お前、何か勘違いしてねぇか?」
 隣りに座っている茶髪の少年がやっと口を開いた。
「その話はみんなもう知ってる。今話し合うのはもっと違うことだろ」
「副会長……分かりました、では何か案があるんですね?」
「いや」
 副会長はそっぽを向いた。サマンサは、彼の耳のピアスが昨日より1組増えていることに気がついた。
「あなたは気楽すぎです、何ですか、その態度にその格好!」
 怒り心頭の会長に指をさされても、副会長は平然としている。彼の態度や服装について彼女が怒り出すのはいつものことだ。
「俺の格好なんてどうでもいいだろ、規制する校則なんてないし」
「でも、わたくしは許せないんです」
「ちょっと、サマンサ、落ち着いてよ!」
 席を立って副会長を取り押さえようとする会長を、書記と会計が左右から腕をつかんでなだめた。副会長は肩をすくめると、話を本題に戻した。
「で、例の化け物の件だけど、多分俺達には何もできない。確かに目撃例少ないけどさ、話聞いてるだけでも素人が簡単に追い払えるなんて思えねぇんだ。ミッチェルもそう思わない?」
「……そうかもしれない。でも、それじゃあレナード君はどうするつもりなの?」
 いきなり話を振られた会計のミッチェルは、少しびっくりした様子で聞き返した。
「放っておく」
「そんなぁ……」
「心配すんな。怪物が長いこと居座ってるって話は聞かない。もしかしたらこの学校のどっかに『正義の味方』がいて、そいつが戦ってくれてるのかも。……俺もいっぺん会ってみたいな、そういう人」
「子供じみてますわね」
 サマンサはその意見をあっさり切り捨てた。
「テレビや漫画の中の話が現実にあると思っているんですか、副会長?」
「現実になってんだろ、敵の怪物が出てくるところまでは」
「……それは……」
「悪が生まれれば、必ずどっかで正義も生まれるんだ。だからきっと、なんて思っただけ。お前は自力で何とかしたいんだろ? 常識の範囲内で」
 最後の一言をさりげなく強調し、レナードは窓の外を見た。道と平行に張られた電線の上にカラスが1羽止まっている。カラスはレナードと目があったようにも見えたが、すぐに飛び去っていなくなった。
   ガタッ
 何の前触れもなく、サマンサが再び立ち上がった。
「とにかく、これは人任せに出来る問題ではありません。今は平気でも、将来誰かが大けがをするかもしれないでしょう?」
「そうなれば会長の責任だな」
「ですから、それを防ぐためにどうするかと……」
「まずは状況の把握。先生の話なんてあてにならない。そうだ、キャリー、もう手は打った?」
「写真部と新聞部に頼んで、今調べてもらってる」
 レナードに尋ねられた書記は、先生から渡された資料に目を通しながら答えた。
「オーケー。あとは結果待ちだな」
 不満そうな会長とは逆に、副会長は事態を楽しんでいるように見えた。口笛を吹き、腕を頭の後ろで組んで天井を見上げた。


 「そんな目に遭ってよく無事だったね。それで?」
 生徒会の調査に巻き込まれたティオは、度重なる怪物との遭遇について説明する羽目になった。でもあまり詳しくは言えない。自分がそれを倒したと分かればもっと追及され、チェリーのこともすべて白状させられるだろう。
 彼は別に好きで魔物退治をしているのではない。それに、自分が魔法使いという「異端の存在」となったことを他の人に知られたとしたら、からかわれる程度では済みそうにない気がするのだ。


 次の日の朝。ティオは学校に行く支度と朝食を済ませ、天井近くを飛び回って羽虫を追いかけるチェリーを呼んだ。元気な返事が返ってきた。
「がっこう? いくぅ」
 1人家に置いていくのも危険なので、ティオはチェリーを鞄の中に隠して毎日学校へ連れて行くことにしていた。手のひらに乗る大きさなので、息を潜めていれば目立たない。学校で何をするかというと、昼休みにレイと遊ぶ他はずっと寝ているのだが。
「まだ時間があるな……今日も無事に学校着くといいけど」
 「命の無事」ではない。家を出るときには時間に余裕があったのに、途中で魔物に手こずった結果遅刻になるということが何回かあった。それが不安なのだ。
 家を出てすぐ、誰かの家の庭に植えてある木の枝から猿が飛び降りてきた。赤い目をしているので魔物の一種だろう。どこから盗んできたのかミカンを口にくわえたまま、長い手を伸ばしてチェリーを鞄の中から引きずり出そうとする。
<ファイア!>
 ティオに腕をつかまれ、猿の毛皮に火がついた。熱さにじたばたしている間に額のメダルを抜き取られ、猿はかき消すように見えなくなった。
 それでも「戦い」は終わらなかった。1つ目の角で蛇と鉢合わせする。公園の前で謎の節足動物を踏みつける。木の間から熊が顔を出す。朝からこの調子だと、今日の刺客は10匹を超えるかもしれない。
 公園を出たところで、チャイムの最初の1音が鳴った。ティオは車が来ないのをいいことに赤信号を無視して渡り、ギリギリで遅刻を免れた。そのまま階段を駆け上り、ホームルームが始まる直前に2階の教室に滑り込んだ。
「今日は間に合ったね」
 レイは隣の席でティオを待っていた。2人の間に置かれた鞄からチェリーが上半身を出して手を振る。レイが小さく手を振ると、チェリーはにこっと笑ってからまた隠れた。
「……眠い……」
 机に顔を伏せて寝ようとしたティオの後頭部に、何か軽いものがぶつかった。後ろの席の人が丸めた紙を拾い上げて渡した。
 投げるなよ、誰だか知らないけどうっとうしい、そんなことを考えながら紙を広げる。
『話ガアル。今日ノ放課後、裏庭ニ来イ』
 見たことのない筆跡だった。名前は書いていない。
 裏庭といえば、以前トカゲの化け物に叩き壊された塀が作り直され、昨日やっと立入禁止が解除されたという話を聞いた。人が来ないような所にわざわざ呼び出すなんて、誰が何の用でこんな事を。不審に思ったティオは休み時間になると、呼び出しを無視することにして手紙をゴミ箱に放り込んだ。
 ところが、少し目を離した隙に手紙は机の上に戻っていた。
「おかしいな……」
 自分の席とゴミ箱を3回往復し、さすがに気味が悪くなったティオはレイに相談を持ちかけた。
「これって行った方がいいかな」
「誰だか分からないんだよね? 敵の罠かもしれないよ」
「そうだろうな。わざわざ挑発に乗らなくても、怪しい生物の情報って事で生徒会に届ける手もあるし……」
「そうか……いや、その選択肢は使えそうにない。ほら、あれ」
 レイが窓の外を指さした。見ると、校舎のすぐそばに植えられた木の枝に、色づいた葉に紛れてコウモリがぶら下がっていた。朝だというのに赤い目を光らせてこっちを見ている。見張りのつもりらしい。


 生徒達は退屈な授業をそれぞれの方法でやり過ごし、放課後を迎えた。他にすることもないので生徒会室に来たレナードは、窓のそばの席を陣取って他の役員が現れるのを待った。
 時計の長針が2つ先の数字に移っても、誰も現れない。
「遅いな……」
 壁のフックにかかった双眼鏡を手に取り、窓を開けて身を乗り出した。
 日が照らす校庭とは校舎を挟んで反対側にあるこの窓からは、昼でも薄暗くじめじめした裏庭が見える。顔をやや上に上げると雑木林が、その先には鉄とコンクリートで出来た森がどこまでも続いている。
 裏庭に誰かが来た。レナードは双眼鏡を構えた。
(あの顔は1年の……生活指導(の先生)が言ってた遅刻魔だな)
 後輩の周囲を双眼鏡で拡大して見た。そこら中に様々な形の怪物が潜んでいる。こんな所に1人で来るなんて、誰かに呼び出されたのだろうか。危険だから帰るように言ってやろうかと思ったが、ふと聞こえた甲高い声がそれを止めた。
「なにかいる……」
「分かってるよ。呼び出した奴もこんな所で何企んでるんだろう」
 最初は腹話術かと思った。でも、怪物の前でそんなことをしても意味がない。後輩の陰に誰かがいるのだろう。
(こいつらも気になるけど……あれは……誰だ?)
 出来たばかりの塀の外でうごめく怪物の中に、人間が1人いた。オレンジ頭の派手な女は、手にした携帯電話に視線を落としている。
(メールか……?)
 考えられるのは2つ。化け物の飼い主か、人質が助けを求めているのか。
 女はやけに冷静に見える。レナードは前者に賭けることにし、近くの机の上にあった炭酸飲料の缶を手に取った。振ってみると中身は空だった。
 体の後ろに向けた腕を上に振り、怪物の群れ目がけて缶を放り投げる。


「こわい……こわいよぉ……」
 制服のポケットに隠れていたチェリーは見たこともない大量の敵におびえ、最近覚えた言葉を連発しながら小さく丸まって泣いていた。彼女を守る立場にあるティオは、それを聞いているだけで何だかつらくなった。
「少しだけ我慢して、騒いだらあいつらが興奮するだけだから」
「みゅ……?」
「もっと怖い思いをするかもしれないんだ。おとなしく待ってて」
 チェリーが正確に理解できたのは「待ってて」だけだった。分からないことは後で聞けばいい。自然に泣きやむ。
 接近してきた巨大ミミズを斬ろうとティオが右手を構えたその時、少し遠くで誰かが叫んだ。
「痛い、誰よ、これ投げたの!」
(……誰かがいる……?)
 ティオは方針を変え、ミミズを踏み台にしてブロック塀の上に飛び乗った。できたばかりで汚れのない塀にかすかな足跡を残し、声がした辺りで降りて駆け寄る。
 怪物に守られるようにして中央に立つ女は、片手でスチールの缶を握りつぶしていた。ティオと目が合う。両目の間がわずかに赤い。
「これ、あなたがやった?」
 ティオは首を横に振った。
「あっそう。それならいいけど……ところであなた、妖精隠してるでしょ」
「何のこと?」
「とぼけないで。ポケットからのぞいてるその羽は何?」
「えっ!?」
 すぐ腰に目をやったティオを見て、女はしてやったりという顔をした。
「別に何も出てないわよ。やっぱり隠してるのね」
「………………」
「私はダイアナ。恨みたいなら好きなだけどうぞ、どうせ死んでもらうから」
「覚えとくけど死ぬわけにはいかないよ。僕にはやることがあるんだ」
 ティオは反発の言葉を吐き捨てた。大勢の魔物に取り囲まれ、状況はどう見ても不利だ。対する魔物の指揮官は、よくある悪役らしいセリフを発した。
「今すぐ妖精を渡しなさい。そうすれば命だけは助けてあげる」
 ところが、
「偉そうに言うな、オバサン」
 ティオが何気なく放った一言が、ダイアナの顔をみるみる赤く染めていった。缶をぶつけられた跡がすぐに目立たなくなった。
「……ゆ……ゆゆゆ許せない、みんなやっておしまい!!」
 怒り狂った主人の命令と同時に、魔物の群れが一斉に動き出した。
 動きも攻撃もバラバラだが、それがかえってティオに休む暇を与えない。1つを避けようとすると、別のにぶつかる。
「うわっ!」
 誰が殴ったのか、背中に鈍い衝撃が走った。ティオは少しよろめいたが、おかげで他の攻撃をよけられた。
 足元が揺れる。地下にも何かがいるらしい。それも真下から串刺しにするのか、正面に出現して彼の行く手を阻むつもりなのか分からない。
 轟音と共に地面にひびが入った。
 下はまずい。それなら上は?
 幸いなことに、木の上には何もないようだ。
<ホバーフォース!>
 ティオの作り出した空気の塊が地面に叩きつけられ、爆発するように強い上昇気流が発生する。地面が割れて大型のモグラが顔を出す直前に、妖精を連れた子供は宙に浮いていた。


 レナードは目を大きく見開いた。
 会話はほとんど聞き取れないが、名前の思い出せない後輩はどう見ても空を飛んでいる。しかも手のひらからバスケットボール大の炎を次々と放って、地上の怪物を焼き払っているのだ。
 他の角度からだと木にさえぎられて彼の姿は見えない。偶然にも副会長のいるその場所こそが、観戦に最適の場所だった。
「なるほど……あいつがヒーローなんだな」
 先輩が2つ下の後輩を、テレビの特撮ものを見るときと同じ目で見ている。そんなことには全く気づかず、双眼鏡の中のヒーローは力をためて、さっきの何倍もの大きさの火炎球を地面に投げ下ろした。
 木の根元で小さな爆発が起こる。
 すすを被って白い服を薄黒く染めた女は、林の奥へ逃げ去った。
 タイミング良く雨が降り出し、裏庭の火事を人が見つける前に鎮めた。
「レナード先輩」
 気がつくと、生徒会室の入口に2年の女子生徒が立っていた。
「すみません、会長はここに来ませんでしたか?」
 「ここには来ていない」事を伝えると、彼女は持っていた封筒を手渡して行ってしまった。
 封筒は2通。1通は先生から会長へ。次の会議の資料だろうか。もう1通は自分宛てだった。
(これは後回しだな)
 レナードはハートマークの付いた封筒をズボンのポケットにねじ込むと、窓を閉めてから双眼鏡を机の上に置いた。
 その頃ヒーローは静かに地面に降り立ち、塀を乗り越えて学校の敷地に戻ってきた。


 逃げ帰ったダイアナはスーツを脱ぎ捨て、別の服を着てからベッドの上に寝転がった。
 何もかもが嫌になる。
 妖精の捕獲を邪魔する子供もむかつくけど、子供に負ける自分も嫌い。せっかく考えた作戦をけなすくせに、自分は何もしないクリス。干渉さえしてこない他の同僚。「命を懸けてでも奪え」などと無茶を言う上官──今は「あの方」としか呼べない人。言い返せない私。逆らえない私。頭の悪い私。弱い私。
 寝返りを打つと、1人ソファに座ってモニターを見ているクリスが目に入った。
 何よ。人の部屋で勝手にくつろぐなんて。
『終わったことを悔やんだって何にもならないじゃない』
 画面の中で女性が叫んでいる。クリスは時々ダイアナを見ながら、ハンカチでしきりに目をぬぐっている。ドラマの再放送を見ているらしい。妖精がいる“向こうの世界”の電波を受信できるようにモニターを改造してから、クリスが自分の部屋に来る回数が増えたような気がする。
「この子の言う通りよ、いつまでもいじけてないで、次の作戦を考えたら?」
「嫌よ、私もうやりたくない。そんなこと言うなら次はクリスがやって」
 ダイアナはクリスに枕を投げつけ、背を向けた。
「一度引き受けたお仕事を途中で投げ出すの?」
「………………」
「それにね、アタシはまだ準備中なの。もうちょっと待っててくれる?」
「……何か考えでもあるの?」
「もちろん、時間とお金さえあれば一撃であの坊やを仕留められるわ」
「やけに自信あるのね。……わかった。やってやろうじゃない」
 ようやくダイアナにいつもの調子が戻った。ベッドから跳ね起き、胸を張って宣言した。
「今に見てなさい。あなたの努力、無駄にしてあげるから」
 自信に満ちたその瞳を見て、クリスの口元が少しゆるんだ。


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